岡崎の桜まつり 家康行列 その2です。前の記事から続けて読んでください。 

家康行列の起源は、江戸時代に本多忠勝公を祀る映世神社祭典として岡崎藩主の指揮のもとに、鎧兜を付け、旗指物を立ててほら貝を鳴らし、隊列を組み、矢を放ち鉄砲を撃つなど戦法を鍛練した儀式が始まりです。明治に入り、旧岡崎藩士たちが甲冑を付けて行進する武者行列となりました。

金森戦記-岡崎
↑午前中は、大変寒かったのですが、空は快晴で本年度最初の祭では、絶好のコンデイションです。河原なので風が強く吹き口火薬が飛んでしまわないか心配していました。

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↑いよいよ出陣です。祭会場の河原まで、陣方を先頭に、旗印を先頭に、太鼓・銅鑼・ほら貝の音とともに、整然と厳粛に行軍していきます。

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↑道路沿いに桜の木があるので、只今、満開で、桜道を武者が行軍していき、大変美しい。

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↑行軍する私。背旗は、通称、五芒星と呼ばれる「晴明桔梗」にしました。なんでかというと、私の会社の近くの、名古屋市東区には、「晴明神社」があり、よく願をかけるからです。

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↑鉄砲衆は、午前中は、単独で火縄銃演武。午後からは、行列本隊が会場に入場してからの演武と2回行ないます。写真は、2回目のものです。

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↑いよいよ演武開始。火縄銃演武は、古式砲術の再現です。

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↑放つ場所まで行軍しまして待機。

金森戦記-岡崎
↑礼のシーン。

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↑一回目の演武は、一斉起ち放ち→中膝放ち順射→千鳥放ち→組放ち→組放ち→腰溜め放ち→追い放ち。の内容です。二回目の演武は、一斉起ち放ち→中膝放ち順射→千鳥放ち→追い放ちでした。

金森戦記-岡崎
↑このように何度も放ちますが、事故もなく終了しました。怪我も事故もなく終了できまして、感謝しつつも日々の精進を怠ることなく鍛錬していきたいと思います。

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