1月もようやくまだ3週間たったくらいだというのに、
一体どうしたことでしょうか?
今年に入って70年代、80年代を彩ったアーティストの訃報が続いています。

ブログで先に亡くなった2人のことをそれぞれ書こうとしているのですが、
さらにショックなニュースが飛び込んできたのが1月19日のこと。

去る1月18日、イーグルスの創設メンバーでリーダー、
ギタリストであり、多くの曲でリードボーカルとソングライトを手がけていた、
グレン・フライさんが、67歳で亡くなられました。

長年のリウマチ性関節炎に急性潰瘍性大腸炎の治療での薬の副作用で
肺炎も併発させてしまったことが原因だったようです。

実は昨年末、イーグルスが優れた芸術家に贈られる
ケネディセンター名誉賞の受賞が決まっていたのが、
グレン・フライの体調を理由に授賞式に出られないため辞退していたという
ニュースを聞いていたので、心配していたところでした。

これだけ訃報が相次いだ中で、まず彼を取り上げようと思ったのは、
タイミングというのもあるのですが、

これまでイーグルス関連の曲、アーティストに関してブログで取り上げていたのが、
グレン・フライのソロナンバー、
恋人(The One You Love)』(2012.11.14)の1曲だけで、
ドン・ヘンリーやイーグルス本体の曲を一度も取り上げてなかったんです。
(このグレン・フライの記事の時にもそんなこと書いてましたね)

ということで、80年代以降のソロでのヒットも多いグレンですが、
今回は、本体であるイーグルスナンバーの中で、
グレンがリードボーカルを取ったナンバーの中から、

『ニュー・キッド・イン・タウン』

1976年末にリリースされた、イーグルス5枚目のオリジナルアルバムで、
彼らの最高傑作といわれている、
『ホテル・カリフォルニア(Hotel California)』からのファーストシングル。
おだやかなメロディとハーモニーを聴かせてくれる中で、
人の心の移ろいを描いたミディアムスローナンバーです。


①オリジナルの音源で歌詞が書かれた動画です。




②リリース年のライブステージから。




③②から40年弱経った2010年ごろのステージから。
 この時点でグレン・フライもドン・ヘンリーも60代に突入しています。



◎Eagles "New Kid In Town" from the album "Hotel California"
 1977年Billboard Hot100 最高位1位(2/26付)


⇒①の動画内にも歌詞が流れますが、こちらもご覧ください


>> 街で誰かが話をしてる、よく聞く噂話だ
>> すごい話題の奴さ、みんなお前に注目してるんだ
>> 会う奴はみんな、お前のことよく知っていて
>> お前の旧友たちでさえ何かよそよそしい扱い

>> やつは新参者、この街のニューフェイス
>> みんなお前のことが好きなんだから、がっかりなんてさせるなよ

>> 彼女の瞳を覗き込むと、音楽が鳴り始める
>> せつなくもロマンティックな世界にボクらはまた誘われる
>> でも時間がたつとまた、お前は別の道を見つめている
>> 落ち着きのない奴だ、直しようがないんだな

>> やつは新参者、この街のニューフェイス
>> お前がここにいなくなったって、彼女はお前のこと愛してくれるのかな?

>> 彼女に話すべきことならたくさんあるはず
>> でも夜毎お前は彼女を抱こうとするばかり
>> そう彼女を抱いてばかり、お前の肩に落ちる涙も知らずに

>> 街で誰かが話をしている、お前のこと思い出してるのかな
>> お前がどこにいようと気にすることじゃないけどな
>> お前がどこかに行こうとしてると、奴らはこんな話をしてるんだろうな
>> お前のことは忘れないだろうと、ただ誰か新しい奴がやってくるまでは

>> お前は今どこにいるんだい?街にはニューフェイスがやってきた
>> みんな彼(ニューフェイス)のことで夢中、そのはずさ
>> いまや彼は彼女を抱いている、お前はまだ気になってるのかい?

>> やれやれ
>> 街にはニューフェイスがお出ましだ

>> みんな街の新顔の話をしている
>> みんな街のニューフェイスかのように歩いている
>> 街に新顔がやってきた
>> 街に新顔がやってきた
>> 街にニューフェイスがやってきた
>> (そんな話聞きたくないよ)
>> 街にニューフェイスがやってきた
>> (そんな話聞きたくないよ)
...


イーグルスを代表するアルバムである、『ホテル・カリフォルニア』。
このアルバムからは、ファーストシングルとして、
グレン・フライがリードボーカルをとったこの曲と、
ドン・ヘンリーがリードボーカルをとった、
『ホテル・カリフォルニア』『駆け足の人生(Life In The Fast Lane)』の
3曲がシングルヒットしています。

元々リンダ・ロンシュタットのバックバンドという形でスタートし、
カントリーをベースとしたアメリカウェストコーストサウンドと形容される
清々しいサウンドとメロディで人気を確立してきた中で、
バンドサウンドの舵がロックよりに切られていくようになり、
その結晶として生まれたのが、アルバム『ホテル・カリフォルニア』でした。

その中でこの『ニュー・キッド・イン・タウン』は、グレン、ドンとともに、
ウェストコーストのシンガーソングライターとして、彼らと交流の深い
J.D.サウザーによって書かれたナンバーで、
『ホテル・カリフォルニア』がインパクトの強いロックサウンドと、
深い意味を込めたシビアな菓子であるのに対し、
この曲は比較的従来のソフトでカントリーテイストも含まれたサウンドで
グレンの明快なボーカルで聞かせる曲です。

とはいえ、この曲も歌詞の内容は辛辣で、
人は新しい目立つものにはすぐ飛びつくけれど、
次の新しいものが出てくるとすぐ気が移ってしまう。
当の本人も、方向性が定まらないでフラフラしていると
恋人にも逃げられちゃうよ。
と、そんな内容です。

3枚目のアルバム『オン・ザ・ボーダー(On The Border)』から、
『我が愛の至上(Best Of My Love)』。
4枚目のアルバム『呪われた夜(One Of These Nights)』のタイトル曲で、
全米No.1シングルを獲得。
この2曲ではドン・ヘンリーがリードボーカルをとっているので、
グレンがリードボーカルを取った

『呪われた夜』はアルバムとしても全米No.1を獲得していますが。
これらの成功、4枚目のアルバムの後にはベストアルバムもリリースして、
全米No.1を獲得している中、
彼らの新作への期待、プレッシャーは半端ないもので、
後を追う新しいバンド、シンガーの登場に焦りの気持ちもあったのでしょうか。

グレン・フライはインタビューで、
当時人気急上昇であったデュオをモデルに書いたのが
この『ニュー・キッド・イン・タウン』だと語っています。

実際のところ、『ニュー・キッド・イン・タウン』が1977年の2月にNo.1、
『ホテル・カリフォルニア』が5月にNo.1を獲得していますが、
その間3月末に、モデルとなったこのデュオが初の全米No.1を獲得。

結果としてイーグルスは1980年に実質的解散。
モデルとなったこのデュオはその後低迷期もあったものの、
80年代を代表する人気デュオとなり、
イーグルスが1994年に再結成してから現在まで、
ともにコンサートツアーを継続する存在となっているから
当時の焦りや心配なんてわからないものですね。

グレン・フライがリードボーカルをとったイーグルスの主なヒット曲といえば、
『テイク・イット・イージー(Take It Easy)』(1972)
『テキーラ・サンライズ(Tequila Sunrise)』(1973)
『いつわりの瞳(Lyin' Eyes)』(1975)
『ハートエイク・トゥナイト(Heartache Tonight)』(1979)
といったところがあげられますね。

ソロとしても、前回取り上げた『恋人』以降、
『セクシー・ガール[Sexy Girl)』(1984)
『ヒート・イズ・オン(The Heat Is On))』(1985)
『スマグラーズ・ブルース(Smuggler's Blues)』(1985)
『ユー・ビロング・トゥ・ザ・シティ(You Belong To The City)』(1985)
『トゥルー・ラブ(True Love)』(1988)
といったTop40ヒットで活躍しました。

2004年のイーグルス来日時に彼らを東京ドームで見て、
2011年のコンサートは見ることができなかったので、
またいつの機会か彼らのライブを見られるのを楽しみにしていましたが、
それもかなわぬものとなってしまいました。

ドン・ヘンリーが昨年非常に充実したソロ新作を発表しており、
今後イーグルスとしてどういった活動になっていくのか気になるところです。
グレンの男っぽく暖かいボーカルをずっと心にとどめておきたいと思います。


ご冥福をお祈りいたします。


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さて、この曲のモデルとなったデュオなのですが、
昨年10月に日本武道館で来日公演を見に行ってまいりました。
この流れで、次回は彼らのライブレポートを含めて書きたいと思います。