ちょっと間があいてしまった間に、
1月もまもなく終わろうとしてます。
こないだ正月だと思っていたのに、早いものですよね。

今年は寒い冬で、横浜でも成人式の日には大雪で大変でしたが、
それ以上に、北海道や日本海側の各地での寒さ、雪の深さが、
ニュースで伝わり、大変だろうなと案じるしかない毎日です。

今回は、そんな北の街に住む人たちの日常の一こまを描いた、
1986年のイギリスからの大ヒットナンバーを紹介したいと思います。

去年の8月のシャーデー以来、久しぶりの80'sブリティッシュインヴェイジョン、
「英国襲撃シリーズ34」でもありますね。


ドリーム・アカデミー「ライフ・イン・ア・ノーザン・タウン」


1983年にロンドンで結成された、
リードボーカルでギタリストのニック・レアード・クロウズ、
オーボエやサックス、アコーディオンなどの楽器を駆使する女性、ケイト・セント・ジョン、
そしてソングライターでキーボーディストのギルバート・ゲイブリエルの3人組。

ニューウェーブダンスミュージック主体であった、
これまでのブリティッシュインヴェイジョンの流れとは異なり、
フォーキーでアコースティックな知性を感じさせるサウンドと詞で、
新たな音楽の流れを作ったグループのひとつです。

1985年のデビューアルバム、
「ドリーム・アカデミー(The Dream Academy)」からのファーストシングルで、
イントロの寒々とした風音とともに流れるギターの音色、
そしてティンパニーの音とともに一気に響き渡る、
サビのチャントが印象的なフォーキーポップナンバーです。


①初期に流されたファーストPV。
 ウェストヨークシャーのヘブデンブリッジという小さな街で撮影され、
 歌詞の中にも出てくるような、
 石畳の街並みや崖などの山谷の多い印象的なイギリスの田舎町の風景の中、
 バックの楽隊とともに歌い歩くメンバーの姿が話題となった美しいビデオです。




②世界リリースにあわせて新たに作られたセカンドPV。
 スタジオでのライブ映像とともに、イギリスの街並みやドライブ風景を交えたビデオで、
 ①の音が少し高めのキーの音になっているのに対し、
 こちらはオリジナルの音そのままに使われています。
 歌詞に登場するビートルズも、こちらでは映像で出てきますね。




③久しぶりに、「夜のヒットスタジオデラックス」に出演した際の映像です。
 彼らもプロモ来日時にこの番組に出ていたんですね。



☆The Dream Academy "Life In A Northern Town"
 from the album "The Dream Academy"
 1986年Billboard Hot100 最高位7位


The Salvation Army band played
And the children drunk lemonade
And the morning lasted all day, all day
And through an open window came
Like Sinatra in a younger day
Pushing the town away, oh

>> 救世軍の鼓笛隊が演奏していた
>> そして子供たちはレモネードを飲みながら
>> こんな朝がずっと続いていくんだろうな、一日中
>> そしてそれは開いた窓の外から
>> 若き日のシナトラのように
>> 街の中へと駆け抜けていくんだ、ああ

Ah hey ma ma mommy doo-din-nie-ya
Ah hey ma ma ma hey-y-yah
Life in a northern town
Ah hey ma ma ma ma

>> (Chant)ア~・ヘイ・マ・マ・マミー・・・
>> ああ、この北の街での生活は

They sat on the stoney ground
And he took a cigarette out
And everyone else came down to listen
He said in winter 1963
It felt like the world would freeze
With John F. Kennedy
And The Beatles

>> 彼らは石畳の地面に座って
>> ある人はタバコを取り出して
>> 他の連中は彼の話を聴きにやってくるんだ
>> 彼は言った「1963年の冬、
>> 世界が凍り付いちまうんじゃって思ったさ。
>> ジョン・F・ケネディと
>> ビートルズのおかげでね。」

Yeah, yeah
Ah hey ma ma mommy doo-din-nie-ya
Ah hey ma ma ma hey-y-yah
Life in a northern town
Hey ma ma ma ma
Ah hey ma ma ma
Ah hey ma ma ma hey-y-yah
All the work shut down

>> (Chant)ア~・ヘイ・マ・マ・マミー・・・
>> ああ、こんな北の街での生活は
>> 全ての仕事が失われてしまった

The evening turned to rain
Watched the water roll down the drain
As we followed him down to the station
And though he never would wave goodbye
You could see it written in his eyes
As the train rolled out of sight...bye-bye

>> 夕方には雨に変わって
>> 下水溝に雨水が流れていくのを見ていた
>> まるでボクらが彼に駅までついていったかのように
>> 彼はさよならの手を振らなかったけれど
>> 君は彼の瞳の中に記されたものを見たはずだ
>> 列車が視界から消えていく間中・・・「バイバイ」と

Ah hey ma ma mommy doo-din-nie-ya
Ah hey ma ma ma hey-y-yah
Life in a northern town
Ah hey ma ma ma ma
Ah hey ma ma mommy doo-din-nie-ya
Ah hey ma ma ma hey-y-yah
Life in a northern town

>> (Chant)ア~・ヘイ・マ・マ・マミー・・・
>> ああ、こんな北の街での生活は
>> ああ、こんな北の街での生活は

Ah hey ma ma ma ma
Ah hey ma ma mommy doo-din-nie-ya
Ah hey ma ma ma hey-y-yah
Ah hey ma ma ma ma
Take it easy on yourself
Ah hey ma ma mommy doo-din-nie-ya
Ah hey ma ma ma hey-y-yah
(repeat)

>> (Chant)ア~・ヘイ・マ・マ・マミー・・・
>> そんなに気張らずに行こうよ


明瞭なアコースティックギターの音づかいと、
ニックの繊細なヴォーカル、
オーケストレーションの大胆さ、
そして優しく響くケイトのオーボエのメロディ。

サビの「Ah Hey ma ma...」というチャント部分のインパクトとともに、
ドラマチックにも聞こえる日常風景の歌なんですよね。
アメリカのヒットチャートものばかり聴いていると、
とりわけ新鮮に聴こえた曲でした。

もともと、ニューウェーブ、ダンスミュージックとは別の流れで、
ネオアコと呼ばれるアコースティックな音を主体としたサウンドが、
ブリティッシュインヴェイジョンの一つの流派として、
たとえば、ザ・スミスやペイル・ファウンテンズ、
以前ブログでも紹介したことのあるアズテック・カメラなどが
イギリスのチャートでは活躍していましたが、

彼らの源流がパンク、ニューウェーブからの流れであることと、
アメリカではダンス物に比べて、いま一つ人気にならなかった分野でした。

そんな中、このドリーム・アカデミーというグループは、
クラシックやフォークがベースになっていて、
さらに、ヴォーカルのニックが70年代から交流をもっていた、
ピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアからの影響もあり、
プログレ的な曲の色合いも持ったグループでした。

詞の内容は、イギリスの北の田舎町の冬の一日の情景と、
社会的状況、人々の思いを情景描写的に描いていて、
これを訴えたいというメッセージというよりは、
日常の喜び悲しみをブルースとして語っている曲だといえるんでしょうね。


ロンドン出身のヴォーカル、ギターのニック・レアード・クルーズと、
キーボード、ベースなどのギルバート・ゲイブリエルが、
70年代後半にThe Actというグループに参加し、
その中で、流行のダンスミュージックや、パワーポップ、
パンクなどの音楽スタイルとは異なる、
アコースティックギター、ストリングス、キーボードをメインにした、
独自のフォーキーな曲作りをしていました。

80年代前半に、ニックがとあるパーティで、
オーボエやサックスなどの管楽器をメインにした
マルチインストゥルメンタルプレーヤー、
ケイト・セント・ジョンと出会い、
3人で、1983年ドリームアカデミーを結成します。

デモテープを売り込んでいく中、
1985年にワーナーブラザーズと契約を結び、
さらに、70年代からの音楽活動の中で知り合った、
ピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアの力添えもあり、
この年、ファーストアルバム、
「ドリームアカデミー(The Dream Academy)」をリリースします。

アルバム全体のトータルプロデュースは、
ニックとギルモア、
そしてa-haを売り出したことで知られるアラン・ターニーの3人。

そして、「ライフ・イン・ア・ノーザン・タウン」が、
ファーストシングルとしてリリースされ、
最初にイギリスでTop20ヒットとなり、
のちにカナダとアイルランド、
そしてアメリカでも最高位7位と、
Top10入りする大ヒットとなりました。

この曲を書いた、ギルバートによると、
この曲の詞の世界や、ギターとオーケストレーションを主体とした、
独特のサウンドは、
60年代から70年代に活動していたニック・ドレイクという
シンガーソングライターに影響を受けたもので、
この曲は彼に対して捧げられた曲だということです。

ニック・ドレイクは、ボクもあまり聴いたことのないシンガーでしたが、
ビルマのラングーン(ヤンゴン)に生まれ、イギリスの田舎町に育ち、
60年代後半からギターをメインにした繊細な音づくりと歌で、
数枚のアルバムをリリースしています。
ただ、思うようにレコードが売れない中、
もともと患っていたうつ病がひどくなり、
1974年にうつ病の薬のオーバードーズで亡くなっています。

死後になって、彼の音楽が支持されるようになり、
「ライフ・・・」などのヒットを通じて、
こういった音楽が評価されるようになってから、
彼のリイッシュー作品などがリリースされるようになったということです。
Youtubeにもいくつか彼の曲がアップされているので、
よかったら聴いてみてください。


アルバム「ドリームアカデミー」からは、
セカンドシングルの「ラヴ・パレード(The Love Parade)」も、
最高位13位のヒットを記録しています。

このヒットを受けて、イギリス、アメリカ、
そして日本にもプロモーションツアーを行い、
TV出演も果たしました。

こののち、1987年にはセカンドアルバムをリリース。
1990年のサードアルバムには、
ギルモアとの共作曲やジョン・レノンの「ラブ(Love)」のカバーが
入るなどしたものの、ヒットチャートには全く届かず、

90年代に入り、ニックが薬物中毒に悩む中、
ケイトとギルバートがそれぞれソロ活動を決め、
バンドは解散します。

ニックは、この薬物中毒から回復するため、
アジア、アフリカなどの旅を続けた後、
ピンク・フロイドの1994年のアルバム「対(The Division Bell)」に参加。
また、Trashmonkという名前でのソロ活動を続けています。

ケイトは、90年代に2枚のソロアルバムをリリース。
その際に来日し、ラジオ出演したのをたまたま聞いていた覚えがあります。
ほかにいくつかのプロジェクトにも参加しています。

ギルバートもいくつかの音楽プロジェクトを立ち上げたほか、
大学の講師としても活動しているようです。


さて、北の街を音で描いたこの曲のサビのチャント部分が、
1997年、イギリスの3人組ダンスポップグループ、ダリオ・Gによって、
全く正反対の、アフリカンビートにのったダンスナンバーにサンプリングされ、
イギリスなどヨーロッパ圏で大ヒットしたほか、
日本でもCMソングとして流れ話題となりました。

「サンシャイム(Sunchyme)」




同じチャントが全く違った自然の中で歌われるという、
不思議な感じですよね。

ほかに2000年代には、
アメリカのカントリーデュオ、シュガーランドが、
同じくカントリーのリトル・ビッグ・タウン、ジェイク・オーウェンとともに、
この曲をカバーし、カントリー、ポップチャートでヒットさせています。


さて、明日から2月に入りますね。
2月11日には、グラミー賞があるので、
1週前にはその特集などもしたいと考えていますが、

先日、ラジオで冬の曲として、
「ライフ・・・」と続けて流されていた曲が冬の曲だと知り、
しかも、今回のグラミー賞の最優秀楽曲賞にノミネートされている曲でもあるので、
次回のグラミー賞予想特集の際には、この曲を紹介したいと思います。

おととしイギリスで大ヒットし、ブリットアワードも受賞。
昨年日本でもラジオで話題となり、フジロックに出演、
現在アメリカでもTop20ヒットとなっているシンガーソングライターのナンバーです。


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