安祥文化のさとまつり の前の記事の続きです。火縄銃演武の様子の写真です。写真は頂きました。ありがとうございます。

安祥城については、織田信秀は、安祥城に城代として、織田信広(信長の庶兄)を置きましたが、これもまた今川・松平連合軍の攻撃によって落城し、織田信広・松平竹千代(後の徳川家康)の人質交換を経て、今川の将が城を預かることになります。実際に、その戦いで火縄銃が使われたとされていますが、使用したのは、守り手の織田方かなとも思います。数も初手のけん制・威嚇に使われたと思います。

金森戦記-安祥
↑火縄銃演武の様子。火縄つけ。

金森戦記-安祥
↑構え。放て~ヾ(@°▽°@)ノ


金森戦記-安祥

↑腰溜め放ち。

金森戦記-安祥
↑火縄銃演武終わりまして事故もなく不発もなく一安心。ヽ(゚◇゚ )ノよかった。


金森戦記-安祥

↑愛知県古銃研究会、参加者一同と記念撮影。文化のさとは、綺麗に整備されてイベントなど催し物がやりやすい歴史公園ですね。

金森戦記-安城文化のさと
↑資料館の職員さん扮する松平軍団。なんともマニアックな構成で、「松平清康」と「松平忠広」「本多忠豊」の3人。松平清康は、武名もあり強かった家康のおじいちゃん。忠広は父親、本多忠豊は、四天王の本多忠勝の父です。天候に恵まれてよい祭日和の文化のさとまつりでした。

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