霧 春の花を探しての「赤坂山」登山。
“武奈ノ木平”と砂防ダムの堰堤を超えてからの後編は、“粟柄越”から山頂を目指しての稜線登りになります。

しかしこの日は風が強く、登れば登るほど遮るものがなくなって強風にさらされることになりました。

峠の近くの九十九折の道の途中には石畳の道が残っており、かつて粟柄峠が物流の道だったことを思い起こさせます。
「赤坂山」は福井県と滋賀県の分水嶺に辺り、若狭とマキノを結ぶ物資輸送のルートだったといい、荷を積んだ馬もこの道を通ったようです。
 

 

尾根道に出ると「地蔵石仏」が、かつては荷の輸送をする人馬、今は登山者の安全を見守るかのように祀られています。
この近辺は、昨年のGWの頃に登った時には一部残雪が残っている場所があったのですが、今年は見る影もなかったのは、暖冬だったのか例年より気温が高い春だったのか。

 

一般的には“イワウチワ”として知られている花ですが、「赤坂山」にはイワウチワの変種の“トクワカソウ”が咲いています。
トクワカソウとイワウチワの違いは葉の基部の形で見分けるそうですが、並べないと違いは分かりそうになく、北陸~近畿北部の日本海側に分布するのがトクワカソウだそうです。

 

トクワカソウは、花の終わりが近づいている時期で、実際に花が落ちていたり落ちそうなものも多かったのですが、まだ見られる時期に間に合いました。
花の色が若干違ったり、葉が紅葉したものと緑のものがあったのは、陽射しを浴びる時間の長さの影響でしょうか?

 

トクワカソウの花冠の内部、雌しべの辺りに蟻が2匹いるのが見えます。
花は蟻に受粉の手助けをしてもらい結実につながり、蟻は花の蜜で養分を得ることが出来るので、生態系の中で共存共栄が図れています。

 

巨石をくり抜いた中にお祀りされているのは、馬頭観音と考えられている石仏です。
「赤坂山」には、かつて若狭とマキノ(今津)を結ぶ峠道が通っており、馬を守る神様として厳しい峠道を行き来する人馬を見守ってきたのでしょう。

 

カンスゲの花穂と思われるものを、あちこちで見ることができました。
周りに写っているのがイワカガミの葉なので、同定に迷ってしまいますね。

 

“オオバキスミレ”は、積雪量の多い日本海側の山地に広く分布する花とされ、北海道南西部から本州近畿地方以北の日本海側(多雪地域)分布するそうです。
「赤坂山」を含む野坂山地が分布のほぼ西限とされており、スミレ科スミレ属ながら紫色系ではなく黄色系に属する花です。

 

稜線に出ると強風というよりも豪風に見舞われて、寒さに震えることになりました。
風上の日本海側(福井県側)からは次々と雲が強風に流されて来ており、一瞬の晴れ間と雲の中に包まれて視界不良になるの繰り返し。

 

登頂を断念して下りようかと一瞬思ったけど、あと少しなのでと山頂まで登ります。
山頂部は遮る物は何もないので立っていると強風にさらされて体がユラユラと揺れるように感じ、山頂は雲に包まれてしまい、堪らず下山しました。

 

「赤坂山」標高823mに到着するも日本海側から流れ込む雲で視界は10mあるかなし。
山頂標識のバックは真っ白で、少し下りた所で雲が切れるのを待ったが、視界はあまりはれず、琵琶湖がうっすらと見えただけです。

 

 

登って来る時に見たカタクリの花は、まだ朝だったので花弁が閉じていましたが、下山時にはちょうど花弁が反り返っていて見頃になっていました。
カタクリとトクワカソウの開花時期は「赤坂山」では同じ時期で、カタクリの花の開花は里より一か月ほど遅いそうですので、花が見られるのもあと僅かです。

 

 

少し前に里山でカタクリを見たばかりでしたが、赤坂山でカタクリを再び見た時に“こんなに小さい花だっけ?”と小ささに驚くことになりました。
おそらくはズームで撮った写真が現物を上回って記憶されてしまっているのでしょうけど、カタクリの花に関しては毎回驚いてしまいます。

 

 

この日は、見落とした花や時期を過ぎていた花もあったとはいえ、見たかった花はほぼ見ることが出来たと思います。
赤坂山の春の花の植生は5月にはまた変わりますので、また登るかもしれませんが、最近は山野草・木花目的の山登りが増えてきたように思います。

 

おまけは朝にマキノ高原に向かう途中の集落にいた猿をパチリ!です。
猿の群れが次々に道路を横切って行きましたが、一定の距離があれば逃げるそぶりもなく、人を怖れてはいないようでした。

 

滋賀県の山麓の集落近くで猿を見かけることは多く、キツネやタヌキやイタチ、鹿やイノシシなども見かける機会があります。
キツネやタヌキに至っては住宅地などでも見かけ、『平成狸合戦ぽんぽこ』のアミメのように人の近くに住む動物たちの世界があるようです。

 

 

 

 

霧 今年は山腹や山麓は歩いていましたが、この日は今年初めて山頂を目指しての山登りとなりました。
山登りに行く山は、以前は初めての山に登りたい気持ちが強かったのですが、リピート登山することが増えてきており、赤坂山も勝手知ったる山のひとつです。

天気予報では曇りなしの晴天だったのですが、山の天気は想定外の天気になることが多々あり、山頂近くは雲に覆われて暴風に近い強風が吹き荒れており、“明王の禿”や“寒風”への縦走は断念してピストンでの下山です。

 

 

「赤坂山」は、“マキノ高原”をスタートして“武奈ノ木平”までが約1時間で中間点になります。
“武奈ノ木平”から“粟柄越”を経由して山頂までが残り約1時間くらいですが、花の写真を撮っている時間や休憩時間を含めてプラス数10分といった感じです。

 

「赤坂山」は、最初は段差のある木段や石の多い道を登ることになり、体がまだ目覚めていない朝はいつも結構シンドさを感じながら登っています。
“武奈ノ木平”までは景色があまり見えない単調な道が続きますので、ここは淡々と登って行くのみです。

 

 

そんな単調な道ですが、道のあちこちでスミレが小さな花を付けており、少し気持ちが和みます。
「赤坂山」には数種のスミレが分布しているそうですので、とりあえず“シハイスミレ”にしておきますが、花色がかなり違うものがあって同定は怪しい。

 

 

“トキワイカリソウ”は花が碇(イカリ)に似ていることから名が付いたといい、北陸から山陰地方の日本海側に多く分布するとされています。
花は紅紫色と白色があるそうですが、マキノは日本海側になるので紅紫色の花が咲いている。

 

 

花色は淡紫色のものと紅色の強いものがありましたが、白色のものはやはり見かけませんでした。
北陸では白い花の個体が多いといいますので、ぜひ一度見てみたいですね。

 

そうこうしているうちに“武奈ノ木平”、標高511mに到着です。
ここで水分補給して“粟柄越”を目指して登りますが、“武奈ノ木平”から山頂まではバリエーションのある道や景観のよい道が続きますので、ここからが本番です。

 

 

4月の赤坂山では“オオイワカガミ”の群生が魅力的なのですが、4月中旬のこの日は大半のものが蕾か、まだ蕾も出来ていないものが多く、花期はまだ先のようでした。
標高がやや低くて陽当たりのよい場所の一部では“オオイワカガミ”が咲いていて花には出会えましたが、条件によって開花時期に大きな違いがあるようです。

 

オオイワカガミは中腹辺りでは蕾状のものが多く、標高が高くなるにつれ蕾がまだ見られない状態でした。
一部だけとはいえ咲いているオオイワカガミに出会えたのはラッキーでしたが、山の斜面がピンクに染まるような満開の群生が見られる頃にも来てみたいかな。

 

オオイワカガミが咲く頃には終わり、サラサドウダンが咲く頃にオオイワカガミやカタクリ”は終わってしまいます。
「赤坂山」で春の花を満喫するには、シーズンに2~3度登ったり、時にはコースを変えて登る必要がありそうですね。

 

登山道は途中で沢沿いの道になり、砂防ダムの堰堤を乗り越えます。
堰堤を超えると岩の道を登ることになり、岩の間にミスが流れる岩の道を超えると、そこからは沢と別れて九十九折りの道となる。

 

登山道の所々では“イワナシ”の花を見ることが出来ました。
イワナシは、夏に熟する果実が梨に似ていて、岩場に生えていることから名が付いたといい、果実は食べることが出来るそうです。

 

 

「赤坂山」でショウジョウバカマはよく見る花ではない印象を持っていますが、唯一見られたショウジョウバカマで、ある程度の標高の場所ではぎりぎり花は終わってはいませんでした。
ショウジョウバカマの根生葉は放射状に生え、花を猩々(伝説の猿)の顔に見たてたのが名の由来です。
 

 

ここまでが登山工程の約半分ですが、長くなるので前編と後編に分けました。
“粟柄越”を超えた辺りからは雲で視界が悪くなり、強風に悩まされることになりました...続く。

 

 

桜 『伊香具神社』は、羽柴(豊臣)秀吉と柴田勝家が織田信長死後の後継争いで戦った賤ヶ岳の麓にある神社で、天武天皇の白鳳10年以前に建立された神社とされます。
御祭神に伊賀津臣命をお祀りし、「余呉湖の羽衣伝説」に伊香刀美として登場する伊賀津臣命は古代日本の豪族の中臣連の祖だとされます。

「余呉湖の羽衣伝説」
天女が伊香小江に天降って水浴びをする様子を見て一目惚れした伊香刀美が白犬を遣わして秘かに天衣を盗み、天に昇れなくなった天女を伊香刀美が妻として迎え入れた。

 

 

伊香具神社の参道沿いには八重桜が“桜のトンネル”を作っており、丸くって大きな花が通る人を覆うように咲き誇っています。
参道は100mほどあり、八重桜など約70本が参道の両脇に連なり、濃いピンク色の八重桜・白色の八重桜が並ぶ光景は圧巻です。

 

駐車場はほぼ満車状態で近隣県のナンバーの車両も多く、参道にはカメラで撮影される人や上を見上げて桜を楽しまれる方が多く、一時密集状態の時もありました。
伊香具神社の花見に前回訪れたのは2020年の時よりも花数が多くなっているように感じましたが、6年の間に桜が成長してボリューム感が出てきたのかと思います。

 

八重桜は、濃いピンク色の八重桜と白色の2種類がありましたが、インパクトがあったのはピンク系の花になります。
花が大きいので沢山のポンポン(玉房状の飾り)が頭の上にぶら下がっている感じで、ちょうど見頃だったのではないでしょうか。

 

 

参道の左が白色の八重で、右がピンクの八重。
枝垂桜はもう散りだしていて、見頃は終わっているようでした。

 

参道が終わって、二つ目の鳥居の前まで来ると、白の八重桜が満開になっています。
春の訪れを知らせる花はいくつかありますが、伊香具神社の八重桜は春の終わりを告げる花と言えるかと思います。

 

伊香具神社の本殿は、賤ヶ岳を背にして建っており、その前には「伊香式鳥居」という全国で唯一の形の鳥居があります。
往古神社の前は琵琶湖と連なる小江(白鳥物語の舞台)だったといい、そのため「伊香式鳥居」は奈良の三輪式鳥居と安芸の厳島式鳥居が組み合わさった様な形をしているという。

 

「三輪式鳥居」は明神型の鳥居を3つ組み合わせた形であり、厳島式鳥居は本柱の前後に控柱を設けた構造で高島市の白鬚神社が似た構造になっています。
背後の伊香山(賤ヶ岳)と呼ばれた神奈備であったため、湖の神様と山の神様の両方の神に捧げる意味があるのだといいます。

 

拝殿は2018年の台風21号の災禍によって倒壊したため、2022年11月に再建されたそうです。
再建には“氏子有志一丸となり復興に努めた”とありますが、これだけの建物を再建するには相当の尽力が必要だったと感じ入ります。

 

 

神門と玉垣に囲まれた本殿は、荘厳な雰囲気を感じさせる建築物ですが、戦国時代の賤ヶ岳の戦いによって社殿や古記録は焼失して、社領が没収された時代があったようです。
神社は明治期に郷社(明治8年)、県社(明治32年)に昇格し、明治40年には神饌幣帛料供進神社に指定されたといいます。

 

本殿の裏山ではシャガの群生が満開になっていました。
観光写真でしか見たことがありませんが、すぐ近くで運行している賤ヶ岳リフトではリフトの下にシャガの群生地が広がる観光スポットになっているようです。

 

シャガはアヤメ科アヤメ属の多年草で、古い時代に中国から日本に入ってきた帰化植物だそうです。
シャガはあちこちで自生していますので見かける機会の多い花ではありますが、この何とも妖しげな雰囲気を醸し出すこの花は好きな花のひとつです。

 

 

伊香具神社には弘法大師・空海の伝説が伝わっており、812年に弘法大師がこの地の治水工事を行う際、「独鈷」を用いて浄水源を掘り当てられたといいます。
以後この清水を「独鈷水」と呼んで、神聖な浄水として大切にしてきたという。

 

独鈷水の横には「神宮寺の蓮池」があり、往古神社の前は琵琶湖と連なる「伊香胡の小江」と呼ばれる入江だったといいます。
弘法大師は入江に棲む大蛇を沼に封じ込めたという伝説があり、その沼の名残が「神宮寺の蓮池」だと言われていると伝わります。

 

参拝を終えて参道を歩いて一之鳥居まで戻り、最後にもう一枚鳥居バックの八重桜をパチリです。
向こう側からカメラが向いていて、こちらからもカメラを向けている状態。

 

定番の撮影ポイントなので参道の桜と水田のリフレクションを一応撮っておきました。
このリフレクションは朝の早いうちに撮るか、ライトアップの時間帯に撮るのがベストかなと思います。

 

桜は、“ぱっと咲いて、ぱっと散る”という散りゆく潔さがや儚さが、諸行無常の美しさを体現するといいます。
ただ八重桜は、ソメイヨシノとは違って開花期の長い花ですので、まだしばらくの間は八重の桜を楽しめるかと思います。