"Dear Casey, I'm xxxxx from SSSSS,
and today I'd like to dedicate the song to my ....."

(親愛なるケーシー、私はSSSSSに住むxxxxxという者です。
今日は、私の.....に曲を贈りたくて、ペンをとりました。)

ケーシー・ケイサムや、シャドー・スティーヴンスがDJの時代、
American Top40のオンエア中に、チャートから離れた重要なコーナーが、
4時間の放送の中で、いつも2回ありました。

それが、「Long Distance Dedication」。
遠く離れた家族や恋人、友人やお世話になった人に、ラジオを通じて、
メッセージとともにリクエスト曲を贈るコーナーです。

よく、日本のラジオなんかでも、リクエスト曲をどこの誰々にプレゼントします
っていうスタイルを採っていることが多いけど、
この番組で流される意義って、時代背景も含めると非常に大事なものでした。

Welcome to American Top40 ②」で書いたとおり、
この番組は全米50州、および世界中のラジオ局にネットされていた番組です。

当時は通信手段として電話や電報はあったものの、現在のように
メールやテレビ電話、インターネットなどで気軽に相手の顔を見ながらだったり、
声を聞きながら、いつも話ができる時代と異なり、思いを伝えるには、
一定の時間と負担が必要でした。
ましてや、本人と直接顔をあわせてということとなると…。
同じアメリカ国内でもロサンジェルスとニューヨークじゃ相当距離であるし、
国が違うとなれば、さらにその大きさは計り知れません。


そんな中で単に手紙だけでなく、世界中のどこにいても、ラジオを通じて、
メッセージと曲をプレゼントできるこのコーナーは、
当の本人ばかりでなく、番組を聴くリスナー全てにまで、その思いを届けることが
可能な、心温まるコーナーでした。


たとえば数週間前、ネットラジオ「American Top40 The 80's」で取り上げられた、
1985年10月19日付けのTop40の放送中には、
こんな「Long Distance Dedication」が紹介されました。

>> さて、ここからは、「Long Distance Dedication」のコーナーです。
>> フィリピンのケソンシティーに住む若い男性からの手紙で、
>> 音楽とダンスがつないだ異文化の橋を渡したという内容です。
>> 以下の通り。
>>
>> ディア、ケーシー。
>>
>> 去る6月から1ヶ月間、交換留学生として日本の仙台に滞在していた僕は、
>> ホストファミリーである、15歳の高校生のヒロキと知り合いました。
>> 片言の英語しか話せない彼と、日本語が十分でない僕たちの言葉の壁を、
>> 共通の趣味で意気投合するようになりました。
>> ポップミュージックと、ブレイクダンシングです。
>> 彼は非常にブレイクダンスが上手で、僕にいろいろと手ほどきしてくれました。
>>
>> 交換留学最後の夜、
>> フォーマルな交換留学生お別れパーティーが開かれたのですが、
>> その席上、突然爆音とともに、ダンスミュージックがかかるではありませんか。
>> そして、僕とヒロキはステージ上にあげられ、ダンスを披露することに。
>> 僕は「これはまずいんじゃないか?」と思ったのですが、
>> なんと、会場の皆が手をたたき、歓声を上げてくれていたのでした。
>> はずかしかったけど、とてもいい思い出でした。
>>
>> 先月、彼から手紙が届き、来年6月には、今度は彼がケソンシティに
>> 交換留学生としてやってくるということで楽しみにしています。
>>
>> ケーシー、ニール・ダイアモンドの「ハートライト」をかけてください。
>> 日本の仙台に暮らす、僕のベストフレンド、ホストファミリーのヒロキのために。
>>
>> Signed Viendido.
>>
>> サンキュー、Viendido。
>> OK、Viendido、これがあなたからの、Long Distance Dedicationです。


アメリカやヨーロッパといった、この番組の中心的放送区域からのものだけでなく、
こういったアジアやアフリカなど、世界中のあらゆる地域からのメッセージが
届けられるのは、ワールドワイドネットの番組ならではだと思います。

手紙につづられる内容は、こういった比較的明るい内容のものから、
悲しい別れのメッセージとなるものまでさまざまでしたが、
それぞれが、遠い空の下で、同じ曲を、同じ思いを持って聴くというこのコーナーは、
番組を彩る素敵なひと時でもありました。

日本版の全米トップ40では、ラジオ日本時代は、基本的にこのコーナーは
放送されませんでしたが、折に触れて、その内容を紹介することはありました。
また、FM東京版では、このコーナーの2本流されるうち、1本が紹介されていました。

残念ながら、現在のライアン・シークレスト版American Top40では、
このコーナーがなくなってしまったようです。


ところで、この番組が放送されてから、American Top40にチャートインして
オンエアされた日本人アーティストの曲は、②の時に書いたとおり、
ピンクレディーの「Kiss In The Dark」だけですが、

この番組の開始のだいぶ以前、忘れてはならない日本人アーティストの、
日本語で歌われた(ここ重要)、大ヒット曲がありました。


1985年8月12日、日航ジャンボ機墜落事故により不慮の死を遂げた、
このアーティストの大ヒット曲に対して、
数週間後のAmerican Top40の「Long Distance Dedication」にて、
心ある日本人リスナーからのメッセージが届けられました。


"...So Casey, please play "Sukiyaki" for my country hero,
KYU SAKAMOTO."
(ケーシー、私の国のヒーロー、坂本九のために、「Sukiyaki」をかけて下さい)




☆Kyu Sakamoto "Sukiyaki (Ue wo muite arukou)"
1963年Billboard Hot100 最高位1位(6/15付から3週間。)
 1963年Hot100年間チャート10位。


「上を向いて歩こう」は、"Sukiyaki"というタイトルでアメリカで発売され、
大ヒットしました。
たくさんのアーティストによってカバーされ、
中でも1981年のテイスト・オブ・ハニー、1995年の4pmのバージョンは、
全米Top10入りの大ヒットとなっています。

世界中でもっとも知られる日本の曲であり、日本語で歌われた曲の、
唯一無二のNo.1ヒットでした。


当時、この大ヒットをうけて、坂本九が出演したアメリカのトーク番組、
「Tonight Show with Steve Allen」の映像がYouTubeにありました。




1960年代、アメリカにとって日本がいかに未知の国か、トークどうすればよいか、
何とも話の噛み合ってないむりやりトークが、坂本九の顔のこわばりぶりに
あらわれてますね。(笑)



それはともかく、

American Top40は、単にヒット曲のTop40をオンエアするだけでない魅力を
たくさん持ち、時代の流れを感じることのできる貴重な番組であるということを
これから先も、少しずつでも伝えられればと思っています。