勘違い形而上学的デザイン学。~Swipe File~ -2ページ目



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「デザイン」とは一体何なのか?

これは、自身の職能に対する基本的な問いであり、

この問いのどこかに答えようとして僕はデザイナーとしての

日々を過ごしている。

(デザインのデザイン 原研哉 岩波書店)


これは、「デザイン」をするにあたって根本的な問いとなる

一つだといえます。

ここにある答えは、軸として自身が持っているものがありながらも

時代という流れに合わせて変化をさせていくという感覚も

入れる必要があるのではないか、と。


つまり、土台がありながらも、常に一定以上の変化をさせる

必要があるのではないかと僕は思うのです。


だから、今、ここにおける僕の思想はあるけれど、
それが「デザイン」というものである以上、「時代」というものには

どうしても逆らえないし、逆らってはいけないものであるはず。


時代の変化に対応しながら、根本として持っている哲学は、
同じとしながら、それを自己の成長と共に、より深いものへと
進化させていかなればならない。

デザインのデザイン/原 研哉



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これの中身のP108にある無印良品に関する見方が

あー、時代を反映しているものなんだなー、というのを

非常に分かりやすいかたちで実感したのを思い出しました。

デザイナーが何かを産み出す、

その瞬間の思想といういのは、モノ自体からは

こちら側の主観でしか想像することが出来ないと思うのです。


それで良いといえば、良いのかもしれない。


モノというのは、その場においてそれぞれの人にとって

何かしらを感じられるものであれば良い、という視点は

賛同出来ると思っているのですが、そこで終わってしまったら

自分の世界観で完結してしまうことになって広がりが少なくなってしまう。


そこで終わらず、造り手の思考プロセスを理解することが出来たら

無かった視点が増える可能性は大いにあるし、

モノ自体をより深く味わうことが出来るかもしれない。

コンセプト産出 スーパーマニアック仕事集/今福 彰俊
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これ、なかなか面白かったです。

しかし、そういった、デザイナーの思想がどんなものかを

想起させられて知りたいと思うものは少ないよなー。


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勘違い形而上学的デザイン学。~Swipe File~


ブランドのアイコン的存在であるTシャツ。


価格も通常ラインものアイテムよりも

抑えれていて手にとりやすいためか、
多くの人が持っていると思います。


毎シーズン、カラーバリエーションに変化を
加えて出しているのですが、文字自体に変化は
ありませんでした。


しかし、今年から年に一度だけ別言語バージョンを
発売していく模様。


で、今年は日本語というわけのようです。

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勘違い形而上学的デザイン学。~Swipe File~


これが通常言語のタイプです。


言語が違うだけで、これだけ雰囲気が違う。


個人の言語に対するイメージ(個別の認識の領域)はどうか、
という主観によって、同じメッセージが込められている
グラフィックでも全く別物に見える分かりやすい例ですね。


勘違い形而上学的デザイン学。~Swipe File~


中央部で片持ち梁となって、下り斜面の敷地に向かって突き出している

曲芸ともいえそうな外観をした建築。


見ての通り、建物の半分が浮いた状態となります。


一見すると、奇抜なデザインにみえるけど、

敷地、周囲の景観の調和を計算された設計になっているよう。


実際の状況は現地にいってみないと分かりませんが、

もの自体が発するイメージだけでは捉えられない解釈が

認識する範囲を広げる事で、解釈の可能性が広がる

良い例なのではないかと思います。


もの単体だけでは無く、全体として「どうなんだ?」という見方ということ。


勘違い形而上学的デザイン学。~Swipe File~


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勘違い形而上学的デザイン学。~Swipe File~

これからの時代は、アート性もデザイン性も

理解したうえで、新たな価値を提示していかなければ

ならないと思うのです。


かの有名なデザイン教育機関のバウハウスは

こんなことを書き記している。


芸術家とは高められた工芸家の姿である、と。


あらゆる素材を理解し、技術を理解し、

それらを使いこなすことによって、

そこに造形における創造性の源泉があるのだ、と。


上記の造形の部分は、企画という言葉に置き換えても

さほど違いは無いのではないでしょうか。


デザイン的な視点を持ちながら、アートの領域まで昇華させるのか、

アートの領域を理解しながら、デザインの領域で留まらせるのか、


どちらの価値を提示するにしても、アートとデザインは

理解し、自由に使えるようになっている必要があると思うのです。


この視点で色んな企画が生まれれば、

きっと楽しいものが、たくさん産まれるんじゃないかなー、

と思うわけです。