今の私がこんなことを書いたところで
それが何なんだ、ということにしかならないが
まあ一応記すだけ記しておくか。
世界は急速に、QAnnonやQムーブメントという人民解放の動きに進んでいるかのように見える。
「見える」というのは、QArmyJapanの方々が常に
発言している判断方法のひとつ「保留」という意味によく似てもいる。
その意味を抜き出すのなら、「保留」も「見える」も【自分に真実の証明はできていない】ということ。
そういう意味では「気がする」なども同義語になるだろう。
そういえばちょっと前に 成功法則や自己啓発やスピリチュアルの先生に
こういう言葉遣いのことで、よく指導されたものだ。
「【気がする、思える、見える】などの言葉を使う時点であなたは成功していない」
「宇宙はあなたの言葉や本心をそのまま受け取るのでストレートに自分を信じなさい」
っていう感じに指導してくる先生は、
保留とか気がする見える系の曖昧な言葉はどうやら大嫌いなようだ。
だけど、そこに好き嫌いという判断基準があるからこそ
僕は「盲信」という怖さを感じざるを得ない。
Qannonの言葉や、イルミナティ・陰謀論についても
彼らの主張を聞いたり、目の当たりにして自分の生きてきた過去や経験を
彼らの言っていることに照らし合わせながら、じっくり振り返っていくと
それらのことが、なるほどと腑に落ちることも多く、
真実はそうだったのかもなという想像を掻き立てられる。
「知って」はいるけど、その知ったことが真実とは限らない。
知ったことにより、感情のバイアスや希望的観測にそって
真実を作り出そうとしたり導こうとするのが人間の大きな欠陥でもある。
だが、確かに「意思の強さ・大きさ」が人の潮目を変えるのは確かだ。