is or be
英語に明るくない人間でもこの2つの単語は耳にしたことがあるのではないか
is と be
中学校1年で習った、(おそらく)最初に教わる動詞
is でも be でも訳し方は大まかに分けて2通りある
① She is a cock teaser. (彼女は思わせぶりな女である。)
この場合の is は「~である」という "存在" 或いは "状態" の訳となる
そしてもう1つが
② I wanna be a great lay. (私はセ○クスが上手な人になりたい。)
この場合の be は「~になる」という "変化" 或いは "動作" の訳となる
存在と変化
もちろん、前後のコンテクスト・文法構造などの関係性によってその訳が決まってくるわけなので
どちらかが絶対的に一方の訳を担うということはないんだが
ここでは話をわかりやすくするために、便宜的に対立項にさせてもらう
be という単語はいわば原形、つまり be 自体は変化することはなく未来永劫 be のままである
したがって、 be は 存在
逆に is は人称によって am/are/is と変形することができる
したがって、 is は 変化
さて、ここで諸君に考えてもらいたいことが1つある
人は本物に「なる」のでしょうか、それとも本物「である」のでしょうか?
もっと詳しく言えば
人は様々な外的要因を吸収・成長しその過程を経て本物「になる」のか
もともと人は本物「である」という本質的なものを自己の内部に抱えているのか
ということだ
無論、答えから言ってしまえばこれはどちらかが正解というわけではなく、両者を伴って初めて正解である(気がする)
外的な要因を自己というフィルターに通してこそ初めて内的反省という行為が成立するものであり、
必死に人生の答えを探していたら「答えは自分の中にありました」なんてしょぼいセリフは耳にたこができるくらい聞いている
ズレている、根本的にズレている
最近、やたらと贋をみる気がする
そういう年代なのか、目を凝らせば凝らすほど腐るほどいる
贋
ここでいう贋とは、本物ではない、という真逆の意味ではない
ここでいう贋とは、むしろ本物「であろう」とする者・本物だと「偽る」もののことを指す
しかし、彼らは一体何を偽っているのだろうか
それはおそらく、自分を偽っている
空っぽな自分
薄っぺらい自分を
それを必死に悟られないよう、ブラフをかましてくる
自分がさも本物であるかのように見せる渾身のブラフ
それはあくまで本物「のような」ものであり、一生本物「のような」ものである
エピゴーネンに過ぎない
なぜ人はそのような虚勢をはらなくてはならないのか
それはおそらく「自分にはないもの」を求めてすぎているからでないか
「自分にはないもの」を持っている者は当然、他者
だって、自分にはないんだから
「ない」ということは、とどのつまり非存在
存在しないのなら変化を好むしかない
外的な要因に頼るしかなくなる
それは言い換えるならば、満たされない欲望・常に飢えているという飽き
一生手に入らないという渇望性
俄然他者である
だから贋は傾向として執拗に「変化」を好む
今の自分を直視しようとしないし、直視できない
直視しようとしても、おそらく今度は肥大化させすぎた自己が足枷となるだろう
上で述べたように、本物「である」という存在を見つめ直すということは、自己というフィルターを見つめなおすと言い換えることもできる
自己のフィルター
お前にとってのフィルターって何?
常識?モラル?道徳?法?ステータス?世間体?体裁?虚栄心?金?信念?意地?プライド?なにそれおいしいの?
不純物
俺からしてみればそんなもの全部不純物だ
そんなカビの生えたスッカスカのフィルターじゃ自己を直視できるわけがない
今一度貴様に問う
いや、自分に問う
am/are/is で am を選択できなかった贋の俺に問う
俺は本物「になる」のか
本物「である」のか
本物「であろうとしている」だけなのか
これだけ理性で抗って、その先にあるのは原始的な感情なのだろうか
どこまで逝っても原形の be なのだろうか
大丈夫、
理性の先に待っているものは
まぎれもなく
狂気です
ー あとがき ー
これは僕が常日頃考えていることではなく、マンガ『アカギ』を読んで率直に感じたことです。アカギの才能が憎たらしかっただけです。アカギに自分のことを凡夫と言われてる気になってたまらなかったんです。(笑)アカギに認めてもらいたかったんです。だから歯が浮くような臭いセリフは全部アカギのせいです。スペシャルサンクス=アカギです。参考文献も『アカギ』です。(笑)
っていうかブログにあとがきて!いいかげんにしろ!