トドの雄叫び天まで届く さよ~ならいるりーな舌咽神経午前9時(雅没徒第9番ヘ長調 )

トドの雄叫び天まで届く さよ~ならいるりーな舌咽神経午前9時(雅没徒第9番ヘ長調 )

チームF 
櫻井梨央(モーニング娘。16期)
長井莉依那(研修生38期)
広本瑠璃(OCHA NORMA)

レジェンド
譜久村聖 菅谷梨沙子 福田明日香 大谷雅恵 森咲樹 藤井梨央 野口胡桃 金光留々

 

元 モーニング娘。9期 で

9代目リーダー の 譜久村聖 は

1996年10月30日生まれなので

本日30歳になりました

 

 

30歳になるのが楽しみ と言ってましたね

 

 

♬ としをとるってステキなことです

  そうじゃないですか~

     (傾斜 中島みゆき)

 

年をとることにネガティブになりすぎると

人生がつまらなくなりますからね

やたら若いことをばかりもてはやす

ニッポンのマスコミがいかんのでしょうけど

 

 

2008年に研修生4期として加入

(当時はハロプロエッグ)

 

 

 

 

2010年の 娘。9期オーディション は

3次審査で落選しましたが

2011年1月2日にサプライズ加入となりました

 

 

 

 

 

 

2023年11月29日の横浜アリーナ公演で卒業しました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♬ 雨の匂いが十九のこの胸濡らす

  

とにかく耳に残る声でしたね

この時代になると

60年代後半にあったような

いやったらしい歌い方をする人は

ほとんどなくなりました

 

演歌の場合47抜きの音階になることが多いんですが

ヘ長調の47抜きだと FGACD になって

メロディーに黒鍵がなくなります

 

夜の訪問者(小川順子) 1975年

 

 

 

 

 

聴いてすぐわかると思いますが

作曲は吉田拓郎です

だからこの時代の楽曲としては

すでに古いタイプだったかも

いい曲だったんですが

あまり話題になりませんでした

 

 

 

1970年代後半は

抒情派フォークを中心に

心に残る曲がいっぱいあったんですが

音源がありません

たまにあがってもすぐ消されてしまいます

 

この時代 よく名大生協で

CBCの放出品が格安で買えたので

いろんなLPの試供品が入手できました

カセットテープの性能も上がって

オープンリールに迫る音質になってきました

そして80年代になると

レンタルレコードの店が

あちこちにでき

本山のキンキーハウスでLPをレンタルし

オープンリールやカセットに落としてました

キンキーハウス(2階)の1階には

インベーダーアーミー というゲーセンができ

本山の交差点にあった

東山だったか新世界だったか

パチンコ屋もゲーセンになりました

 

 

ゲームはゲーセンで

アーケードゲームをやる時代で

1980年は

アストロファイター

インディアンバトル

銀河帝国の逆襲

バルーンボンバー

などをよくやりましたが

どれも寿命は短かったような気がします

ファミコンの時代まで生き残ったのは

パックマンと平安京エイリアンと

クレージークライマーくらいかな

 

 

 

 

 

 

 

 

1981年に出た松田聖子の4枚目のアルバム

風立ちぬ は

それまでの3枚にくらべて

物足りない印象を受けたんですが

B面4曲目の 雨のリゾート 

だけは抜群の名曲に感じました。

 

作詞は松本隆 作曲は杉真理

 

 

♪もう ワイパァも 

    拗ねるほど 雨なの

 

 

 

 

1981年12月5日に発売された 1st.アルバム

 センチメンタルI・Y・O

の B面4曲目に収録されていました

 

デビュー直後は松田聖子と人気を二分する勢いでしたが

翌年になると82年組に押されるようになりました

 

 



♬ さあ出ておいで君の窓から
  朝まで恋の逃避行
  もう魂がショートしそうだ
  罪なバラード聞いて


1981年3月12日に発売された2nd.シングル
なかなか味のある曲なんだけど
前後の大ヒット曲に隠れて目立たない存在になっちゃいました 

 

 

 

今日を生きよう

(影山ヒロノブ) 

1981年

risako0092009-03-22

♪すべてを捨てて 生てゆくわと 

         胸にすがり 涙流し

  抱いてほしいと すがるお前 

        ひとり残して 旅に出た 

         悪かったのは 俺のほうさ

 

グラスルーツの Live for today 

(邦題:今日を生きよう)

というのを昔よく聴いた記憶があったので

てっきりそのカバーだと思ったら

グラスルーツのオリジナルではなく

60年代にイタリアで活躍した

Rokesというイギリス人バンドの曲らしい

 

グラスルーツのも

ワン ツー ツリー フォー 

シャー ラー ララララ

というのが印象的だったけど

影山ヒロノブのはさらにパワーアップしています

この人はその後アニソンをたくさん歌っています

この時代 レコードが

名大生協で2割引きで買えたのが大きい

ただ予約特典のつくものは

サカエチカの音楽堂で買ってました

FM放送もNHKFMとFM愛知の2局になったので

FMチューナーからピンピンコードで

オープンリールデッキに接続すると

レコードとほぼ変わらない音質で録音できました

 




FUN というのは たわむれ 

みたいな意味の単語で

ミリオンセラーになったアルバム
氷の世界 に収録されていて
松岡直哉がピアノ弾いています




ビートルズが教えてくれた

(よしだたくろう) 1973年

よしだたくろう の 伽草子 
というアルバムのB面2曲目に
ビートルズが教えてくれた
という曲が収録されていました

 

♪人が幸せになるのを

      批判する権利は誰にもない
 みんなが幸せになっていいんだ
    人に迷惑さえかけなければね
 ビートルズが教えてくれた

        ビートルズが教えてくれた


実際には 人に迷惑をかけない 

で生きていくのは不可能だ
だから 人に迷惑をかけたら 

その倍以上その人が喜ぶことをしてやる
という考え方のほうが

いろんなことができると思う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このころからカセットテープも登場するんですが

初期のものは音質が悪すぎて

使い物になりませんでした

でもFM放送からのエアチェックには便利でした

 

 

1973年2月10日発売の1st.シングル

 

 

 

 

黄色いリボン

(桜田淳子) 

1974年

 

 

1974年の紅白で

両側に山口百恵と森昌子

昌子は1972年デビュー

淳子と百恵は1973年デビューで

最初は淳子がリードしていましたが

百恵は2枚目の 青い果実 で追いつき

1974年の ひと夏の経験でブレイク

淳子は1975年の はじめての出来事

で 追いつきましたから

ちょうど1974年の年末は

少し水をあけられていた時期でした

 

 

 

 

(楽曲は見つけたら追加します)

 

 

 

 

 



 

1970年代になると民間FM局が開局して

洋楽がヒットするようになりました

バッドフィンガーがビートルズの

バックバンドをしてたこともあり

独特のサウンドで人気がありました

 

 

 

日本のアーティストでは

よしだたくろう が

全盛期を迎えていました

(1972年の 

 バイタリスフォークフェスティバル

 で初めて生で見ました)

 

 



メロディーに聞き覚えがありますよね
少しテンポを落とすと



 

1972年にCBSソニーから発売された

元気です。 には

とっても面白い曲がありました

 

♬ 馬が走ってく 馬が走ってく. 

   でっかい鼻の穴おっぴろげて 馬が走ってく. 

  馬が笑ってる 馬が笑ってる. 

   でっかい口をおっぴろげて 馬が笑ってる.

 

 

替え歌にしてみました

 

       です。
♪馬が死んでいる 
  馬が死んでいる
 でっかい鼻の穴おっぴろげて
   馬が死んでいる

 熊が死んでいる 
   熊が死んでいる
 でっかい目玉をギロっつとにらんで
    熊が死んでいる

 トドが死んでいる 
   トドが死んでいる
 でっかい体プカっと浮かべて
    トドが死んでいる

 ヒトが死んでいる 
   ヒトが死んでいる
 でっかいミサイルぶっ放して
    ヒトが死んでいる

 

 

 

生まれたのは1954年ですから

終戦から9年近くたった頃です

1954年には

中日ドラゴンズ初の日本一

洞爺丸台風

第5福竜丸の被曝

フルトウェングラー没

などがあったみたいですが

リアルタイムでの記憶はもちろんありません

1959年の伊勢湾台風は

はっきり記憶があります

 

東京オリンピックの1964年から
大阪万博の1970年までは
いわゆる高度成長期
新幹線や高速道路ができ
都心には高層ビルが増えて
都市部の景観は現在とそれほど変わらなくなりました
しかし地方ではまだ未舗装の道路が多く
古い木造建築がほとんどで
いわば地域格差の大きい時代でした
しかも衛生状態は悪く
車や家電もそんなに普及していないから
生活は不便でした
スマホや携帯はもちろん
まだパソコンもありません
固定電話すらないとこも多かったはずです

1959年の皇太子御成婚の中継をきっかけに

テレビが普及しましたが

近所にバレると面倒なので

押し入れに隠して見てました
60年代になっても

テレビで放送される音楽は
演歌歌謡曲一辺倒でしたが

ラジオでは深夜放送も始まり
関西ではアングラ的なフォークも多く
URC ベルウッド エレック などの
マイナーレーベルから
多くの楽曲がリリースされ
1970年にエレックからデビューした
よしだたくろう は
しだいに大きな存在になっていきました

 

 

♬戦い続ける人の心を

   誰もがわかってるなら

  戦い続ける人の・・・は

    あんなにも燃えないだろう




 

 

エレックからも  いくつかアルバムを出しています

 

青春の詩

おんすてーじ第1集

おんすてーじ第2集

人間なんて

 

 

裏本家 70年史  1964年~1970年 

ワンフラット50年史 ~1970年 |

 

3ヶ月で颯と駆け抜ける 雅没徒F 71年史 昭和編 

昭和39年~昭和50年

 

 

 

 

 

 

 

この時代はベトナム戦争もあり

世界的?に反戦が正義みたいな風潮があり

反戦歌っぽいものもたくさんありました

 

まぼろしのつばさと共に(五つの赤い風船)

 

 

♪君が死んだ次の夜に

   悲し涙であの娘は死んだ
  もういやだこんな世界は

    もう二度と見たくない
  君は若くたくましく

    短い命だったが
   まぼろしのつばさと共に 

      炎の中に消えて行った

 

 

 

 

イムジン河 という曲が

北朝鮮からのクレーム?

で発売禁止になり

同じ音階で作られた曲

(逆回転というのは作り話らしい)

 

 

 

テレビでよく流れていたのは

 


♬ 白 黒 抹茶

    上がり コーヒー

      ゆず さくら