福島県南相馬鹿島区江垂 日吉神社
この神社で十二年に一度宝財踊りという神事が行われます。古老の間では口伝、伝承で霊山から北畠顕家が流れて来た。と信じられています。一般には千葉の流れ山から踊りながら殿様がやって来た。と言われています。( どんなお殿様、あるか? 苦笑 )

とうりゃんせ とうりゃんせ。って感じ❗
日吉神社は男山八幡神社から、約2キロメートル離れた場所に鎮座しています。
共に南北朝期に小さな祠が建てられたようです。
現在のように大きな神殿となったのは、
両神社共に明治以降で詳しくは解りません。
数々の南朝系神社と同じです。


裏の所にそびえる大杉。  何歳なんだろう
南北朝時代。陸奥国司北畠顕家のこもった霊山城落城のとき、桑折五郎元家なる者、霊山城の守護神山王権現と熊野権現を奉じて逃れ、十三人が踊りながらこの地に来た。とある。
龍の彫り物 相馬藩の神社には龍と鳳凰彫刻が多く見られる。  造れる人、今いるのだろうか?



真ん中に相馬の家紋の九曜紋。
両脇に笹竜胆が見える。同家紋は源氏の家紋といわれるが、江戸時代からそうなったようで、もとは村上源氏の代表家紋だった。
同じ社紋を持つ、霊山神社と日吉神社 
福島県伊達市 北畠顕家卿生誕七百年記念パンフレット。
宝財踊りが紹介されている。
桑折五郎元家ら十三人が北畠顕家の愛妾(松代の方)と遺児を守り、落ち延びた。と書かれているが?
相馬でなく伊達市で取り上げられています。
相馬では千葉の流れ山から踊りながら・・・と思われているのに。