みんな、子供のころ お正月に親戚回りなどで「お年玉」をもらうことがあったと思う。
おそらく、ほとんどの子どもは お年玉をもらったら、普段買えなかった
(ゲームとか音楽系ソフトなど)好きなものを自由に買ったり、自分の貯金箱に
貯金したりしてるかと思う。
今回は、我が家で敷かれていた「子供だった僕のお金のルール」をご紹介する。
自分史でも紹介しているが、小学校当時、僕は九州の宮崎という街の片田舎に、一人っ子の息子として
小さな街の駄菓子屋を経営する母と、脚を大怪我して働けなくなったトレーダーの父、
ふたりの商売人の両親のもとに育った。
そして子供の頃、お正月がくると 親戚回りの新年挨拶に家族と回るわけだが、その度にだいたい
親戚の叔父さん・叔母さん・祖父祖母からお年玉をもらう。
それ自体は誰しもが普通のことだと思うが、僕の場合は もらったお年玉は、僕が自由に使える
わけではなく、母が「お前がお金なんか持つとロクなことに使わないから、お母さんが将来のために
貯金したり、必要な学費に使うから、お年玉は全部お母さんに預けなさい」 としつけられていたので、
僕は、物心ついたときから 「そうなんだ」と、何も疑問に思うことなく 毎年素直に母へ全額、もらった分を
家に帰った時に、そのまま「はいお母さん」と渡していた。
なので、僕的には「お正月のお年玉」という子どもにとっての 年一度のカーニバルイベントのはずのものが
ただの意味のない 「しきたりとか儀式」のようにしか映らず、嬉しいとか
ワクワクとかの感情が動いたことがまったくなかった。
そのせいか、お年玉を受け取るときはいつも無表情で「ありがとうございます」と、
まるでルート営業配送の集金担当みたいな気持ちで他人事にしか考えられず、嬉しいとか感謝とかの
子どもの感性はなにも起きずに、ただ
「正月はこういうイベントがあるんだ、でもみんなこれを自分のお金として使えるっていいなあ。
僕も自分で使えるお金をもらえたらいいのにな」
という客観視した考え方にしかなっていなかった。
ちなみに、僕が中学生になったころは、度々 不良先輩に「上納金をせびられる」ことが
常習的に横行していたということもあって、こういうお年玉の「収益機会」の概念がまったくないことで
ウチのお店の売上の「抜けそうな時」を見計らい、時々少しずつ、少しずつちょろまかして盗んでいて
それを貯めたタイミングで、先輩から 「タバコ買いてえんだ、カネよこせよ」と言われた時に
さも すごくお金を作ることが大変なフリをしながら、その「窃盗予算」の中から、「今回これだけしかなかった」
と、一生懸命やったんだけどと 渋々ながら差し出すという生活基盤を作っていた。
だから、僕にとっては「お年玉」というのは何の実入りも、意味もないただの慣習・行事にしか思ってなくて
実益は、そういう普段の不良先輩とのシノギ関係で基盤形成していた部分もあったので、
なんか、「まつりごととシノギ」とを 子どもながらに、すごい上手く使い分けていた。
その先輩に上納させられた後に【採られずに残った予算】が自分の小遣い、という独自のビジネスモデルを成り立たせていたのだ。
(とはいっても、それ自体 ただの窃盗犯罪なんだけどね。。。)
・・といった歪んだ生活の延長線上のこともあって、お正月のお年玉や、
ふだんお小遣いを全然もらえていない僕が なぜ「小遣い」にそれほど困ってないか、という
真のカラクリが、ここで作り上げられていたわけなのだ。
(ちなみに店の売上を常習的に盗んでいたことは、ずっと後になってから両親にはバレるのだが)
こういった 歪んでる子ども生活を無理やり成り立たせるために、僕はいつも「創意工夫」を
欠かさないような子どもになり、なので 正月のお年玉イベントについても、小学校高学年くらいからは
それがだんだん クソめんどくさい無意味な行事にしか思えなくなっていった。
そんな内心を抱えた僕は、6年生だか中一だかの時に いつもの「新年の親戚回り」のとき、
叔父さんからお年玉をもらった時に
「ありがとう。お母さん、はい」と、あげた叔父さんの目の前で母に手渡す行動を無意識に行った。
そのとき母はとっさに渋い顔をして首を激しく横に振り、「そんなことしちゃダメ」みたいなサインを僕に
送ったため、僕はさらに 「え、だって結局お母さんにあげることになるんだから、それなら今度からは
叔父さんから直接お母さんに渡してくれた方が話が早くない?」という業務効率化的な提案をしてしまったのだ。
これには叔父さんをはじめ、その場にいた親戚中が烈火のごとく怒りだした。
「お前はなんて性根が腐ってしまったんだ!そんな根性の悪いやつにもうお年玉なんかやれん!
お母さん、あんたもこの子にいったいどういう教育をしていたんだ!」
これがとんでもない波紋を呼び寄せてしまったようだが、これを契機に家族会議というか 親戚中が
ウチの内情を奇異の目で見るようになったことを、この時僕は確かに感じ取った。
父も、かなり恥ずかしそうな表情を浮かべつつ、無言でその場をやりすごそうと必死だったようだ。
もちろん、翌年から お正月のお年玉のときは、かなり気まずい空気を過ごさなければなくなったが
ある意味では、この時の僕の無意識の行動が 何らかの問題提起にはなったんだなと今となっては感じている。
まあ、僕としては 今後もうお年玉はもらえなくなったとしても、
結果実入りはなにも変わらない、別にどうでもよかった。
むしろ、なくなってくれた方が また変な親戚間の摩擦や、新たな物議を醸す可能性もなくなるし
僕にとっては、ムダでダルい行事が毎年一つカットできるので、そのほうが気楽なのになーと思っていた。
ちなみにこれまでの話は、「農家出身の母方側の親戚」の話である。
父方側の親戚は宮崎にいて、生粋の商売人である父の叔父・叔母の場合に限っては、
叔母さんは母に 「これはトモ(僕のこと)がもらったお年玉なんだからね、だからお母さんに渡すことはないんだよ、
だからこれはトモが自由に使いなさい」と言って、母への手渡しを完全にブロックしてくれていた。
父側の叔母は、僕の母がつくった「我が家のお金のルールの有害性」を察してくれていたのだ。
あるいは、お年玉を現金で僕にあげるのではなく 直接買い物に連れて行ってくれて「お年玉なんだから、
トモが欲しいものをなんでも一つ、買ってあげるよ」と、母に渡せないように現物でプレゼントもしてくれた。
そういう計らいをする父方の叔母は、父の姉にあたる肉親の兄弟だ。
この時点で、父と母は なんという育ち環境のミスマッチすぎる結婚をしたんだろうかという疑問につながっていく。
例えるなら、貧乏父さん・金持ち父さんが一緒に同居してて、意見や価値観の違う両親が
どちらも自分の教育者という両極端な異次元の環境に育ったことも、
僕自身の成長過程で得られた特殊な感性となっていったのかも知れない。
あなたは、子どもの頃 どんな「お金のルール」で生きていましたか??