この1週間、現実の仕事の忙しさに飲み込まれ、スピリチュアルとは程遠い時間を過ごしていました。瞑想して自分の内なる声と向かい合う時間も取れず、少々疲れ気味です。自分のやりたいことが見えてきているにも関わらず、その道を思うように進んでいけないもどかしさに、あせっているのかもしれません。先週のセラピーでも、あせってはいけませんとマスターに言われましたが、頭ではわかっているつもりなのに現実はなかなか難しいものです。

私の心が不安定なためなのか、ブログに向かってもいつものようにメッセージが浮かんできませんでした。いつもなら、こんな内容で書きたいと思ってキーボードを叩き出すと勝手に文章になっていくことが多いのに・・・。

こんな日は、私のバイブルでもある“神との対話”と向かい合いたいと思います。はじめて『神との対話』を読んだとき、私が探し求めていた真理がここにあると直感的に思ったものです。それほど、この本に書かれたメッセージに感動しました。宇宙の真理が、この一冊の中で整然と展開され、動かし難いリアリティとして見事に結実しているように思えました。心身が疲れている今日は、自分の原点に戻って、自分を癒してくれる言葉を“神との対話”の中から抜粋して紹介したいと思います。

『ゆたかさ』とは何ですか?

『ゆたかさ』とは、あなた方『そのもの』のことだよ。忘れてはいるが、あなた方は本来『ゆたかさそのもの』なのだよ。すべてを含むものだ。
だが、あなた方は偽りの自分としての自我(エゴ)を身にまとうことでそのことを忘れている。だから、ゆたかさを感じられずにいるのだ。

いつも、エゴは「まだ足りない」と言う、「何かが成し遂げられたなら、満足する」と言う。「今のままでは、満足できない」と言う。そのために、あなた方は自分が本当は『ゆたかさそのもの』であることを感じられない。もっと素直な自分でいてごらん。


『素直な自分でいるって、どうすればいいんですか?』

あなたは、自分がしたいことを無我夢中でしているとき、「ゆたかさそのもの」になることができる。楽しさ、嬉しさ、喜び、満足感に浸ることができる。無我とは、エゴという偽りの自分をなくすこと、夢中とは夢といわれている観念だけの世界、本当の現実の中にいることだ。それは、我を忘れることだ。エゴに執らわれないことだよ。エゴとは、社会や親や学校、常識などによって教え込まれた価値観、観念のことだよ。

人生とは、ゆたかさを味わうためにあるのだよ。人生は、楽しむためにあるのだ。幸せを感じるためにある、ゆたかさを味わうためにあるのだよ。それはつまり、わたしと共にあるということを感じるということだ。
そして、「わたしと共にあるということを感じる」ことが、魂が成長しているというしるしだ。魂が成長すればするほど、私との一体感は強まる。どんどんわたしと統合していく。そして、ますますゆたかさを感じていくのだよ。

いままで、目にとめることも無かった道端の花にさえ、生命の輝きを観る。そよぐ風に大地の息吹を感じる。小鳥の声に、生命のつながりを知る。自分が大いなるゆたかさの一員であること、ゆたかさそのものであることを知るのだ。

さあ、エゴのささやきに耳を貸すのをやめ、誰かの評価を気にするのをやめ、あなた自身の心の声にしたがってごらん。直観に耳を傾けてごらん。わたしの流れに身をまかせ、自然なあなたでいてごらん。自分というゆたかさに浸ってごらん。


今日は、私の直感に従い、自分というゆたかさに浸る日にしようと思います。