他人軸から自分軸へ
ということを以前よく目にしたり書いたりしていたけど
これは軸が平行移動するというよりも
もっと立体的な変化なんだろうなという感覚が生まれた。
「溺れる者は藁をも掴む」
が他人軸の世界なのかもしれない。
そして
溺れると思う時は恐くてもがいていて
(実際に水に溺れる時は静かに溺れるが…)
実は力を抜いたら自然と浮かぶ。
「溺れる者は藁をも掴む」
の時
藁が外側の世界の事や人で
掴んだとしても怖いのも変わらず
もがいているのも変わらない。
次々と違う藁を掴んで行ったって
それは変わらないまま。
自分軸は外側に基準が無い。
掴むもの、支えるものが無い。
海に浮いているような…
つかまるものは無いけれど
水に支えられている。
自分の中心だけをわかっている。
もしかしたら
水中の生き物はそんな感覚で生きているのかもしれないね。
自分軸
自分の中心だけをわかっている時
頭では理解できないのだと思う。
思考は何かの基準が必ず必要。
外側の基準、過去の記憶が。
それがなんなのかを思考では理解できなかったり予測できなかったりもすることが
自分の中心から発せられる。
その発せられるものだけを根拠に生きるのが
自分軸
なのかもしれない。