アネキ -546ページ目

特殊な家庭環境で…(4)

祖父の(臨終)を看取った私は、その時、(人生の儚さ)を痛感しました(-.-;)…祖父の葬儀の日、父の弟が(塀の中)から外出を許可され、父親との(お別れ)できた事は、せめてもの救いだったと思います。その叔父も7年前に亡くなった事を人伝に知りました(´∀`)そして、叔父の逝去から2年目には三男の叔父も亡くなった事を知りました(-.-;)三男の叔父は二男の叔父の(金魚のふん)の様な人生だったので、きっと、生きる支えを無くしたのかも…どちらの葬儀にも、両親と絶縁状態の私に、連絡はありませんでした。息子達が幼い頃、実家に連れて行くと、父は何の心配りもなく、任侠話をしたり、子供には聞かせたくない話題ばかり…私は息子達の将来に(悪影響及ぼしかねない)と感じ、両親との交流を断ち切りました(≧▽≦)

粋な、お客様(^_-)☆

来店して席に着くと、1万円を差し出して、(今日は、これで飲ませて)と、チョット(粋な飲み方)をする爽やか紳士がいますo(^-^)o…決して、イヤミな感じではなく、風貌からも(人の良さ)が伝わってきます。大病を患い、暫く、ご無沙汰でした(´∀`)…昨夜は久しぶりの来店で、例のセリフ(今日はこれで…)を聞き、嬉しい気分になりました。病気の方は回復しつつある様ですが、歯の手術で体重が8キロ落ちたという、その外見は以前より若々しく見えました。(b^-゜)…若い頃、キャバレーやクラブで(遊んだ)飲み方の(名残)が今も続いてるのかも知れません。昔、企業に入社後、仕事も遊びも諸先輩から教わったと思い出話を聞いた事があります。♪(*'-^)-☆そう言えば、最近の若者は、諸先輩と飲み歩く事を(好まない傾向)にある様な気がします。ヾ( ´ー`)

特殊な家庭環境…(3)

私が小6の時、祖母が大阪に来ました。父に(長男だから、帰って来て)と説得する為です。(故郷を捨てる)覚悟で出てきた父も、母親の哀願を振り切る勇気はなかった様です…小6の2学期から、私達家族は再び(ふるさと)で暮らすようになりました…嫁姑の(いさかい)は相変わらず…その頃の私は、1日も早く大人になって、両親と(決別)したいと願ってました…中学2年の時、祖母が病気で急死しました…58才の若さでした…中学を卒業したら就職したい(親元を離れる為)と母に告げると、教育熱心な母は大反対!当時、既に進学率90%…母にしてみれば、(世間体)という、どうでもいいプライドで、私に進学を勧めたのだと思います。中学3年間を部活(体操)に集中し、淡い初恋も人並みに経験しました。生活費は、大阪で父と暮らす(愛人の稼ぎ)と姉の仕送り…姉は中学さえ卒業してなかったので、私と弟に(高卒)の夢を託してました。進学への希望がなかった私ですが、母のプライドと姉の夢を壊さない為、とりあえず進学する事にして、競争率の低い家から3分で通える高校を受験しました…合格発表の朝、祖父が2度目の(脳いっ血)で亡くなりました…愛人の為に、お風呂掃除の最中に倒れたと聞きました…きっと、浮気癖を心配する(ばあちゃん)が、あの世から(じいちゃん)を呼んだんだと思える(最期)でした。