こんにちは。
心理士のマルです。
「学校は何のため?」の続きです。
不登校は少数派なので
「皆と同じことをしていないから不安になる」
ということも多々あるように思います。
でも、大人になってみると
同年齢の人が何十人・何百人と集まって
同じことをするというのは
ちょっと異常
ではありませんか。
人によって感受性が違うのですから
(客観的に特に嫌な出来事がなくても)
集団で過ごすことが「死ぬほど辛い」
という人もいるかもしれません。
それなのに
いつの間にか
「学校は行かなければいけない場所」
になっていませんか。
「学校に行かなければ学べない」
「学校に行かなければ友達ができない」
「学校に行かなければ
引きこもりになるのではないか」
「同年齢の多数派と同じことができなければ
落ちこぼれになる」
不登校には
そんな恐れがつきまとうような気がします。
でも本当は
そんなことはありません。
何年も不登校だったけれど
大人になって立派に働いている
家庭を持って楽しく暮らしている
という方を、私は何人も知っています。
どの方も
言われなければ
「不登校だった」と分かりません。
公立の小中学校に所属して
教育を受けることは
子どもの権利。
学校へ行くことを
子どもの義務にせず
子どもの成長のために
その権利をどんなふうに使うか/使わないか。
子どもが不登校になってからは
「学校」について
そんな風に考えるようになりました。
子どもが毎日学校へ通わなくても
☑️学校から情報をもらうことはできるので
配られる教材や情報を使ったり参考にしたり
☑️図書室や不登校支援室を利用して
子どもにとって
楽しい(または、そこまで嫌ではない)
「学校」での過ごし方を見つけて
家族以外の人との交流の場を作る
☑️我が子が人との交流を心地良いものとして
楽しめるように配慮していく
など。
私にとって「学校」は
「子どもが行かなければいけない場所」
ではなく
「子どもの成長に役立てるために
利用する場所」
です。
その利用価値は
○校長の考え方によって
○担任の先生や
子どもに関わってくださる先生によって
変わるかもしれません。
校長先生の理念や
担任の先生の価値観・考え方によっては
「利用価値があまりない…」
と思える場合もあるかもしれませんが
「我が子の成長のために学校を利用するなら
どんな利用方法があるだろう?」
と考えてみても
損はないと思うのです(^^)