今日はトランスジェンダー認知の日です。


可視化の日という表現もありますが、僕は2つの理由からその表現は好きではなく使いません。

1つは「見る」は誰でもできる訳ではないのに、わざわざその言葉を使うのは排除的に感じるから。

もう1つは、うちの子のように埋没して生活している人の中には、本当はそういう意味じゃないと理屈では分かっていても、可視化と言われたら恐ろしく感じる人もいるから。


トランスジェンダー認知の日ってそもそも、トランスじゃない人達にもっと知識を持ってもらいたい日かなと思うので、先に、お勧めの本を。


って、まだ発売前なんですけど、著者のこれまで出した本もよい内容で信頼できると思うので、きっとよいはず。


図書館とかにも置いてもらいたいです。




自分の子供や他のトランスの人達に向けて何かメッセージがあるか考えましたが、あまり思いつかない。

正確には、ポジティブなメッセージが思いつかないです。


こんな世界で、ごめんねと思う。

差別から守れなくてごめんなさい。

でも勝手だけど、生きていてほしい。

苦しいことが多いのに、生きていてと願うのは、押し付けでしかないかもしれないけど。

必ず味方もいるから、何とか生き延びてほしい。


自分自身も広い定義では当事者と言えるが(でも自分のことはトランスとは思っていない。更にトランスの人が受ける差別は受けていないから自分は名乗る気もない)、生きるのが辛いのは非常によく分かります。


悲しい選択に追い込まれる人の気持ちも分かる。


本当は生きたかったと思う。


でも苦しみが耐え難く、追いやられたのだろう。


社会がトランスを排除する構造だから、この中で平穏にただ生きるだけが叶いにくい。


具体的にどんなに差別されていると言うのかと沢山あり説明しきれず、『トランスジェンダー入門』とかさらっとでも目を通して頂けたらと思うのですが。


ただ就職したくても、中々就職できない。

就職してもトランスだと明かしたら、クビになる。

あるいは社内でミスジェンダリングされて、いじめられる。

そのような目に遭って精神を病み、働くことができなくなる。。

埋没していたのに、いきなりアウティングされて会社にいられなくなる。

治療は自費、手術の費用が高い、手術を受けた後に休む必要があるが取れない人もいる。

性別適合手術を受けないとまだトランス女性は戸籍の性別を変えられないので、様々な理由で手術できない人や、しなくても大丈夫な人は、戸籍と実際に生活している性別がずれてしまい、あらゆる局面で苦労する、などなど。。

残念ながらよくある話です。


娘も、ただ平穏に暮らしたいだけだと言う。

それが許されていないのが今の社会。


娘が投げかけられる心ない言葉や差別待遇などに心を痛め、あまりにひどいと抗議したら逆に非難されて脅されて、、

自分自身、日々をやり過ごすので精一杯です。


あまり現実に向き合い続けるのも辛くて、適度に現実逃避の時間も意識して作っています。

いや、現実逃避しかしていないかも。


まあ僕に何かできる訳でもないので、だったらいっそ、考えないでいられるときは考えない方がマシかなとか。

あまり考えると何も手につかなくなってしまうし、でも生活しないといけないし。。


あとSNSは精神状態がやばくなるので、特にXは利用しないとか。。


いつか、当事者の会に参加してみたいなとも思っているけど、その余力が精神的にも肉体的にも中々なくて、、オンラインならまだいけるかもですが。


トランスジェンダー認知の日だということで何か書くつもりが、関係ない話になってしまいました。

読んでくださりありがとうございました。