冨田さんの事件を観て。
なぜ、このような狂気な事件は、犯人が犯人になるまでのプロセスを解明していかないと、件数を減らすことはできない。
なぜなら、このような狂気で凶悪な事件を起こす犯人は、幼少期からこの狂気的な気質を抱くような環境にいた可能性が極めて高い。
その原因としては、親からの虐待、学校でのイジメ、社会に出てからのイジメ、外観や行動に対する偏見など、周りの人間から精神的攻撃をされていたからだ。
と、このての問題は、色々な形で存在しており、拾いだすとキリがない。
この陰湿な行為は、余程でない限り事件にならず、はたから見て「程度が軽い」と思われれば事件にならない。
しかも、その軽度の軽い行為はネチネチと続くし、ターゲットにされた人間は、その間、少しづつ追い込まれていく。
これは、自分は普通だと思い込んでいる人々が、自分の「普通だ」を守る為にとる行動で、自分より弱いと思い込んでいる人間を見つけ自己防衛の反応の結果だ。
そのため、普通だと思い込んでいる同士の集団が出来上がり、日々の鬱憤の掃き溜めとして弱い人間をイジメるのだ。
だが、これを認める人間はほとんどいない。
なぜなら「自分は悪くない」と主張したいから言い訳として、「あんなことで傷つくと思わなかった」で済ませる為だ。
たった一度なら、それでも済むかもしれないが、何度も繰り返しされたらどうだろう?
確かに、人を殺したり傷つける行為は良くない事だし、普通に許される行為ではない。
だが、今回の犯人の表情や裁判所での行動を観る限り、精神に問題が有ると感じる。
まず、犯人の周囲にいた人々から、彼にどんな評価をしていたか徴取をとることで、彼の本質が見えてくるだろう。
ここで大事なのは、彼の事を語る人間の「表情」が重要になる。
なぜなら「表情」は、言葉よりも正直で真実を見極めるのに役立つ。
人は、平然と嘘をつく動物だ。
大人になれば言葉を駆使して、それなりの嘘の物語を造ることができる。
特に、自分が危機に直面した場合はそうだが、それ以外では、人の不幸にも相通じるものがある。
更に、このような犯罪を犯す人間は、凶悪かどうかの判断が外見から見抜きにくい場合もある。
それは、「イジメ」のターゲットになる人は、外観的に目立たない場合が多いからだ。
また、彼のような予備軍は、今も日々の生活で「普通に生きる」と言う事に苦痛を感じている。
それは、他人が作り上げた「普通」を理解し実践しなければならいから。
この「普通」は、日本国民全員が同じ「普通」としていれば良いのだが、地域や性別、年齢など様々な要素入ると一変するから厄介だ。

そして、この「普通」が「苦痛」のタネとなりそれをどこまで、我慢できるのかは、本人にも解らないので、いつどこで起こるか分からない。

で、引き金として、自分が感じるのは、
TVでまともなふりして、本当は人の事より自分の事が最優先なのに、聖人ぶって雄弁に語るコメンテーターの一言が引き金になるかもしれない。
お笑いコントの一場面を、遊びと称しイジメの道具として使ったことで、爆発するかもしれない。
心理学の専門家と紹介された人間にもかかわらず、感情むき出しでしゃべりまくる異常な専門家の一言かもしれない。

人の「不の感情」に弱い人間は、思いのほか多く存在する。
これらの人間は、「私は普通」だと称している人が「こんなことで?」と思っている事に、過敏に反応する。
しかも、この敏感な人間は、優しく思いやりの深い人間が多く、自己犠牲を問わない人間達だったりする。
まさか、「あの人が?」と言われる事件が有るのは、これが理由だ。

この様な人々を「HSP」と言う。
もっと、彼らを知ることで、難題だと思われていた人間関係の問題が、解決される可能性は高い。
事件の抑制にもなるだろう。

イジメる人間とイジメられる人間の共通点は、人間性の欠如だ。
多くは、幼少期の出来事が起因とされる。
彼らは、どちらにもなり得る。
いじめがスタートするタイミングやきっかけが、彼らをどちらにするかを決める。
周りにどんな人間がいて、どんな状況で、どんな反応を周りが見せたかが鍵を握る。
そして、この「いじめのボス」と「いじめの被害者」以外の人間が「普通」称する人間で、この事態に理屈をつけ自分には責任が無いと言い放つ人間達だ。
 
人間は、無意識の領域では繋がっているという。
もしこれを信じるなら、「気持ち」や「思い」は伝わるはず。
自分が他人に放つ「気持ち」や「思い」がどんなモノを送っているのか、一人ひとりが気を付けるだけでも、大きな変化は有ると思う。
 
 
 
最後に、冨田さんが、心身共に回復できると信じます。
色々考えさせてくれて、ありがとうございます。
この様な事件が、繰り返されないことを、心よりお祈り申しあげます。