美しさとはなにか

美しさとはなにか

としをとるのがこわい。
美しさとはなにかを考える。

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伊吹島へ行ってきた。

お目当てはこれ。

 

小林耕平「ト・ラ・ン・ス・フォー・マー ―島に成る―」

 

このイメージ画像を見て私はゴーレム像のようなものを期待していた。

ゴーレムに逢いに行った訳だ、伊吹島まで。

結論から言うと、ゴーレムは居なかった。

 

小林氏がつくろうとしていたのは、ゴーレムなんてチャチなものではなかった。

小林氏の意図は、鑑賞者であるところの私たち自身を作品に仕立てあげることにあった。

よく見たら、パンフレットにも公式サイトにもそう書いてあるんだよね、ちゃんと。

 

島独自の技や生活の中にある自然を立体作品として順路沿いに設置。作品を回り、民族資料館の映像作品を見ることで「島に成る」ことを促す。(伊吹島マップ 作品紹介)

 

島を理解するために「島に成る」ことを促す試みを展開。道沿いや空き地、家屋、屋根など随所に、インストラクション(指示書き)と立体作品を設置。伊吹島民俗資料館には映像作品を展示する。(公式サイト 作品紹介)

 

小林氏の作品は島内21箇所にある。

これらの立体作品は「島に成る」ための“指示書き”とともに設置されているのだが、メインは“指示書き”であって、立体作品は“指示書き”を理解するためのヒントに過ぎない。

民族資料館にある映像作品は、“指示書き”を“立体作品”を通して理解する方法の解説だ。

そして、“指示書き”、立体作品、映像作品、これらすべてが揃っていても、小林氏の作品はまだ完成していない。

作品は、鑑賞者が島内を歩きながら“指示書き”に従って考え、行動することによって初めて完成する。

鑑賞者がつくるのだ、「島に成ろうとしている私」、「島に成った私」という作品を。

 

パンフレットの作品紹介をサラリと読み流していた私は、はじめ、トランスフォーマーがどういった作品なのかまったく理解していなかった。

島内を歩いていく中で点在している小林氏の作品を見て、なんかよくわからんなあ、とか思っていた。

でも、何作品目かを観たときに、ふと気づいた。

あれ? これってもしかして、鑑賞者が作品を観ることを通して段階的に島になっていくってこと? 「島に成る」ってそういう意味? トランスフォーマーは私自身?

で、強く思った。

島になりたい。

 

漫然と小林氏の作品を見ていた私は、島をもう一周することを決めた。

今までの作品を真剣に観ていなかったし、作品にふられている番号から判断するに、見落として通り過ぎた作品があることに気づいたから。

1から21まできちんと観て、島になろう、と思ったのだ。

そのあと、順路上にあった民族資料館の映像作品(立体作品の鑑賞方法が部分的に解説されている)を観てヒントを得たので、島になる意欲は高まった。

 

この日私は、トランスフォームのために伊吹島を2周した。

小林氏の作品をこの日もっとも真剣に観ていたのは私だ、と言い切れるレベルで観た。

という訳で、トランスフォーマーについてながなが書こうと思う。(まだ書くの?)

 

その前に。

伊吹島のほかの作品も紹介しておこう。

 

 

石井大五「トイレの家」

 

きれい。

一応ふつうのトイレで、男子トイレ・女子トイレ・多目的トイレ・物置、なんかがある。

実用トイレなので男子トイレの中は観られなかった。残念。

女子トイレの個室は広く、床には白い玉砂利、天井には穴があいていて、空が見える。

天井の穴は便器からは少し離れたところにあるので、雨が降っても大丈夫。

 

 

ウィルフレド・プリエド「限界」

 

上のイメージ画像とはぜんぜん違うのだけれど。

古い民家があって、その中に入ると、樫の木が部屋の中にある。

樫の木は上に上に伸びようとしているのだけれど、天井があってそれ以上伸びることはできない。

天井につかえて窮屈そうな樫の木。

まさに限界。

受付の男性(島の人)は「これ以上のびることができないこの島を表現している」と言っていた。

そうなの? だとしたらこわい作品。

伊吹島は、過疎化・高齢化が進んでいるそうではあるけれど。

 

 

アレフレド&イザベル・アキリザン「Here, There, Everywhere: Project Another Country -Dap-Pay-」

 

「限界」とは対照的に、希望にあふれた作品。

大きなパラボラがあって、そのパラボラを支える竹の柱にはたくさんの羽子板(なのかな?)が貼ってある。

羽子板には島の人たちがそれぞれ自らの屋号(伊吹島には苗字のほかに屋号がある人がたくさん居るそうな。平家の落人の子孫だから、らしい。)を書いている。

受付の男性(島の人)によると、これはパラボラアンテナで、島と世界をつながっていることを表現しているのだとか。

 

 

あと、伊吹島って渡り蝶アサギマダラの飛来地だそうで。

フジバカマがあるところに居るよ、ってことで私も見に行ってみた。

居た。

フジバカマは秋の七草。

 

萩の花 尾花葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝顔の花

 

この歌、小学生のころ植物図鑑に載っていたから憶えたんだけれど、大人になってから山上憶良作だと知ったときは驚いた。

まさか万葉集に載っている歌だったとは。

 

 

さて。
トランスフォーマーに話を戻そう。

以下の文章は、実際に伊吹島に行ってトランスフォーマーを(それなりに)真剣に観た人にとっては理解していただけるところもあるかも知れない。
が、観ていない人にはさっぱり、かも。
私自身のためのおぼえ書きと考察のようなものだ。


観ていない人にもトランスフォーマーのすごさを解って欲しい、とは思っているのだが、私の文章力ではムリ、というか、そもそも、ことばでは表現できないことを伝えるものなのだ、アートとは。
興味を持った人は伊吹島まで行ってみてください、ぜひぜひ。
(もう会期は残り僅かだけれど。)

 

トランスフォーマーは21の指示書きで構成されているが、この指示書きにはABCDEの5つの段階がある。

 

A 島と自分の体をひとつに重ねる(1~4)
B 自分を密室にする(5~8)
C 密室を外から見る(9~11)
D 密室内での引っ越し(12~16)
E 配置の違いによって、性質や能力がどう異なるのか?(17~21)

 

指示書きに従うことによって、ABCDEのプロセスを実現していく、という訳だ。
さらに、ひとつひとつの指示書きには「解説」が記されている。
この指示書きと解説とをここに記しつつ、ひとつひとつの作品について書いていく。

 


まずは、
A 島と自分の体をひとつに重ねる(1~4)。
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1 自分の体に風を通す
 【解説】人間は一本の管である。島も管として捉える。

 

吹き流しみたいなものが風に揺れている。
吹き流しに自分を重ねて、体に風が通る感じをイメージする。

 


--------------------
2 体の先に目があり、目の先にこの物がある
 【解説】猫にも人間と同じような形態の目が付いているが、
     人間と同じように対象を見ているとは限らない。

 

透明なチューブが横向きに下げられている。
チューブの中にはふたつ、楕円形の人体解剖図の切り抜きが。

 

――――――――――――――――――
 ◇           ◇

――――――――――――――――――

 

こんな感じ。
……さっぱりわからん。
解説に書かれていることの意味は理解できる。
しかしこの作品をどう解釈すべきかはわからん。

 


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3 先ほど食べたものを遠くに見る
 【解説】体内の状態を外から見ることはできないが、
     体内に在ることは事実である。

 

この作品、そもそもどこにあるのか判らなかったのだが、民族資料館の映像作品で紹介されていて判った。
目の前に空き地があって、空き地の奥のほうに、お茶碗とかお皿みたいなものが見える。
ほんとうに遠い。
遠くにあるお茶碗を眺めながら、それが自分の体内にある食べものだとイメージする。

 


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4 体から水が吹き出し、体の表面の熱を逃がす
 【解説】上の石の重さを分散させる。

 

どこにあるのか判らない作品、その1。
石垣の中にタイルがはめられていたのだがそれだろうか。
よくわからないのだが、とりあえず目の前には石垣がある。
積み重ねられた石の下に、一個の石として存在する自分をイメージする。
重い。
ここで体から水を……、ってわからん!

 

 

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ここで、A段階「島と自分の体をひとつに重ねる」は終了。
達成率は微妙。

 


次、
B 自分を密室にする(5~8)。
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5 体の内と外の空間を入れ替える
 【解説】空間とは、物質的なものに限らず、想像することが可能な
     領域のことである。

 

目の前には、肉色の壁。
とりあえず、体から内臓なんかを追い出して、体の中を空気で満たしてみる(イメージ)。
……ん?
「空間とは、想像することが可能な領域」ですって?
てことはアレだ、体を裏返して、皮膚の内側を宇宙にして、皮膚の外側に……。
……いやいやそれ難しいから!
そんなことができるなら私はとっくにアインシュタインになっているから!
……がんばる。

 


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6 手を使わず、見ることで物を運ぶ
 【解説】この島の北側に石門という波に削られて出来た
     岩の門がある。

 

ピンポン玉と針金でつくられた石門。(だと、映像作品を観て知った。)
石門は伊吹島の観光名所。
芸術祭の開催地域からは距離がある場所にあるので私は実物は見ていない。
ええと。
いま私の体の中に宇宙があって、そこには当然石門もあって、でも私は石門を見たことがなくて、けれど目の前に石門はあって。
陳腐な言い方をすると、想像をすることでものをそこに存在させることができる、ってことだろうか。ちょっと違う気がする。


宇宙は私の体の中にあって、すべてはそこに存在している。
手を使って動かさなくても、見ようと思えば近くになにかを(たとえば石門を)見ることはできる。だってそこにあるのだから。
うん、なんかちょっと密室化に成功してきた気がする。

 


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7 体を折り曲げて座る
 【解説】自分がここに腰掛けた状態を想像し、そのイメージを
     このオブジェクトに重ね合わせる。

 

石の上に人の形っぽく組み立てられた木材がある。
座っている、というより、仰向けに寝転がっている。というより、バラ殺死体風。
石の上に座ってから、木材に自分を重ねてみる(想像)。
空が見える。
しかし、この行為の意味はよくわからない。
島っぽく横たわるってこと?

 


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8 自分の体に水を溜め込む
 【解説】人間は密室の状態では袋である。島を袋として見る。

 

地面と平行に、大きな透明のビニールが張られている。
たゆみがあるので、雨が降ればそこに水が溜まるのだろう。
ビニールに自分を重ねてみる。これで水が……。
え? 私はいま密室なんだよね?
で、密室の中に水を溜めこもうとしているんだよね?
密室というのは、ほかのものの浸入をゆるさない場所である筈。
水を溜めこむって、密室の一部を開くってこと?
ちがう。
この密室の中は宇宙だ。すべてはそこにある。当然水もある筈。
密室の中で水を循環させるイメージ。
密閉された袋の中だから、状態変化かな、水蒸気が水になる。それを溜めていく。

 

 

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B段階「自分を密室にする」、終了。
成果はまずます。

 


さて次。
C 密室を外から見る(9~11)。
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9 ふたつの目を移動させる
 【解説】この位置からでは、物の側面しか見ることができないが、
     仮に目を上空に移動させることで、俯瞰した視界を
     想像することが可能になる。

 

フラフープっぽい輪っかが地面と垂直にあって、その中に黒い半球がふたつ、上向きにぶら下がっている。

 

 |  |
 ▲  ▲

 

こんなかんじ。
黒い半球が眼球だとすると、この眼は真上しか見えていない。
黒い半球を持ち上げてみる。

 

 ▼  ▼
 |  |

 

こうすれば下が見える。
さらに上に上に持ち上げて(想像)、俯瞰する。
密室を外から見る、だから、自分を見下ろせばいいのか。

 

 

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10 島の中から見上げる
 【解説】地面の中に目を移動させ、自分の足の裏を見上げる。

 

どこに作品があるかって、頭上だ。

上を見ないと気づかない。
赤い網で、人間くらいの大きさの巨大な足形がつくられている。
見上げる。
私は地面の中から自分の足の裏を見ている(想像)。

 

さっきは自分を見下ろした。
そして今度は自分を見上げた。
さて次は?

 


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11 頭を地面に潜らせ、島の養分を体に与える
 【解説】植物にとっての根は、人間にとってどの部位なのか
     考える。

 

フラフープみたいなカラフルな輪っかが、地面にいくつも並べてある。
これは……、わからん。
ここんとこ順調っぽかったのに!
植物にとっての根、養分や水を吸収するところ……ヒトにとっては、口か?
この輪っかが複数の口で、ここから島の養分を吸収しろってこと?
ちがう気がする。まーいいや。

 

 

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これでC段階「密室を外から見る」は終了。
密室を外から見ることはできた、一応。たぶん。

 


次へいこう。
D 密室内での引っ越し(12~16)。
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12 体を重力に従わせる
 【解説】二足で直立したままでは、家を建てる土地が少ないので、
     体を横にした状態にする。

 

どこにあるのか判らない作品、その2。
目の前に新しく塗られたっぽいコンクリートの壁があって、その一部が横長の長方形に切り取られている。

 

 凹

 

こんな感じ。
これが作品だろうか。

コンクリの壁の向こうには、
地面に並べられた瓦があって、その中央に1輪の花。
これはたぶん、
ウェルフリド・プリエト「伊吹の静けさ打つ水の音」
だな。
この作品は複数あって、今までにも見たもの、似たようなやつ。
だから小林氏の作品はきっとこれではない。

 

コンクリの壁の手前には、ゴミ収集BOX。
ふつうのゴミ収集BOX。金網でできたやつ。
これはたぶん、もとからここにあった、普通のゴミ収集BOXだと思う。
「収集日以外の日にゴミを出さないで」とか書いてあるし。
なんでこんな作品をわかりにくくするような場所にゴミ収集BOXがあるのかは謎だが、それが意図してのものなのか偶然なのかも謎だが、まあいいや。

 

兎に角、よくわからん。

仕方ないので、指示書きだけ見て、なんとか考える。
書いてあることの意味は解る。
寝っ転がればいいのかな?

 

それが「密室内での引っ越し」というのが、よく解らない。
「密室の引っ越し」なら解るんだよ、密室である自分を移動させる、って意味で。
ああでも、密室=島な訳だから、島を引っ越しさせる必要はたぶんないな。てことは「密室の引っ越し」ではないのかやはり。
では、密室「内」とは?
この密室は宇宙だから(このフレーズばっかりだな)、その中には当然、私自身の肉体もある。
私in密室、すなわち私in私。
密室の中にある、私自身を移動させる、ってこと?
それが密室「内」での引っ越し?
あれ? でも、私の肉体の中身は、内臓とかそういうのは、密室の外に出したままになっている筈。
あーもう、訳がわからん。

 

それにだ。
「家を建てる土地が少ない」の意味するところは、島としての自分を動かせ、だ。
飽くまでも、密室=島をなんとかしろ、と。
それを密室の中でしろ、ということは。
つまり、入れ子構造的に、密室の中に密室がある、ってこと?

……ここまで書いといてなんだが、私理屈っぽすぎるかも。
頭で考えることは大切だが、それ以上に、感じることが必要なんじゃなかろうか、トランスフォームには。

とにかく、重力にしたがって、横になった(想像)。

 


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12 体を徐々にスライドさせる
 【解説】歩いたままの状態で、体を寝かせるためには、
     移動していることを忘れさせる。

 

低いブロック塀の上に、白い、島のようなヒトのような形をした物体が置いてある。
そんなに大きくはなくて、掌よりも大きいくらい。
ヒトだと捉えるのなら、横になっている形状。
それが、徐々に向きを変えながら、複数ある。


ブロック塀の上を時間軸だとするならば、まさにこの白い人形は寝たままスライド移動していることになる。

ブロック塀の横を歩きながら、白い人形に自分を重ねてみる。

 


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13 背と腹を代える
 【解説】表皮に意識を向けることで、体の輪郭をほぐす。

 

クリーム色のコンクリートの欠片が複数、無造作にかたまって置いてある。
これらは、「5 体の内と外の空間を入れ替える」の肉色の壁を砕いた破片(の積り)なのだと思う。

 

解説、ゆる体操みたいなこと言ってるな。
表皮とは、自分と自分以外のモノとの境界線。
私たちは、自分の存在範囲が自分の肉体に限定されていると認識することで、確固たる自己として存在している。
その境界線をほぐしてしまえば、自己は周囲にとけてゆく。
自分の輪郭をほぐすことによって、自己を肉体に限定されない、より大きなものとして存在させることが可能になる。
ざっくり言えば、島と一体化するってことだな、きっと。

 


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14 眺めを転がす
 【解説】見えているものには重さがあり、その重さを受け渡す。

 

中心部が固定された筒がある。
構造としてはシーソーみたいな感じ。
傾けながら筒の中を覗きこむと、筒の中から球が転がってきて、目の前に迫ってくる。
球は糸で筒の中に固定されているので顔にぶつかったりはしないのだけれど、ちょっとこわい。
見えているものには重さがあると自覚させる、おもしろい作品。

 

「6 手を使わず、見ることで物を運ぶ」はできるけれど、運んだものには重さがあるってことだな。
解説の「その重さを受け渡す」がちょっと解らない。
受け渡すって、なにに? 自分に? 島に? 地球に?

 


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15 波の下の生き物
 【解説】自然が生成したものを、人は体に取り込み養分としている。

 

これまたシーソー構造。
シーソーの板の部分が、長方形のビニールトタンの板。
ビニールトタンが風に揺れている。

 

この作品、好き。
作品の下にしゃがみこんで、ゆらゆらするビニールトタンを見上げる。
私は、波の下の生き物。

 

 

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D段階「密室内での引っ越し」、終了。
島になれているかというと、成果は微妙。

 


いよいよ最終段階。
E 配置の違いによって、性質や能力がどう異なるのか?(17~21)。
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17 島に成ったあなたは、これをどのように見ますか?
 【解説】これまで島に成るための試みをしてきました。
     ある程度成功したと思える人は、この目の前の
     オブジェクトをどのように捉えますか?

 

民家と民家との間に、水色の発泡スチロールでできた物体が、横たわっている、というか、挟まっている。
「島に成ったあなたは」てことは、鑑賞者はもう島になっているのね。そーですか。
私自身の島になるという試みは、大成功、とは言い難い。
かなり真面目にやったんだけれどな。

 

このオブジェクトをどう捉えるかという問いについて、きっと正解はないのだろう。
大切なのはこの問いに自分なりの答えを出すことであって、それがその人の島としての在り方を示している、ってことなのだと思う。

で、だ。
私は島だからあの物体は私を構成している要素のひとつであり……とか言いたいところなんだけれど……、うーむ微妙。

 


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18 全身を目にする
 【解説】物質の塊であるあなたにとっては、全身そのものが
     目のような機能をする。

 

1軒の家があって、その家の周囲に1本、黄緑色のロープが張り巡らされている。
このロープが目、なのだろうな。

 

 

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19 島のフタを開く
 【解説】島の中に海があり、島の中に大気があり、島にとっての
     フタは海と大気の境界線である。

 

釣り竿みたいなものが池の淵に固定されていて、釣り糸の先には麦茶の容器みたいなもの結んであって池の中に沈んでいる。
釣り竿を動かすと、容器の蓋を開けたり閉めたりすることができる。
「フタは海と大気の境界線」。
フタを開くと海と大気との境界線がなくなる、ってこと?
海の中の水分が水蒸気になって大気にとけこみ、大気の中の水蒸気が水になって海にとけこむ、ってことだろうか。

 


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20 蒸発、落下、水平
 【解説】大気と陸の間を人は移動する。人と同様に水も移動する。
     島に成るとは、固体から液体、そして固体への変化である。

 

透明なビニールのチューブがU字型に吊り下げられている。
チューブの中には水が中ほどまで入っている。
水の状態変化。
「蒸発、落下、水平」というのは、水(海とか池とか水たまりとか)の水が〈蒸発〉して雲になって、雨(雪)として降ってきて〈落下〉、また水(海とか池とか)になる〈水平〉というプロセスのことだろう。

解説の、「固体から液体、そして固体への変化」の意味するところは?
固体であるところのヒトの肉体が液体になって、固体であるところの島になる、ってことだろうか。
私の体が融解して液体になって、さらに蒸発して気体になって上昇し、液化して落下し、凝固して固体になる。
雨みたいなイメージで島の一部(池とか)にはなれそうな気がする。島そのものは……どーかな。

 


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21 あなたは今どこを歩いていますか?
 【解説】「先ほど食べたもの」を近くで見る。

 

目の前にはお茶碗とお皿。
これは、「3 先ほど食べたものを遠くに見る」において、遠くから見たのと同一のもの。
島をぐるっと一周してきて、同じ場所(ただしさっき見た場所からは反対側の道)に戻ってきたんだね。

 

いまどこを歩いているのか。
こう問われてハッとした。
私は歩いているのだろうか?

 

もちろん歩いている。
歩いて、歩き続けて、ここまで来た。
でも、「島である私」と「島を歩いている私」とをべつに捉えていたというか。
島であろうとすることで、島を歩いている私(=肉体として実在している私)のことを自分から切り離していた。

島になりきれているのなら、「島を歩く」という行為は自分の一部を動かすこと、という認識になるのだろうか。
自分の上を自分が歩いている、と。
ちがう気がする。
島は歩いたりしない。
見ることでものを動かすことはできても、手足を使ってものを動かすことはできない。

 

たぶんここがゴール。
歩いている自分を自覚することで、私たちは自己が自分の肉体に限定されていることを思いだす。
島からヒトに戻るのだ。
遠くにあった筈の「先ほど食べたもの」がいま目の前にあるのは、「見ることでものを運」んだからではない、自分の足で歩いてここまで来たからだ。

……まあ私はそう解釈したのだけれど。
島になりきれた人だったら、また違った答えを出すのかも知れない。

 


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以上で、21作品すべてを鑑賞したことになる。

島には、なれたような、なれていないような。
少しは島になれた気はする。でも。
島になれましたか? ってイエスノークエスチョンに応えるならば、イエスとは言い切れない、どちらかと言えばノーだな、これは。
ただ、作品そのものはすっごく楽しめた。
もう一度伊吹島に行って、じっくり腰を据えてトランスフォームに再挑戦したいところだけれど、スケジュール的にきびしいな。