❷ツインレイのプロセス(情報)にある近しい人の⋯ その❷ | ツインレイ OneでOnlyな道。:°ஐ..♡*

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サイレント期間が12年あったツインレイです。
◎体験体感を通して知ったこと◎心持ちの変化を記しています。

~with the universe~


ブログへのご訪問、

がん告知も

まだだった時に、
放射線科で聞かされた
   父の脳への転移。
 
 
前回をまだの方は
>>>>その❶から
   お読みください‪ෆ‪.*・゚
 
 
それでは参ります。
 


その日から放射線を
    照射する事となり、
急遽
  入院となりました。
 
 
放射線を照射する為に
父専用のフェンシングの
マスクのようなものを
作るという事で
妹と一緒に
廊下の長椅子に座って
待っていました。
 
 
父は言わなかったけれど
    頭が痛かったのだろうか。
 
いつから
調子が悪かったのだろう。
 
  畑も田んぼも、
 
その年は自治会の
  役員もしていて、
 
なんでもかんでも
父におんぶにだっこで
任せっきりだった。
 
 
色んな思いが込み上げて
   涙が止まりませんでした。
 
 
 
私は入院の手続きで
 
  書類を読んでサイン⋯
 
  書類を読んでサイン⋯
 
が続きました。
 
 
看護師さんにしたら
日常的な流れなのでしょう。
 
 
書類を読んでいる途中で、
あれ?父が居ない!
 
 
言葉を交わすこと無く
車椅子に乗せられて
連れて行かれて
 しまいました。
 
 
近くにいた看護師さんに
『帰る前に父に会えますよね?』
と、聞きました!
 
 
『もう病棟に上がりましたよ。』
 
 
・・・・・絶句。
 
 
 
コロナ禍で
面会もできない
   時期でした。
 
 
私がエレベーター近くの所で
看護師さんに
入院に関する説明を
妹と2人で受けている時、
 
病衣に着替えて
車椅子に乗せられ
1回目の放射線治療を
受けに行く為
エレベーターを待っていた父に
妹が気づきました!
 
 
『お父さん』
 
思わず駆け寄って
 
『お父さん、みんなでパワー送るからね!』
 
 
余計な心配をさせたくないのに
涙が出てしまいました。
 
止まらないほどに。
 
 
『はいよ。ありがとう!』
と父が言い、
握手をしました!

続けて
父が言った言葉は、

『お母さん、心配するだろうな~。
お母さんを頼むね!』

でした(T^T)

 
私が両親に心配を
掛けた時、

『俺は、お母さんを幸せに
したいと思って結婚した!
早くお母さんに
専念させてくれ!』

父に言われた言葉です!

父は母を大事に大事に
していました!

だから私は子供の頃から
結婚したら両親のような
夫婦になりたいと
  思っていました!

それは今のところ
  残念ながらまだです。


これまで
母と離れた事も
 
入院した事も
  無かった父です!
 
しかも
父はスマホの操作も
   忘れてしまい、
 
もちろん
それどころでは無かったと
思いますが、
 
家族と面会も出来ず、
声を聞く事も出来ない中で
どんなに心細かっただろうと
思わずには居られません。
 
 
洗濯物を
取りに行っても
ただ看護師さんに
受け渡すだけ。
 
 
全く父の状況が
分かりませんでした。
 
 
その後の様子が
  知りたかった⋯
 
 
だけど⋯
 
 
『後日、先生からお話しがあると
思うので お待ちください。』
とだけ言われ、
 
不安な2週間程を
 過ごしました!
 
 
 
我が家の庭木は
父が、いつも綺麗に
   手入れをしていました。
 
 
畑も、いつもキレイに
していました。
 
 
なので私も、
出来ないなりに
父が退院して来た時に
喜んで貰えるように
  母と一緒に毎日、
畑に行きました!
 
 
なんでも出来る父
だったので
母は父に
指図などされた事は
一度も無いと
   言っていました。
 
 
なので
庭木の剪定などの手入れと
野菜は父が育て、
 
草取りや花の手入れ、
それから父が作った
野菜を料理するのが
母でした!
 
 
2人はいつも
楽しそうでした!
 
 
なんて幸せな毎日の中に
いたのだろうと
    心から思います‪ෆ‪.*・゚
 
 
 
ある日、
畑で草取りをしていたら
スマホが鳴りました!
 
父のスマホから!
 
急いで手袋を外し、
電話に出ました!
 
『もしもし』 
 
という
父の声( •̥̥̥ ࿁ •̥̥̥ )♡
 
 
『お父さーん*.(*´͈ ˘ `͈*).*
 
 
看護師さんに
電話、掛けてもらったの?
と聞くと、
 
自分で掛けたよ!
と、元気そうに
答えてくれました!
 
*・'(*゚▽゚*)'・*
 
治療のお陰で
とてもスッキリしていると
父は言いました!
 
 
そして毎日、
電話をくれました!
 
 
私も毎日、
畑の様子を写真で送って
  指示を貰ったりしました!
 
 
近くのクリニックで
診て頂く少し前、
🌈環水平アークなるものを
玄関先で
父と一緒に見ました!
 
 
その後も虹を、
 
彩雲に、
ダブルレインボー、
 
何度も何度も
見ました!
 
 
遭遇する自然現象からは
吉兆を感じるものばかり
でした!
 
 
の誕生日にも
父の洗濯物を
受け取りに
   病院に向かう途中、
大きな🌈虹が掛かり、
 
全て順調!
というサインと
受け取り、
 
きっと治る!
 
 
そう思いました!
 
そう思いたかった!
 
 
心を合わせて
  生活しようねと、
母と息子達と
  意識合わせをしました!
 
 
数日後、
退院に向けて
リハビリが始まったと
嬉しそうな父から
連絡が入りました!
 
 
    ほんとー(∩ˊᵕˋ∩)・*
 
 
よかったー(T^T)
 
 
とはいえ、
肺の治療はまだ
していませんでした。
 
   脳に放射線を10回、
照射したばかりと
いう事で
 
抗がん剤治療は
 
通えるくらいまで
  体力が戻ったら!
という
説明を受けました!
 
 
要するに
今できる治療が無いから
弱った足腰を
リハビリして退院という
  事だったのだと思います!
 
この時もまだ
咳や、
ましてや血痰などは
   出ていなくて、
 
家族といたほうが
元気になる!
 
そう思いました!
 
 
この時もまだ、
父のステージが
どのくらいなのか等
全然、聞かされて
   いませんでした。
 
 
退院するにあたり、
ケースワーカーさんに
地域包括支援センターの事など
情報を頂きました。
 
 
ケースワーカーさんの
ほうから
 
『余命のお話しなど先生から お話しはありましたか?』と
聞かれました。
 
 
ステージについても
先生からは何も⋯と
伝えると、
 
そうなんですね。
と、
なんとも言えないといった
表情をされているのが
マスクをしていても
見て取れました。
 
 
先生から退院について
   やっとお話しがあり、
 
聞いておきたい事は
ありますか?と
聞かれたので
 
   怖かったですが、
大切な事なので
ステージについて
    お聞きしました。
 
恐らく、
 
伝えたつもり⋯
 
だったようでした。

 ・

次回、その❸に続きます。


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