今日は母の命日です。

お母さん、やっぱり逢いたくなります。



そして母を想うとき、

色んな気持ちが交錯して、わからなくなってしまいます。


それがなぜなのか?
心が完治した今、よく分かるようになりました。

なぜなのか?

それは【生き別れ】だったからだと思います。
父のときは余命2ヶ月だと宣告され、
それまで以上に亡くなるまでの期間、
濃密に、滞りなく、あらゆる準備ができました。
なので、しっかり今生のお別れをしたから、想う時、
そう、後悔があったとしても前向きな気持ちを持てています。

一方、母のときは悲惨でしたし、無念で終わってしまいました。

当時、第二子を妊娠したわたしは、
出産予定日が長女の入園式と2日違いだったことから、
必要以上にプレッシャーをかけてしまって、とても不安定なマタニティー期間を送っていました。
当然、お母さんの所へ会いに行けていませんでした。

結局、早春の3月末に風邪をこじらせながら出産し、
運命の入園式の日、
帰宅してやれやれのところに母の急死の連絡が入ります。

そのあとが大変だったのでうろ覚えなんですが、
わたしは子どもたちの面倒をみるため母のもとには行けずに、
代わりに主人に姉と母を迎えに行ってもらえるようにお願いをして。

ずっと会えてなかったのに迎えにも行けなかった、という思いが残ってしまいました。

それまでの母との関係もそうだし、
最期まで理解し合うことができず、お別れしてしまった。

そう感じて、想って、無念だったと、今でも思っているのです。

だから、いつも強く想っています。
相手に対してやってあげられることがあれば、できる限りその時に!、と。
両親に限らずとも、その相手が生きているうちに、恩返しを!、と。

でないと、相手がいなくなった時には、
もう儚さ、無念さがなくなりません。
だから、日々に感謝を欠かさないように。
後悔しないために、自分ができる範囲で。