九州新幹線が来春いよいよ全通する。

僕の住む福岡県でもメディアはお祭り騒ぎだ。

住民も皆、喜びを口にする。

35年前に山陽新幹線博多開業を見た福岡県でさえ此の様相であるから、初めて新幹線が開通する熊本などでは福岡以上の騒ぎだろう。

しかし、僕はどうも喜べない。

地方の整備新幹線など政治家の意図が透け透けだからだ。

田中角栄の流れを組む旧体質な政治手法の匂いがプンプンする。

日本は戦後、税金の使い方を根本的に間違ってきた。

ある程度のインフラ整備は当然必要だが、それに乗じてどれ程無駄な公共事業がなされてきたか?

公共事業は国内の産業を刺激する効果はあるだろうから、民主党のような公共事業大幅削減論も問題である。

要は、どれだけ意味のある公共事業を多く行うかなのである。

周辺諸国に軍事的に脅かされ、アメリカには食料問題等で経済的に脅される…これが今の日本である。

日本を十分守れる軍備の整備になぜ投資をしなかったのか?

食料自給率の向上になぜ投資をしなかったのか?

答えは明白だ。

先に挙げたことはビジョンが広いからである。

軍備の整備や自給率の問題は日本全体の国益に繋がる側面が強い。

さらに周辺諸国に脅かされたり自給率が低いとは言っても、今すぐに戦争が始まる状況でもないし、輸入品とは言え食卓には豊富な食材が上るわけだ。

すなわち、これらの問題は一般国民の日常生活では見えにくいからである。

一方で新幹線や高速道路、空港などの建設は効果が分かりやすく地元の人に安易に喜ばれる。

所詮、日本の政治家は国の為ではなく地方の為なのだ。

さらに厳密に言えば、地方を喜ばせておいて得られる“清き”一票と地元企業との癒着、賄賂の為である。

真新しく綺麗な新幹線の駅や車両の向こうに腹黒い世界が見えるのは僕だけであろうか?
しつこいまでに流れる注意アナウンス。

電車が完全に停まるまで閉まっているホームの安全柵。

電車に乗車したら発車の際に「ドアが閉まります」と何度も放送される。

これが昨今の日本の駅の光景だ。

日本人は電車に乗る際の自己責任能力さえも負えなくなってしまったのか?

近年までホームに柵など無かったし、黄色い線も引かれていなかった。

僕が生まれる少し前(昭和60年代頃)まではドアなど開けっぱなしの列車も当たり前に走っていた。

電車がホームに入ってきたら危険の無い程度の位置に立つことさえも自己責任で出来ないのか?

発車の際はドアが自動で閉まることさえわからないのか?

別にこのような現象は鉄道の現場に限ったことではない。

電子レンジで飼い猫の体をを乾かそうとして飼い猫が死んでしまい、「生き物を乾かさないでください」との注意書きが無かったという理由で製造会社を訴えたという事件があったが、こんなものはどちらに責任があるか明白ではないか!

殺人犯が「ナイフの注意書に“人を殺さないでください”と書いてなかったから責任は自分ではなく包丁屋にある」と言うのと同じことではないか。

残念なことに、このようなオカシナ考え方に応えて、最近の電化製品には馬鹿げた注意書が羅列されているそうだ。

鉄道会社も何か事故が起こったとき責任を問われぬよう種々の対策を施さざるを得ないのだろう。

一体このような低能化社会を招いた責任はどこにあるのだろうか?
「平和」は万人共通の願いだろう。

しかし「平和」の論理を誤解している人々があまりにも多すぎるように思う。

よくメディアなどでも見かける“自称”平和主義者の多くはだいたい次のような主張をする。

「平和の象徴である憲法9条は死守すべき」

「自衛隊は軍縮すべき」

確かに一見、平和憲法を守ることや武力を削減することは平和に向かうように思える。

しかし、そのような考えはあまりにも短絡的で危険な考えではないだろうか?

そもそも日本国憲法は占領軍が制定した経緯からも明らかだか、占領軍の日本統治に都合の良いよう出来ていないはずがないのだ。

日本の軍事力を骨抜きにし完全に日本を占領軍の支配下に置くことが目的であったことは小学生でもわかる。

さらに「9条は平和の象徴で、日本の家宝だ!」と仰ぐ安易な平和主義者が現れることで日本人自らがこの9条を正当化、美化してくれることも占領軍は織り込み済みだったのではないだろうか。

要するに、憲法9条崇拝者とは占領軍の策略にまんまと引っ掛かってしまった“かわいそうな”人達なのだ。

第一、戦争大好き軍事大国のアメリカが平和を願って日本に平和憲法を与えたなど笑止千万ではないか。

次に自衛隊の軍縮論であるが、今回の尖閣事件やメドベージェフの国後訪問を通して、軍事力が弱いと周辺諸国がどう出てくるかがよくわかっただろう。

腹黒い周辺諸国を善人に変えてしまう説法でも出来ると言うのか!?

このまま軍事力を削減し続けるならどうなるか?

中国は尖閣を乗っ取り、好きなだけガス田開発を行うだろう。そして隙さえあれば沖縄さえも乗っ取るだろう。

ロシアは北方四島への支配力を一層強め、そこを前線として、かつてスターリンが狙っていた北海道の留萌~釧路ライン以北、以東への触手を伸ばすかもしれない。

韓国は対馬に移民を送り込み、圧力をかけて外国人参政権を獲得し、住民投票で韓国領に編入してしまうかもしれない。

北朝鮮はミサイル訓練を日本海や太平洋に向けて好きなだけ行ったり、再び工作船を日本に仕向けて来るだろう。

このような事態が平和と言えるのか?

国防力を強化し、誰にも侵略されず、安心して暮らす方がよっぽど平和だと言えるではないか。

出来るものなら地球から核兵器や軍隊が無くなり皆が仲良く暮らす世界が訪れればいいと思うが、そのようなことは空想に等しいほど遠いことなのである。

現実を鑑みた上で実現可能な平和を追求すべきではないだろうか?