自分の仕事がどうしても好きになれない人はどうすればよいか。
とにかくまず一生懸命、一心不乱に打ち込んでみることです。
そうすることによって、苦しみの中から喜びがにじみ出るように生まれてくるものです。「好き」と「打ち込む」はコインの表と裏のようなもので、その因果関係は循環しています。
好きだから仕事に打ち込めるし、打ち込むうちに好きになってくるものです。
ですから、最初は多少無理をしてでもいいから、まず「自分は素晴らしい仕事をしているのだ」「何と恵まれた職業についているのだろう」と心の中で繰り返し自分に言い聞かせてみる。すると、仕事に対する見方もおのずと変わってくるものです。
どんな仕事でも、一生懸命打ち込めばいい成果が生まれ、そこからしだいに楽しさ、おもしろさが生じてくる。
おもしろくなれば、さらに意欲がわき、またいい成果を生む。その好循環のうちに、いつしか仕事を好きになっている自分に気づくはずです。
すでに述べたことですが、私が大学を卒業して就職した会社は、いつつぶれてもおかしくないほどのおんぼろ会社でした。そのうちに同僚たちは次々に辞めていき、私1人が残された。そこで私はしかたがなく、「とにかくまず一生懸命に目の前の仕事に取り組もう」と思うようにしました。そうしたとたん、不思議なことにつぎつぎと良い研究成果を上げることができるようになりました。当然、ますます研究がおもしろくなり、さらに熱を上げて打ち込むようになるという好循環ができてきたのです。
仕事がいやでしかたないと感じても、もうすこしがんばってみる。腹をくくって前向きに取り組んでみる。それが人生を大きく変えることにつながるのです。
そのときに大切なことは、「自分に打ち勝つ」ことだといえるでしょう。つまり利己的な欲望を抑えること、自分を甘やかそうという心をいさめること。それができなければ何事も成し遂げることはできないし、もてる能力を最大限に発揮することもできません。
たとえば、まじめによく勉強して80点をとる人間がいる。それに対して、頭の回転や要領がよく、勉強しなくても60点をとる人間がいる。後者は前者にたいして、「あいつはガリ勉だから、できて当然だ。おれが本気を出せば、あいつ以上の点がとれる」というものです。
こういう人は社会へ出てからも、努力を重ねて大成した人をとらえて「彼は学生時代はたいしたことはなかった。オレのほうが数段できがよかったんだ」と相手をくさしながら、自分の能力を誇ったりする。
潜在的な力だけをとれば、そのとおりなのかもしれない。しかし、物事に取り組む姿勢、熱意に雲泥の差があり、それが「人生の方程式」に従って、彼我の人生を逆転させるという結果を招いているのです。
ガリ勉とは見たい映画やテレビも見ず、安易な方向へ流れようとする自分に打ち勝って、困難に正面から取り組んでいる人のことです。社会で成功を収めた人も同様で、遊びたい気持ちを抑えて、仕事に励んだ結果であるにちがいありません。一方、そのような人たちを小バカにする人間は結局、自分の「逃げ」や怠情を棚に上げ、人が真正面から取り組んだことを、斜めから眺めているにすぎない。
人の真の能力とはそうした物事に愚直に取り組む克己心まで含むものかもしれません。いくら能力があろうが、自分に負けて安逸に流れ、正面からの努力を惜しむのは、つまりは「自分のもって生まれた才を活かす」という意味での能力に欠けているといえるのです。
人生という長く大きな舞台ですばらしいドラマを演じ、大きな成果を上げるための能力とは、単に脳細胞のシワの数だけをいうのではありません。どんなときでも愚直なまでに真剣に物事に取り組み、真正面から困難にぶち当たっていく。それが、成功するための唯一の方法であり、私たちが日々心がけるべき原理原則といえます。
まじめ、ど真剣、懸命に仕事をする---こういってしまうと平凡に聞こえるかもしれません。しかし、その平凡な言葉にこそ、人生の真理は隠されているのです。