誰かに対して

「なんでできないの?」

って思うこと
よくあると思います。
(私もあるし、よく耳にします。)




「なんでできないの?」

って
できないからできないんですが(笑)
(その時点での必然なので)


「なぜ『なんでできないの?』という思いが
自分の中に湧いたか」

の方に注目するといいなと思うのです。




花火




それは一つには
自分がその点に関してその人より能力が高い
ということを認識していない
ということじゃないかと思います。



人はそれぞれ、得意なこと不得意なこと向き不向きなどがあります。

自分にとって得意なことは「当たり前」なので
できないことが理解できない。




この場合は
「自分はこの事が得意なんだ」
って自覚するよい機会を相手からいただいた事になります。




その一つの物差しで優劣を付けるのではなくてね
どんな事が得意なのかを知る、という感じです。




一つの物差し(例えば学力)で優劣を付けて優越感を抱いて
違う一つの物差し(例えばなにかのスポーツ)で優劣をつけて劣等感を抱く

なんて必要もなくて

どこが得意なのかを知るだけだと
自分も人も尊重できるんじゃないかな。





花火





二つ目は
自分がそれを頑張ってやっている為に
やれるように頑張らない相手を否定的に見ること。 



「私はこんなに頑張ってるのになんであなたは頑張ってやれるようにしないの?」



この場合、やはり一つ目と同じく

「頑張ればできる」という自分の能力

を認識していないのもあるかも。



相手は「頑張る」ことがそもそもできないのかもしれないし
頑張ってもできないのかもしれない。







そして
「なんで頑張らないの?」と思う奥の方では

「頑張らない自分」をダメだと思っている。



「頑張らない」のがダメだから
「頑張らない相手」もダメだと思う。



この場合も、「頑張らない自分も大丈夫」って
頑張らなくても死なないって見せてくれてるのが相手なんだと思うのですね。





花火




自分の中に湧いた
「なんでできないの?」
という思いを

相手を責める方向に使うのではなく
自分を深く知っていく材料に使ってみると
また違った景色が見えてきますね。




花火




こうして書くこととか話すことって
できてるからというよりは
書いてる本人にとって一番必要なメッセージなんですよねー(笑)


そして、シェアする事で他の人の氣付きにもつながったら嬉しいなと思ってシェアするのです。


シェアする事で自分もより深い氣付きにつながるのです。