「海軍飛行予科練習生」及びその制度の略称で、第一次世界大戦以降、航空機の需要が世界的に高まり、欧州列強に遅れまいとした旧海軍が、より若いうちから基礎訓練行って熟練の搭乗員を多く育てようと、昭和5年に教育を開始しました。
14才半から17才までの少年を全国から試験で選抜し、搭乗員としての基礎訓練をするもので、飛行予科練習生制度が始まってから、終戦までの15年間で約24万人が入隊し、うち約2万4千人が飛行練習生過程を経て戦地へ赴きました。なかには特別攻撃隊として出撃したものも多く、戦死者は8割の1万9千人にのぼりました。
時代背景として、当時は世界恐慌の直後。
街には失業者が増え、少年たちも子供ながらに将来のことを考えました。そんな中、国からお金を貰えてかつ飛行技術を学ぶことができ、さらに国家のために仕事ができるというこの予科練制度は、大変魅力的に映ったのです。
合格率70倍以上の難関試験を突破し喜びも束の間、彼らにはさらに厳しい規律の中での過酷な生活が待っていました。
そして、時代は第二次世界大戦末期。物資が乏しくなった日本は、皆さんが知っている「特攻」という作戦に突入していくのです。
この記念館では、そんな彼らの毎日の生活が忠実に再現されており、そのときの日記などから彼らがどのようなことを思い、考えて生活していたのかが手にとるようにわかります。当時のVTRもあちらこちらで上映しており、とてもわかりやすい資料になっています。
また、彼らの家族や友人に宛てた手紙も多数あります。
それらを読んで思ったこと。彼らは僕らとちっとも変わらない人間だったんだってことです。
仲間と遊んだりふざけたり、好きな本や映画、手に入るおいしいものを楽しみにしていて、そして家族を一番に思っていました。
ただ一つ違うことは、彼らは国家のために生きるという任務をしっかりと背負い、運命として受け止め、それを遂行したこと。
そこだけは、絶対に勝てないことだと思いました。
ほかにも特攻服や零戦も展示されていてとても見どころが多く、空襲の様子などもCGで再現されていて体感することができ、気づいたら約5時間も過ぎていました。
外には何台もの戦車が。
舞台「友情」で知り合った友寄蓮さんを思い出しました。
蓮は芸名で、泥の中でも咲く蓮になりたいからこの名前にしたんだと言っていた友寄さん。
とても素敵な考えだと思います。
彼女も病気になった時、生きることの意味を大いに考えたことと思います。
いろいろと考えさせられる、とても有意義な一日となりました。




