叔母と時々電話で話す。
叔母は、母の妹だ。
自分の姉よりも、姪の私の味方をしてくれる。


叔母の写真を見るたびに(従姉妹がLINEで送ってくれる)、
叔母が年を取っていくのがわかる。髪が真っ白になり、眉も薄くなり、「おばちゃんこんなに年取ってたっけ?」と毎回思う。
元気に歩いている姿でも、庭仕事をしている姿でも、確実に叔母が死に近づいていっている悲しさを感じる。


でも同時に、叔母の死には、「人間は、巨大な地球の営みのほんの一部なんだ」という豊かさを感じる。
当たり前のこと、悲しいことじゃない、そんな感じがする。
例えばどんぐりが落ちて、またそこから芽が出て。どんぐりが落ちないと、芽は出ない。叔母の死は、どんぐりが落ちることなんだと、思える。

叔母の肉体がこの世から消えて、もう会えない、声が聞こえないことに、純粋な悲しみだけがある。愛してくれてありがとう、と心から感謝する。


でも、両親の死は違う。

両親が亡くなる時を想像すると、過呼吸を起こしそうになる。
悲しい、ではなく、「怖い」。おどろおどろしい。さらっとしてない。

今でも、こうして両親と距離を取り、年老いた2人をほっておいてほぼ絶縁状態なことに、心のどこかで常に罪悪感を覚えている。

両親の死と向き合わざるを得ないその時、
私は、年老いた両親と距離を置いたことを後悔し、罪悪感に押し潰されそうになるのか。
それとも、
「あぁやっと死んでくれた」と思えるのか。




私の息子は、現在、父からのトラウマのカウンセリングを受けている。
父の、家族や他者に対する暴言・暴力を見たことによるトラウマだ。


両親からの影響はとても大きい。距離を置いた今でも。



先日、「母という呪縛 娘という牢獄」を読んだ。
親が亡くなった後、苦しくて混乱したら、この本を読み返そうと思う。

距離を取って良かったんだ、正解だったんだときっと思えるから。




今日見つけた美しい景色。

秋の景色の中で、桜が咲いていた。

奇跡👀✨