紅葉が美しい
車で走りながら道沿いの赤や黄色のグラデーションを観ながら
今年も紅葉が美しいな…と感じ入り。
いのちが現れる時の「形」の美しさ。
物質が形として現れる時
そこには形の情報と
個体を維持するいのちのエネルギーがある。
いのちのエネルギーは一つの源からで
それが様々な形や働きを持つものになる。
絶え間ない動きの中で
形は変わり続け
生まれ消え続ける。
映画『マトリックス』で
緑の文字が流れて形が現れるように
微細なレベルになれば人も樹も何もかも同じなのだと感じる。
一つのいのちのエネルギーが
うごめきながら形を取っているように見えているという現象
であるという意味で。
そんな微細なレベルの意識で
目の前に存在する美しい紅葉に
「生まれてきてくれてありがとう」
と思っていたら
(あら?私も同じ造形の一つね。)
と思えて
私という形が今ここに在ることに、
私というアイデンティティの外側から感謝の思いが湧いてきた
(在る、存在すると表現すると
固定化したイメージになるけど
実際は「うごめいている」に近い(笑))
感謝も
存在に何かの利益を得られるような価値があるからではなくて
唯一の形をとっている、
その唯一性への感謝というか…。
存在全てに等しく唯一性がある
全てに感謝が生まれる。
その全ての一部が私だった!
私も感謝の対象だったか!
みたいな(笑)
人間である私の形を
人間を超えた視点から
全ての存在と同等に眺めているような。
その視点からは
人間である私は感謝の思いで認識されてるんだなー!
って
感謝する視点とされる視点が同時にあった。
感謝される視点の私は
今まで
人間としての他者からの視点でしか自分を観てこなかったのかもしれない。
それはいつも
「わかってもらえない」
「大事にされない」
という部分がどこかに混じっていた。
それが、吹き飛んだ。
感謝される
ということは
存在を認められ大事にされ祝福される感じで
それが人間としての私の中を一掃した。
チリひとつない
清浄で
ほんのりあたたかく
いきいきとした微細な喜びの泡で包まれるような…
この感覚も固定化するとまた別物になる、
一瞬の感覚を切り取って表現してみたのでシェア!