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superb HOUSE

雪国に居。
生まれ育った関東もいいところだけど、
豪雪地帯だって住めば都。
長きにわたる不妊治療の喜怒哀楽をつづります。
。。と、ときどき寄り道日記。

旦那さまとの出会いはお互い28歳の時。(同じ歳ですニコニコ

 

恋愛は色々してきたけど、旦那さまとは、「この人と結婚するだろうな」と自然に思えた人でした。

(ただ適齢期だったという話もあり笑)

 

私の地元は関東で、旦那さまは雪国。

私の地元でオフを過ごしながら短期の仕事をしていた彼と知り合い、そのまま私の地元で同棲をし、結婚が決まり何の疑いもなく彼の実家へと嫁ぎました。

 

 

旦那さまの実家に嫁ぐなんて、今考えたら恐ろしい!

(この件については後述します。)

 

だけど、付き合っている時から結婚したら地元へ帰る事をかたく心に決めていた旦那さまとともに雪国へ行くことは、当時の私からしたらごく自然な流れでしかなかったのです。

 

しょうがないですよね。

未来なんてだれも予測できない。

 

 

この後、自分が不妊症である事を知るきかっけになる。

ある事件がおこりました。

 

 

旦那様の実家は、おじいちゃんおばあちゃん、そして姑であるおかあさん。

おとうさんはお婿さんでしたが、この時熟年離婚間近でほとんど家には居ませんでした。

 

このお姑さんが事件を巻き起こします。

 

私とただそりが合わないだけだったら、辛いけどなんとか歩み寄れたかもしれない。

 

結論から言うと、お母さんは心の病でした。

 

これは現在わかっていること。

おそらく境界性パーソナリティ障害。

 

だけど当時はそんな事など露知らず。

 

私への異常なまでの「嫁いびり」が始まったのでしたガーン

 

「不妊症」という言葉に行きつくのは、もちろん結婚してからのこと。

 

それまでの自分は、言うのも憚られますが結構「奔放」なほうだったと思います。

彼氏はいましたが、パートナーと呼べる人はもう1人いました。

(今となっては後悔しております。。)

 

初めて婦人科を受診したのは20歳の頃。

おりもののにおいが気になっての受診でした。

 

この時は、若さゆえに深刻さはまるで無く、医者に行けば治るだろうくらいの考え。

だから、医者に何と診断されたのかも覚えていません。

膣錠を処方されたのは確かです。

 

今思えばおそらくクラミジアでした。

当時、もっとちゃんと向き合っておくべきでしたね。

時すでに遅し。。ショボーン

 

その時から婦人科を受診することは数年ありませんでした。

今の時代性から考えると信じられませんね。

 

2回目の婦人科受診は25歳の頃だったと思います。

理由は重い生理痛と、出血量の多さに疑問を持ったから。

 

この時受診したのは、先輩からいい先生がいるよと教えてもらったクリニック。

診察と合わせて初めてのがん検診も行いました。

 

私の記憶が確かなら、1週間ほど後にがん検診の結果を知り陰性。

そして、何の用で電話をしたか覚えていませんが、(そして電話口が医師か看護師かも覚えていません。)

「卵巣のう腫」「子宮内膜症」的な単語が初めて出たのがこの時だった気がします。

 

良性のもので、今すぐ何かしなくちゃいけないものでもない。

半月後にもう一度受診して。

という内容だったと思います。

 

ただ、この時の私は仕事をしつつも1年中スノーボードに明けくれ、

(夏でも専用の施設があります。)

恋愛も趣味も忙しくて、がんが陰性であったこと、よくわからないけど良性の何かがあること、という認識しかなく、

もちろん将来不妊症になるなんて少しも思わず、むしろ大したことなくて良かった、としか思っていませんでした。

 

 

この時に。。

いや、20歳の時に戻れるなら。

今すぐ言ってやりたい。

 

悪いことは言わないから、今自分の身に起きている「何か」から目をそらさないでと。

 

過去を思い出してこのブログを書いている今、

今までで一番強くそう感じでいる自分がいます。

 

 

自己紹介2っていうのもおかしいですが笑

 

続編です照れ

 

 

私は2011年、東日本大震災のまさに1日前に、関東から雪国に嫁いできました。

旦那さまとは2年付き合い、冬にウインタースポーツ関係のお仕事をしていた彼に都合を合わせ、お仕事がひと段落した3月に彼の実家に引っ越すことになっていました。

まさかそれが震災の前日だとは夢にも思いませんでしたが。

 

実は3.11の翌日(正確には明け方の3時過ぎ)、

彼の地元も震度6弱の地震に襲われ、私たちも少なからず被災しました。

引越しの荷物が片付いていない雑然とした部屋で、テレビが頭上に倒れてくる前に飛び起きたことを覚えていますガーン

 

このとき私、旦那さまともに30歳。

まだまだ夢と希望に満ちあふれ、将来自分がどんな苦労をすることになるか。

そんなことは微塵も考えてはいませんでした。