今回は、1985年の全米No.1ヒットシリーズから。


前回、1985年10月12日付でNo.1だった、
レディ・フォー・ザ・ワールド「Oh シーラ」に代わり、
1985年10月19日付でNo.1となったのが、


A-ha「テイク・オン・ミー」


1982年にノルウェーのオスロで結成された3人組。

1984年に地元ノルウェーでリリースされヒットしたデビュー曲であるこの曲が、
ワールドマーケット向けにリミックスされ、
さらにアニメと実写を融合させたミュージックビデオの効果もあって、
全米をはじめ、全世界で大ヒットとなった、
メロディアスなシンセポップナンバーです。


①スティーブ・バロン監督による、アニメと実写の合成、
 漫画の絵を通して現実とファンタジーを行き来する内容で、
 大ヒットを記録したPV。




②1984年に最初にリリースされたバージョンでのPV。
 今こうやって見るとフレッシュな感じがするが、
 ①あってこその大ヒットともいえますね。




③1985年アメリカでのライブステージから。
 全米No.1になる直前の勢いのあるステージです。




④2009年地元ノルウェイ・オスロでのライブステージ。
 演奏スタイルもさることながら、本人たちが25年近くたっても、
 ほとんど変わってないところがいい感じでしたが、
 この翌年末でバンド活動終了になってしまうんですよね。



☆A-ha "Take On Me" from the album "Hunting High And Low"
 1985年Billboard Hot100 最高位1位(10/19付)


We're talking away
I don't know what
I'm to say I'll say it anyway
Today's another day to find you
Shying away
I'll be coming for your love, OK?

>> ボクらはおしゃべりを続けているけど
>> わからないんだ
>> 何を話しているんだか、とりあえず話し続けているだけ
>> 君を見つけたのは、まさに今日のことなんだ
>> ちょっと気が引けるけど
>> 君がこの愛をOKしてくれるために戻ってくるよ

Take on me, take me on
I'll be gone
In a day or two

>> ボクの相手になってほしい、ボクを受け入れてほしいんだ
>> でないとボクは遠くに行ってしまうよ
>> この1,2日のうちに

So needless to say
I'm odds and ends
But I'll be stumbling away
Slowly learning that life is OK.
Say after me
It's no better to be safe than sorry

>> 言うほどのことじゃないけどさ
>> ボクは中途半端な男なんだよ
>> でもボクは躓きながら
>> ゆっくりとだけど、人生って悪くないなって思うんだ
>> ボクの後に続いて言ってほしい
>> 後悔することが安穏としているよりいいなんてことないって

Take on me, take me on
I'll be gone
In a day or two

>> ボクの相手になってほしい、ボクを受け入れてほしいんだ
>> でないとボクは遠くに行ってしまうよ
>> この1,2日のうちに

Oh the things that you say
Is it life or
Just a play my worries away
You're all the things I've got to remember
You're shying away
I'll be coming for you anyway

>> ああ、君が言うことって
>> 本音なのかい?それとも
>> ただボクを心配させないための冗談?
>> ボクの記憶にとどめるべきものはただ君だけ
>> 君は遠慮してるみたいだけど
>> どうにかしてまた君に会いに戻ってくるよ

Take on me, take me on
I'll be gone
In a day or two

>> ボクの相手になってほしい、ボクを受け入れてほしいんだ
>> でないとボクは遠くに行ってしまうよ
>> この1,2日のうちに

(repeat)


この曲というと、何をおいてもまず、
①のミュージックビデオで語られる曲なのですが、

そんな曲が2012年の現在でも、
80年代を代表するポップヒットとして、
バンドとともに記憶されているのには、

やはりバンドが作り出すメロディーの美しさとドラマチックさ、
ボーカル、モートン・ハルケットの美しく広い音域で歌い上げる歌唱力が
欠かせないものだと思ってます。

それとともに、
曲を仕上げるプロデュース、スタッフの力によるところも、
彼らの曲の素晴らしさを引き立たせていますね。


最初にも書きましたが、
この曲は、最初1984年にリリースされた際には、
ノルウェー国内では最高位3位を記録するヒットとなったものの、
他のヨーロッパ諸国では全く話題になりませんでした。

それが、②のサウンドとPVなのですが、
音に関しては、そんなに悪くはないと思うものの、
①と比べると軽くインパクトが弱い感じが否めないし、
PVもそれほど話題になるようなつくりでもないんですよね。

ただ、この曲は、彼らが1982年にバンドを結成した当初から
出来上がっていた思い入れのある曲で、
この曲を単なるローカルヒットでは終わらせたくないという
強い思いがあったようです。


A-haは、
オスロ郊外出身のボーカリスト、モートン・ハルケット、
オスロ出身のギタリスト、ポール・ワークター・サヴォイと、
キーボーディストのマグネ・フルホルメンの3人組。

もともとは10代のころに知り合った3人が、
当初はオスロ周辺での音楽制作や、
ライブ活動を行っていたのですが、

自分たちの音楽活動を国内にとどめず、
海外に出ていきたいという思いから、
ロンドンに渡り、音楽活動をスタートします。

この「A-ha」という不思議なバンド名は、
ノルウェーでまだ音楽活動をしていたころに、
ポールが作った曲のタイトルにつけられたもので、
曲そのものは日の目を見ることはなかったものの、
この音の響きが気に入ってつけたものなのだそうです。


資金面や営業面などで苦労するも、
やがて、マネージメントに注目されると、
彼らの音楽をいろいろなレコード会社に売り込み、
最終的に、ワーナーブラザーズと契約することになります。

1984年にトニー・マンスフィールドによって、
この曲のファーストバージョンの制作、
およびアルバムプロデュースが進められ、

イギリスを中心にヨーロッパ各国で、
ファーストバージョンがリリースされたものの、
ノルウェー以外ではまったくヒットせず、

1985年にアルバムの曲が大方完成したところで、
改めてこの曲をアラン・ターニーによって、リプロデュースされ、
あの世界に知られるサウンドとして紹介されることになるのです。

さらに、この曲のミュージックビデオが、
スティーブ・バロンによって制作されました。

マイケル・ジャクソンの「ビリー・ジーン」、
さらに2曲前にMTVやコンセプトビデオを批判しつつも、
自らコンセプトビデオで全米No.1を記録した、
ダイアー・ストレイツの「マネー・フォー・ナッシング」などは、
彼の大ヒット作として知られています。

喫茶店でマンガを読んでいた主人公の少女が、
ふとしたタイミングでコミックの世界に連れ込まれ、
モートンとラブロマンスなどを繰り広げる、
現実とファンタジーを行き来するストーリー性をもった
この曲のビデオは、MTVで大量オンエアされ、
これも全世界でNo.1を記録する一つの要因になりました。

ただ忘れたくないのは、
あくまでこの曲のもともとのメロディーの素晴らしさやキャッチーさ、
さらにモートンの美しいボーカルがなければ、
この大ヒットは生まれなかったといってもいいと思います。

この曲の含まれる彼らのファーストアルバム、
「ハンティング・ハイ・アンド・ロウ(Hunting High And Low)」には、
キーボードを主体に、ドラマチックで美しいメロディーをもった
素晴らしいナンバーが数多く収録され、
個人的にも、80年代のポップアルバムでも
珠玉の1枚だと思ってます。

アルバムからのセカンドシングル、
「シャイン・オン・TV(The Sun Always Shines On TV)」は、
全米最高位20位。
アルバムタイトル曲のバラードナンバー、
「ハンティング・ハイ・アンド・ロウ(Hunting High And Low)」は、
全米ではチャートインすらせず、

アメリカではこの後、
セカンドアルバム「スカウンドレル・デイズ(Scoundrel Days)」からの、
「クライ・ウルフ(Cry Wolf)」が最高位50位のヒットに終わるなど、
やや一発屋になってしまった感がありますが、

イギリス、アイルランドでは、「シャイン・オン・TV」がNo.1を獲得し、
また、007シリーズ「007リヴィング・デイライツ(Living Daylights)」の
タイトル曲がヨーロッパ各国でTop10ヒットを記録するなど、
その後もイギリスを中心にリリースする曲が順調にヒットを記録しました。

日本でも一般には「テイク・オン・ミー」のバンド的に語られていますが、
80年代後半にかけて、すばらしいアルバムをリリースし続け、
彼らのサウンドを支持する人たちもかなり多くいたようです。

1991年には、当時のコンサートツアー動員のギネス記録を更新する
ブラジルでのコンサートで大成功を記録し、
1994年のリレハンメルオリンピックのテーマをリリースしたあと、
一旦活動休止します。

モートンはソロアーティストとして、ボーカルアルバムをリリース。
ポールは奥さんも含まれるサヴォイというバンドで、
マグネはティンバーサウンドというユニットでソロ活動を行っていました。

2000年に再結成して、再びヨーロッパでヒットを記録するアルバムをリリースし、
2008年にリリースされたアルバム、
「フット・オブ・ザ・マウンテン(Foot Of The Mountain)」のタイトル曲は、
ベルリン世界陸上のテーマ曲になったほか、
日本でもバラエティ番組のエンディングテーマに起用されるなど、
再びA-ha熱が盛り上がりました。

なにより、④のビデオを見てもわかるように、
彼らが80年代と何ら変わることのないスタイルとサウンドで、
ライブを繰り広げてくれたことは感動のひとことでした。


しかし、この時点で彼らはバンドとしての活動を終了させようと、
2009年から2010年にかけてのフェアウェルワールドツアーを行います。

2009年11月に来日公演を東京で行ったほか、
2010年の千葉、大阪でのサマーソニックでも演奏を行い、
日本でも久々の人気を得た彼らは、
2010年12月のオスロ公演を最後に解散しました。

ただし、2011年7月に発生したノルウェー連続テロ事件での
犠牲者追悼集会の場で、
彼らのヒット曲「ステイ・オン・ジーズ・ロード(Stay On These Roads)」の
演奏のために一度だけの再集結をしています。


「'85 US No.1」ヒットシリーズ。
次回は、来週10月26日の予定。

今年2月に突然の死というニュースに大きなショックを受けた、
80年代、90年代を代表するR&B女性シンガーの、
初の全米No.1であり、この後7曲連続するNo.1の1曲目を飾る、
家庭のある男性への強い恋心を歌い上げたバラードナンバーです。


ハンティング・ハイ・アンド・ロウ(デラックス・エディション)/a-ha

¥3,480
Amazon.co.jp