今回も、1985年全米No.1ヒットシリーズを続けます。


前回、1985年10月19日付でNo.1だった、
A-haの「テイク・オン・ミー」に代わり、
1985年10月26日付でNo.1となったのは、


ホイットニー・ヒューストン「すべてをあなたに」


ご存じのとおり、今年2月11日、
グラミー賞授賞式参加のために滞在していたビバリーヒルズのホテルで、
遺体となって発見され、48歳という短い生涯を閉じた、
80年代中盤から90年代にかけて、
R&Bポップス界をリードし続けたスーパースター。

彼女の訃報が伝えられた2月12日に、
アイム・エブリ・ウーマン(I'm Every Woman)」(2012.2.12)
を紹介しています。


その彼女が1985年に発表したデビューアルバム、
「そよ風のおくりもの(Whitney Houston)」からの
セカンドシングルとなるこの曲で、
見事に初の全米No.1を獲得し、
この後、7曲連続で全米No.1ヒットを続ける、
その第一歩となったナンバー。

家族のある男性のために、
報われないかもしれない自分の愛を捧げるという、
ラブバラードです。


①彼女のボーカルシーンをメインに、詞の世界観を表現しているPV。




②1986年のグラミー賞ステージでのライブから。
 客席には母、シシー・ヒューストン、
 そして、プレゼンターの従姉、ディオンヌ・ワーウィックと抱き合う
 感動の受賞シーンも最後に入ってます。




③2009年のライブから、「グレイテスト・ラブ・オブ・オール」とのメドレー。
 聴いてわかるとおり、声がずいぶん変わってしまったのを、
 アレンジでカバーしている感じですが、どう聴くかといったところです。
 年齢なりの味ともいえるのかもしれませんが・・・



☆Whitney Houston "Saving All My Love For You"
 from the album "Whitney Houston"
 1985年Billboard Hot100 最高位1位(10/26付)


A few stolen moments is all that we share
You've got your family and they need you there
Though I've tried to resist being last on your list
But no other man's gonna do
So I'm saving all my love for you

>> ほんのちょっとの愛しい瞬間が、二人一緒でいられる時なの
>> あなたには家族がいて家庭にいてほしいって思ってるはず
>> でも私はあなたの手帳の最後に書かれることに抵抗しているの
>> だって他の人ではそんな気持ちになれないもの
>> だからあなたのために私の愛の全てをとっておくわ

It's not very easy living all alone
My friends try and tell me find a man of my own
But each time I try I just break down and cry
'Cause I'd rather be home feeling blue
So I'm saving all my love for you

>> ずっと一人で生きていくなんてそんな簡単なことではないの
>> 友だちは自分だけの恋人を見つけなさいって勧めるわ
>> でもそうしてみるたびに私は傷ついて泣くだけなの
>> 気持ちが落ち込んでしまっても家に閉じこもってたほうがまし
>> だからあなたのために私の愛の全てをとっておくわ

You used to tell me we'd run away together
Love gives you the right to be free
You said be patient just wait a little longer
But that's just an old fantasy

>> あなたはいつも言うの、私達一緒に駆け落ちしようって
>> 愛は君を自由にする気持ちをくれるって
>> だからもう少し我慢して待っててほしいって
>> そんなことただのおとぎ話みたいよね

I've got to get ready just a few minutes more
Gonna get that old feeling when you walk through that door
'Cause tonight is the night for feeling alright
We'll be making love the whole night through
So I'm saving all my love
Yes I'm saving all my love
Yes I'm saving all my love for you

>> あと数分ほどで準備をするのよ
>> ドアの向こうを歩くあなたへとこの抑えていた気持ちを解き放つの
>> だって今夜はなつかしい気持ちにさせてくれる夜なのだから
>> 私達、この夜の間中愛し合いましょう
>> だから私は全ての愛を
>> そうよ全ての愛を
>> そうよ全ての愛をあなたに捧げるわ

No other woman is gonna love you more
'Cause tonight is the night that I'm feeling alright
We'll be making love the whole night through
So I'm saving all my love
Yeah I'm saving all my lovin'
Yes I'm saving all my love for you

>> 他の誰もあなたをこんなに愛したりしない
>> だって今夜はなつかしい気持ちにさせてくれる夜なのだから
>> 私達、この夜の間中愛し合いましょう
>> だから私は全ての愛を
>> そうよ私の愛情の全てを
>> そうよすべての愛をあなたに捧げるわ

For you
For you...


1985年、ポップミュージックシーンに登場した歌姫は、
抜群の声量と歌唱力、そして心に響くボーカルスタイルで、
一気にスターダムにのし上がりました。

彼女の略歴については、
前回「アイム・エヴリ・ウーマン」の時に記載していますが、

このデビュー当時話題になったことと言えば、
母親がゴスペルシンガーのシシー・ヒューストン、
従姉がディオンヌ・ワーウィックなど、
シンギングファミリーに生まれ育ったこと、

モデルでデビューし、
アリスタのクライブ・デイヴィスに認められて、
デビューを飾ったなど、
華やかな話題がつきまとってますが、

実のところ、彼女のデビューに際しては、
かなり慎重に慎重を重ねて、デビューに至っているのです。

ホイットニーは、母シシーの影響もあって、
幼少時に教会の聖歌隊に入ってゴスペルを学び、
11歳の時には、聖歌隊のソリストとして歌い始めます。
同時にチャカ・カーンやロバータ・フラックなどに憧れ、
シンガーを目指すことになるのです。

彼女が最初にレコーディングに参加したのは15歳の時、
母の知り合いであり、同郷ニュージャージーのプロデューサー、
「レッツ・オール・チャント(Let's All Chant)」の
ディスコヒットで知られるマイケル・ゼーガーの曲、
「人生はパーティー(Life's A Party)」で、

彼女のことを気に入ったマイケルから、
彼女と契約しプロデュースしたいと話が合ったのですが、
母はまだ年齢的に早いと断ったそうです。

その後も、チャカ・カーンのレコーディングなどに参加し、
(ここで「アイム・エブリ・ウーマン」のコーラスに参加)
また母親のツアーにも参加するなどする中で、
いくつかのデビュー話が入ってきたのを、
ことごとく母親は断ってきました。

ちょうどそのころにモデルとしてもデビューしていて、
また演劇の勉強なども積み、
いわゆるスタートしての修練をここで積んできているのです。

1983年に母とのコンサートツアーを見ていた、
アリスタレコードのクライヴ・デイヴィスによって認められ、
彼の主催するオーディションを受けることになり、
レコード契約に至ることになるのです。

そこですぐに彼女の作品・・・ということはなく、
最初にテディ・ペンダーグラスの1984年のシングル、
「ホールド・ミー(Hold Me)」でデュエットパートナーとなり、
この曲が彼女にとっての初めてのBillboard Hot100での
チャートイン(最高位46位)となるのです。

実はこの曲のチャートインのせいで、
1986年、デビューアルバムでグラミー賞ノミネート時、
彼女は新人扱いにならず、
最優秀新人賞の対象外になってしまったのです。

その後、さらにジャーメイン・ジャクソンともデュエットし、
いよいよ彼女自身のオリジナルアルバムの制作へと進むのです。

ファーストアルバム
「そよ風のおくりもの(Whitney Houston)」が
1985年の初めにリリースされ、
ファーストシングルは、
カシーフがプロデュースし、ララが作曲した、
R&B色の強いバラードナンバー、
「そよ風のおくりもの(You Give Good Love)」。

この曲がいきなりR&BチャートでNo.1となっただけでなく、
Hot100でも最高位3位を記録するビッグヒットとなり、

続いて2枚目のシングルとしてリリースされたのが、
今回の「すべてをあなたに」。

この曲は、マイケル・マッサーとジェリー・ゴフィンの
ヒットメーカーコンビによって書かれ、
1978年にマリリン・マックー&ビリー・デイヴィスJr.が
アルバムに収録していたナンバーでした。
彼女のレコーディングでのプロデュースも
マイケル・マッサーが務めています。

味わいとしてはより大人のテイストで、
さらに詞が家族ある男性への想いを歌った、
当時の言われ方としては「不倫ソング」ということになるのですが、

レコーディング当時、まだ22歳の彼女が、
そういった大人の恋の世界を歌うのは、
なかなか難しいと考えられていたのが、

彼女が長いシンガーとしての下積みの間に身に着けた、
表現力、情緒感が多くのリスナーに支持されたのでしょう。

見事に全米No.1を獲得するとともに、
この曲で、翌年のグラミー賞の最優秀女性ポップボーカリストを
受賞することになるのです。
②のビデオで見せる彼女の喜び方は、
それでもまだ新人のシンガーの見せる初々しさがあったように
思われます。

この後、同アルバムからもう1曲全米No.1ヒットが生まれ、
さらにトータルで7曲連続となる、
彼女の黄金時代の幕開けとなるのでした。


今年2月12日の他界後、
2月18日に営まれた彼女の葬儀では、
スティーヴィー・ワンダー、シーシー・ワイナンス、
アリシア・キーズ、R・ケリーがパフォーマンスし、
地元ニュージャージーで、2003年に亡くなった父親とともに
埋葬されたそうです。
元夫ボビー・ブラウンもかけつけたものの、
セレモニーの始まる前に立ち去ったということです。

彼女が生前に撮影に参加していた映画、
「Sparkle」がアメリカで夏に公開され、
来年には、グレイテストヒッツアルバムもリリースされるようです。

その中には、2009年のアルバムタイトル曲、
「アイ・ルック・トゥ・ユー(I Look To You)」を
プロデュースしたR・ケリーとのデュエットバージョンが
すでに先行で配信され、ベストアルバムにも収録されるようです。



今年もあと残り2か月ですが、
1985年の全米No.1ヒットは、この後も、
1週ないしは2週のNo.1の曲が続くため、
もう数回続くことになります。

次回の「'85 US No.1」シリーズは、11月2日(ごろ)の予定。
(最近当日にアップできず申し訳ありません)


今回に続き、またも不倫ソング?
こちらは、R&B男性スーパースターによる、
ダンサブルで軽妙なサウンドと、
浮気相手の女性や妻のことなどを話題にした、
日本でも大ヒットしたナンバーです。


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