こんばんは。
本日もご訪問下さり、
ありがとうございます。
表題とは違いますけど、
またまたお試し来ましたよぉ~。(笑)
今度は、先日、「訴訟仲間に入らないか?」
と言っていた方の逆の立場を擁護する人から。
要は、「訴訟されるらしい?側」からだな。。。
どっちもお仲間欲しくて必死なんだろうなぁ・・・。
いえいえ、「もう関わりません」。
一切無視です。
その知識と技術に関しては、
もっとまともで良質なところがありますから。
どうしても再度学びたかったらそっちへ行きます。
さてさて、表題の件に戻りましょう。
2019年の10月。
東北地方を襲った台風19号で、
うちの実家は床上浸水をしている。
うちの実家一帯は、水害の起きやすい場所で、
実はわたしが高校3年生の時、
まだ祖母が存命の頃にも床上浸水している。
それで先日の地震で被害が出てないのが不思議なんだけど。
自衛隊さん達、やっぱり凄かったです。(@_@)
その時、うちの両親は、
「ついでだ!」といって、
あらゆる物を捨てたんだよね。
古いけど、2階建てで部屋数は多い家。
以前はあらゆる押し入れや物入に、
沢山物が入っていたけど、
今は空の押し入れや物入がほとんど。
我が両親、初期は凄いショックを受けていた。
けど、そのうち「執着」が消えたんだよ。
「物」への執着も、「家」への執着も。
今の我が両親は、とても身軽な生活をしている。
母親が寝ている部屋にあった、
母親の嫁入り道具のタンスも捨ててある。
だから、家具の下敷きになる心配もない。
これって、凄く考えさせられる話でさ・・・。
日本って、持ち家信仰強いじゃない。
特に地方だと、家持って一人前みたいなね。
でも、こんなにも災害の多い時期に突入して、
「家」に執着すると、
何かあった時に辛くならないか?って、
そんなことを思うんだよね。
とはいえ、うちの両親も、
以前は「持ち家信仰」が強かった。
けれども、さすがに生きている間に、
2度水害に遭い、
東日本大震災も経験すると、
おのずと「持ち家信仰」が消えたようだ。
「持ち家信仰」が消え、
本当に必要な物と、
水害以外の災害時の備蓄のみで、
暮らしている両親は、
執着する物が無くなり、
よっぽどサッパリして生きている。
わたしを含む子供3人は、それぞれ離れて暮らしている。
直ぐに会いに行ける距離ではない。
けれども、両親に悲壮感は一切ない。
親子関係も整った以上、なんの憂いも無く、
彼らは日々満たされているのだ。
もちろん爺さんと婆さんだから、
今更見栄を張る必要もないというのもあれど、
人間、満たされると、物への執着も消えるようだ。
自分の両親を見ていて思う。
それと、やっぱり。
備えと覚悟あれば憂いなし。
うちの両親は、シッカリと災害保険に入っていた。
だから、災害に遭っても、余分な金銭的な不安は無かった。
心配・不安・恐怖に駆られていてはダメだけれども、
「もしかしたら」「ひょっとして」も想定して、
ちゃんといろいろ準備しておかないとダメですね。
最近、あちこちで地震が起きてる。
人工地震があるない以前に、
既に日本列島の地下は活動期なんだろうから、
誰もが想定して準備する必要はあるなと思ってます。
災害用トイレ、水、食料等、怠りなくです。
うちの両親も、我が家夫婦も、
『災害はいつだって起きる』
という心づもりで生きてます。
怯えてるというよりも、
準備して覚悟してるというところでしょうか。
(BOSのが一番臭いが漏れないです)
我が家も、災害に備えて、
備蓄品のローテーション等、
怠りなくやっていこうと思っています。