自分が小さかった頃は、クリスマスほど素晴らしい日はありませんでした。私はクリスマスの朝を心待ちにしていましたが、クリスマスの前の週は耐え難いほど待ち遠しいと感じていました。クリスマスツリーの下に美しく包まれて置かれたプレゼントの光景は、私に魔法の瞬間をもたらしていたのです。正直どんなプレゼントをもらっても嬉しかったのです。私はただ何かを受け取るということ自体に心をおどろらせていたのです。他の子供たちと同じように、私も服よりおもちゃが好きな子供でしたが、どんなプレゼントでも嬉しいものでした。
しかし、時が経つにつれて、クリスマスは輝きを失っていきました。 大人になるにつれて、この祝祭日が不思議な存在ではなくなったと感じています。 それに、プレゼントを買うことを負担に感じるようになったのです。 本来クリスマスは何の見返りを求めず、贈る喜びを味わうものです。 しかし、年齢を重ねるにつれ、そのように考えることが難しくなりました。 クリスマスはまるでお返しをしなければいけない義務のような日だと感じるようになっていたのです。 もし誰かかからプレゼントをもらったら、それに見合ったものを贈らなければならないといった感じです。
私がクリスマスの魔法を再発見できたのは、自分の子供ができてからだと思います。私の新しいお気に入りのプレゼントは、クリスマスの朝にプレゼントを開けた時の子供たちの興奮した表情になったんです。こんなに喜んでくれる表情は、いくらお金をかけても買えない宝魔物です。
もう一つの素晴らしいプレゼントは、私がゆっくりながらも確実に、あまりにも若くしてこの世を去った父に似てきてることに気付いたことです。私と兄弟が幼い頃は、自分たちで作ったプレゼントを両親に贈っていました。私たちの小さな工作はおそらく酷かったでしょうけど、両親は子供たちの創造的な努力と感傷的な価値を、愛おしく思ってくれていました。でも結局はプレゼントを作るのをやめて買うようになりました。父は私(と兄弟) に何が欲しいのか教えてくれなかったので、プレゼントを買うこと自体が難しかったのです。ある日、クリスマスに何が欲しいかを父に聞いてみたところ、「無いよ。ただ皆に幸せになってほしいだけなんだ。」と初めて言われた時のことを思い出しました。まだ小さかった私は、「えっ、自分はプレゼントをもらいたくないと思うような人生は、過ごさないようにしよう!」と思っていました。子供の頃は父の言葉の意味が理解できず、少し寂しいなと感じていたのです。今では、我が子の顔に溢れる魔法のような幸せを親として眺めながら、これが毎年クリスマスに感じる最大の願いなのだと分るようになりました。
ミュージシャンの故デヴィッド・ボウイは、「年を取ることは、本来そうあるべき自分になる特別なプロセスである。」と語ったことがあります。加齢という概念を恐れる人もいるが、加齢は実に美しい現実をもたらすのです。人生は美しい。
