「被害者意識」
から
「全てを自分が選んでいる」
「全ては自分の為に起きている」
という意識へのシフト

更に押し進める時期なのかなと思う。



花火



「自分の感情や思考は自分から発生する事を引き受ける」
とも言い換えられる。



外側の誰かや社会や組織などが「原因」なのではない。
起きたことは全て自分がどう解釈するかを決めている。




花火




これをする事で
自分にパワーが戻ってくる。



被害者意識がある時、自分を左右できる力を、加害者に与えてしまっているから

それを自分が選んでいる事を引き受けた時に、自分を左右する力を自分に取り戻せる。



被害者意識のままでは、被害者であることは変えることができない。




花火




この被害者意識、例えばこんな些細な事にも現れる。



「怒られちゃった」



怒られる
というのは
子どものような立場の意識で
親とか大人に絶対的なパワーがある場合のこと。



自分が生きることを左右できる相手と認識している場合の意識。



無視される、
いじめられる、
聴いてもらえない、
わかってもらえない

なんかも同じカテゴリー。




相手が「怒ってる」
「無視してる」
「いじめてる」
「聴いてない」
「理解してない」


って言い換えたら感覚が違うと思う。
(それが客観的にそうであるかは別として。)




花火




人と人との関係性で
どちらかがどちらかを侵害する
(反対側からは、侵害される)

というのは幻想で

侵害しているというとき
侵害されるのを許しているという相手の状態が無ければ成り立たない。




自分が「怒られる」というとき
相手が自分を侵害するのを許している。




本当は
一人一人は独立した世界を持ち
自分の世界を自分で作っている。




その世界を、被害者加害者の意識で作っているから
被害者加害者が存在するように見えるだけだ。



そこに気がつくことが必要なのだと思う。




花火




とは言え
気がついてからも

過去に持った被害者加害者意識で生まれた思い(感情や思い込みやトラウマなど)は
その思いを認識しないとそこにあり続けるようだ。




だから
今の意識をシフトしつつ
過去の思い(それも今ここに自分の中にあるもの)も自覚したら捉え直して統合していくことが必要なんだと思う。