呉清源先生追悼記 その3 | ハートラミーゴでオシャレで知的な囲碁ライフ

ハートラミーゴでオシャレで知的な囲碁ライフ

かわいくてオシャレで知的な、囲碁の新しいスタイル「ハートラミーゴ」の魅力を世界に向けて発信するブログですヽ(*´∀`)ノ

その2の続き

呉清源先生の本を読んで開眼した私は、それからというもの「呉清源」と名前が付いた本を徹底的に買い集めました。
当然、布石もあれば詰碁や定石、そして打ち碁全集等、ジャンルは多岐に渡ります。
そして、そこで色々呉清源先生のことを知るうちに、これまでずっと思っていた先入観がまるっきり間違っていたことを知ったのです。

小学校の頃に先生から「呉清源を勉強しなさい」と言われたにもかかわらず、あまり勉強しなかったのは、呉清源先生が名人、本因坊等のタイトルをほとんど取っておらず、当時すでに引退されていたことが大きな要因でした。
ところが、大人になってから当時の昭和囲碁界の状況を知ると、驚くべき事実が解ってしまいました。
わかりやすく言うと、呉清源先生はいわば囲碁界のピラミッドの頂点であり、その呉清源先生に挑戦するためにほかの棋士が名人や本因坊を目指すといった図式だったのです。
タイトルを取って初めて呉清源先生と打ち込み十番碁を戦うことができたという感じですね。
タイトルを超越した存在が呉清源先生でした。
そして、挑戦してきた相手をことごとく打ち負かしたという功績は、道策、秀策と並ぶほどの輝かしいものであるということがその頃になってようやく理解することができました。

そういう背景を知ってから、ますますやる気がみなぎり、とにかく寝ても覚めても碁の本を読んで勉強してました。
そして、ちょっとは強くなっただろうかと思い、4、5年ぶりくらいに地元の棋戦に出場することにしました。
その頃には、高校時代まで強烈なライバルだった山森忠直くんは中部総本部の棋士になって、福井から巣立っており、当面はベテラン強豪勢が相手といった様相でした。
そして、おそるおそる出てみた最初の大会で、運よく優勝することができ、自信がついてその後のタイトル獲得に弾みがつきました。

というわけで、今の私があるのは呉清源先生のおかげといっても過言ではありません。
そして、今後もまた呉清源先生の本を読み返して勉強しなおしたいと思います。
呉清源先生、私に囲碁の楽しさ奥深さを教えてくださり本当にありがとうございました。
先生のご冥福をお祈りします。