最近よく飲んでる缶コーヒーは「WONDA MORNING SHOT」です。

仲間由紀恵さんのファンなので、GEORGIAから乗り換えました。

…とても安易ですが。


これ、「朝専用缶コーヒー」ってCMでも言ってるし、缶にも書いてあるけど、

自分は、いつでも飲みます。

でも先日友人に話を聞いたところ、

「朝は飛ぶように売れてるけど、夕方とかはあまり売れず、たくさん残ってる」

って言うんです。ホントでしょうか?


ホントだとすると、「使用上の注意をよく読み、用法・用量を守って…」

ていうのと同じくらいに従順な人、多いって事なんでしょうかね。


CM出演者で決めるのと同じ、って思いますか…?

駅のアナウンスで、

「少しでもすいてるドアからご乗車ください」

っていうのをよく聞きます。

降りる時、階段に近いなどの理由からか、混雑の度合い

は確かに違うのですが…、


この言葉、真面目に実行したらちょっと滑稽ですよね。

「あっ、こっちのほうがすいてる!

 いや、あっちのほうがもっとすいてるぞ!!」


って。


あと、そのアナウンスを列車の最後尾に並んでいる時に聞くと

明らかにすいているドアがあって、思わず乗りたくなる。

「車掌室」


せっかくアフィリエイトになってんだから、自分もそれ使って買えばいいのですが、

待ちきれなくて本屋で買ってしまいました。前の記事 の本です。


まださわりしか読んでいませんが、ツッコミどころが多い仕掛けは小気味良いですね。

「行間を読む」と言う感覚にも近い。


おそらく著者はウィトゲンシュタインの着想が頭を駆け巡りつつ、「くだらない文章」

を書いているんだろうなぁ、と想像します。


このツッコミに自分の体が慣れてきて、

今までに紹介した哲学の本などもツッコミ入れながら読むようになると、

今度は流行り言葉や日常語にもツッコミどころが満載であることに気付きます。


たとえば、

「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ。」

などでも、「事件が起きている(起きた)場所」のことを「現場」と呼んでいる、という意味で当たり前じゃん!

というツッコミも可能だし、

「整理整頓すれば吉」という文言がおみくじにあったりするのも、考えてみればおかしい。

そんな事いつだって「良い行い」なのである。


おっと例を考えている間に占い関係に行ってしまった。

これは哲学的という以前に、普通の感覚で疑って読むことをお薦めします。


(インフォシークの)今日の山羊座の運勢だと、

―ポジティブシンキングでいけば、ツキがまわってきそう。

―あちらこちらに顔を出せば、儲かる話が入ってくるかも。

などですが、「~きそう。」「~かも。」というあやふやな書き方。なおかつ、

「~すれば」という仮定形。

見事に誰からも文句のつけようの無いものになっています。

たまたま当たったら、その占いを信じるようになるかもしれない仕組みだ。


文章をみたら何でも疑え。といってもいいかも

小梅太夫? コンビニで初めてこれ見たとき「小梅太夫?」って思って2度見してしまいました。

落ち着いてちゃんと読めば全然違うのに…。


小梅太夫って、いまエンタの神様とか(とか??そこでしか見た事ない…)で見かけるんだけど正直全然面白いと思わないんですよね。

何でもかんでも「ちっくしょー!!」っていうばっかりで、ホント好きじゃない。


なのに日常生活の中で「チッ」って感じる程度のごくごく些細な瞬間に、

「ちっくしょー!!」

ってのが頭よぎるんですよね。だからホントに好きじゃないのに。

ちっくしょー!!


…取り乱しました。残念!

そもそもテレビとかで「ギャグ」って言われているものってどうかと思ってはいるんだけど、

日常における使い易さで流行ったりすることも多いんだろうな。


…とかなんとか言いながら、結構お笑い番組も見てるんだよね。


変な質問 の回答締め切りました。

(サンプル数が少なくて寂しい…。ちゅうりんさんホントにありがとうございました。)


コメントにも書きましたが、自分はアとAだと思います。

でもイとBという人がいても、容認すべきだと考えています。


でもこれ、それぞれ単独で質問されたら、答えが「イとA」「アとB」になる人、いませんか?

こればかりは矛盾だと思うのですが、いかがでしょうか?


哲学はコンピュータの世界に喩えられたり、実際にモデルになったりしている、

と言われています。


プラトンの「イデア論」というのは、オブジェクト指向言語の「クラス」に喩えられます。


「人間とは何か」と考え、クラスの属性や操作に表す事が出来れば、

コンピュータの世界で「人間」を表現することが出来ます。


…よく見ると前の一文は循環していますね。「人間を表現することが出来れば人間を表現できる。」です。


ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」では、


―諸事態の成立・不成立が現実である。

―命題は事態の成立・不成立を描写する。


などの記述や、


―真な命題の総体が自然科学の全体である。


などの記述があります。

その他の箇所においても、

「真または偽」を無限に組み合わせる。

「真であるか偽であるか」というところまで分析する。

ような論調です。


これは、コンピュータの世界で言うところの「bit」です。

一番細かいところです。

コンピュータの内部ではbitを組み合わせて文字を書いたり、画像を表表示したりします。


でも、その画像などを、人間が手作業によってbitのon,off(0,1)を設定したりはしません。

コンピュータのプログラミングも0と1を完全に理解すれば、作ることが出来ますが

そんなことは誰もしません。昔はアセンブラという言語(かなり機械語に近い)を設計して

手書き、手入力していたけれど、今はもっと人間が理解しやすい言語を用いれば、

機械語に翻訳するのは機械に任せる事が出来るのです。


哲学も論理学の研究からフィードバックして、

誰でも理解できるものになるべきだと感じます。

音楽やってて、ふと哲学的になること:

・自分がステージで演奏している生の音を客席で聴く事が出来ないこと。

 他の人の音を、生で聴いたものと録音とで比較して、自分の録音から推測しているのだ。


音楽と哲学の共通点:

・どちらも、生きるのに直接必要ではない。

・だからこそ、他の学問とは違って、その人なりに楽しむ事が許される。

 知識や技量があると、「より」楽しいけど、なくてもそれなりに楽しめる。

・人から教えてもらってやるものではない。

 教えてもらったほうが、早くレベルアップする。

 だけど「なぜ早くレベルアップしたいか」と言えば、「その先に進むため」だ。



ここ最近、ヒゲは思い立った時にしか剃りません。

数えた事無いけど、自分で剃るのは1年に10回いってるかどうか?

それプラス、床屋で剃ってもらうのが年6~7回です。


床屋に行く時はいつも、無精ヒゲも最高潮に達してます。

と言ってもあまり濃いほうではありませんが。


だから床屋では、「ヒゲは全部剃っちゃっていいんですか?」と必ず訊かれます。

当然剃ってもらいます。

ヒゲを生やしているのではなく、剃るのがあまり好きではないだけなのです。


そんなこんなで、昨日床屋に行きました。

自分が行ってる店では最初に、小さなバリカンで剃刀を使用しやすい長さまでヒゲを刈られます。

そして、剃刀の前にもう一段階。


電気カミソリのヘッドのようなのに柄がついた物でシェービングクリームを塗った顔をチョリチョリ

剃られます。

これが家庭用にあったら、毎日ヒゲを剃ってもいいなあ、と思っていました。

それが使われたら、すぐ尋ねようと思っていたのです。

しかし、昨日はそれは使われませんでした。


これで店員さんに訊くのは2ヶ月おあずけになってしまいました。

ネットで調べようにも、どう検索していいのか見当もつかない。

「理髪店 業務用」とかいろいろやってみてもヒットしないし…。


どなたかご存知ないですか?