このあたりから、僕は「進級」がとても楽しみの多いイベントになっていった。
何故なら、本当は縁を切りたい不良先輩たちが、次々と勝手に卒業して去っていってくれるからだ。


対して 同級のクラスメートたちは、総じて精神的に大人になってきた人が多いからか、キレッキレの不良属性になるグループ、
優等生グループ、好奇心が強く何でもまず行動先行するグループなど、その人の個性ごとに属するグループの色が多様になっていった感が強かった。


また僕自身の内面的にも、これはというハッキリとした好き嫌いの選択肢や表現方法も明白になっていったのもあってか、
小学時代とは違い、クラスメートも 支配欲求だけが強い人は 思想派、思考派のグループからみたら、逆に排他されやすい立場に追いやられていくことも、僕自身にとっては 属するグループがすごく頼れる守られた存在に思えるようになっていた。


なので、中学校生活は 意外に学生時代全般としては、不良先輩たちとの攻防を除いては、楽しかった記憶が多い。
僕の属した 好奇心、行動派グループに、少なからず僕自身の性格や内面を認めてもらえてて、その上で共感や似た思考の波動を持つ仲間たちと行動できていた事が、中学生活の拠り所として大きかったんだろうなと今では分析している。

だから、早く三年生になりたかった。
自分が最上級生になれば、不良先輩は自動的に全員完全に自然排出され、やっと誰かの支配下の生活から解放されるからだ。


この頃は、同級生のグループ友達だけが、生活の中で一番信頼できて解りあえる存在だった。
いつしか、グループ友達には ウチの家庭環境の問題や、僕自身が興味を持ってるパソコンの将来性や有益性なんかの話も、まともに取り合ってお互いに相談しあえる関係性ができていた。



ここで少し、僕の属していた「好奇心 行動派グループ」について紹介すると、学年全体の生徒数の比率からすると本当に少数派だが、Uくんをはじめ 親が前科者とか、
スナックで働くシンママさんの息子とか、親が滅多に日本に帰ってこないビジネスマンとか、

とりあえず「普通の家庭団らんな家の子どもたち」ではない 枠から外れた仲間たちばかりが集まって、日々面白いことを探しては、自由すぎるバカな思い付きや実験なんかに興味を持って、皆で行動や探求をしていた。


例えば 爆竹を解体して火薬をほぐし、その火薬を集めて小型の爆弾を製造したり(ちなみにこれは犯罪になるから もうやっちゃためだよw)、

モデルガンを改造して実弾を撃てるように改造しようとしたり(これは知識も材料もなかったため 幸い上手くいかなかった)、


最後はかなり大人しくなって 皆で自作のマンガを描いて、クラスで同人誌みたいな感じに回し読みしたり、
卒業間際には ビデオカメラを皆で買って、自作映画をプロジェクト制作するようになったりと、

まあとにかく独自性や自由な発想から、日々の刺激や話題造りに事欠かないグループになっていった。
だから 学年全体でも、かなり僕らのグループは目立っていたし、先生たちの手も焼かせたし、また良く目をつけられて、毎日怒られてばかりいたもんだ。



もし今の時代に僕とこのグループがそのままタイムスリップしてきたら、きっと皆で揃ってユーチューバーにでもなっていたんだろうなあ。


まあそんな感じで、この中2からは 僕の中に、自立心というか、自我の意識みたいなものがどんどん強くなってきた時期だった。
今までの誰かから、常に心身を望まないかたちで囚われ続けてきた人生観。

もちろん時代背景もそうだが、そういう自立心というか野心が強いタイプの人で、
「まわりの環境の輪に囲まれた地方」に生まれ育っていること自体が大きなハンディキャップ環境になっているってことに、今になるととても痛感している次第だ。

僕的に、そういう環境に生まれた人って、それが宿命ってやつで、そのフラストレーションこそが、その人なりの産まれた理由ってことなんだなあと感じるところが多い。



だから この国は、お仕着せやしきたりや世間体を大事にするコミュニティの田舎に住んでる、有識で独立心旺盛なタイプの人が 想いを馳せながら、ずっとくすぶったままの人生を送るようにできてたんだな。



まあ何はともあれ、いよいよ「時が解決」させた大きなイベントがあった。
それが、僕らが3年に進級したことによる いつも避けまくっていた不良先輩たちの学校一斉放出。


ある意味では、あんなに学校で猛威を奮っていた喧嘩大好き不良集団も、この「卒業」という国家的イベントの前では、まったくの無力なんだなーという感慨もあった。

きっと彼らには彼らなりの、ある種の「諦め感の中でできる、精一杯の抵抗」を表現していただけなのかも知れない。
そう考えると、暴力と反抗に自我を頼る思考に、なんだか切なさを感じる場面でもあった。


これで、僕にとっては、一時的に 支配者が絶滅したのだ。
別な表現としては、生活防衛の必要性をひとつ失ったというか、日々日常に組み込まれていた「大きなタスク」が消失した虚無感みたいな裏の感覚も生まれてきていた。


ひとつの大きな「問題解決」を達成できたのに、それが解決したことで大きなタスクが「消滅」してしまったというサイクル。


ある意味で 慢性的なDV被害や虐待を受け続けたメンヘラさんが、なかなか思考が正常化しないのも、こういう理由で自傷や自尊心消失が長く癒えない原因になっているのかも知れない。


こういうのを 心の中の矛盾というのだろうな。
まさに闇を体験し、知った人にしか理解できない概念だ。