どれだけ腕力があろうと
島の一つ動かすことはできない。

どれだけ知恵があろうと
嵐の海中に投げ落とされればなす術はない。

どれだけ覇があろうと
大波を打ち返すことは出来ない。

この海の前では
強い人も弱い人も
大した差は無いわけだ。

 

 

さて。
強いと言われる人は「能動的」だとも言える。

良い会社に就職する、
良い役職につく、
良い人と出会う、
そのために努力し成果を出す。
これを自らが行動して得ることができる者を
「強い」と呼んでいるだろう。

ただ同じ所に居続けるのではなく
自らの意志で、
自らの居場所を変えようとする事を
大抵の人間は「強い人」としているわけだ。

 

 

だが実際にうまく行くパターンは、
そこに苦労も犠牲も伴わなければ
何と戦う必要もなく、
わざわざ勝利する(つまり誰かを敗者にする)
必要すらない。

なぜなら
こういう事が少ないほうが
物事は必ずうまくいくからだ。


つまり、
苦労や犠牲の上に戦い、勝利する「イメージ」は
外部の人間の勝手な空想であり、
そこを「能動的に」突き進む人間の表現を
「強い」としているだけなのだ。

ここまで来ると、
多くの人が語る「強さ」と
「能動的である」ということとが
本質的に大差なくなってくる。

 

 

だが、困ったことに、

実際に「強い」とされる殆どの人は
大して戦ってもいないし
犠牲などとは思ってないし
努力も必要な分だけしかしていない。

ましてや
能動的ですらないこともままあるのだ。

 

 

例えばイチロー。
彼は突然野球をやめることはない。
必要なトレーニングを突然やめることはない。
彼はイチローであるために
必要最小限の事をしているだけだ。
なぜなら、過不足があれば続かないからだ。
この結果、
彼は毎日イチローだ。

この時彼の能動性は
一体どこにあるだろう。

例えば矢沢永吉。
彼も毎日矢沢永吉だ。
「俺はいいけど矢沢はどうかな」だ。

この時彼の能動性は
一体どこにあるだろう。

 

 

彼らはあくまでも受動的に
行動しているのがわかるだろうか。

「周囲」があり「役割」があるから、
それを全うしているだけなのだ。

つまるところ、
能動的であることすら
実は重要ではないわけだ。

 

 

さて。
「強さ」とはなんだろう。

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