たぶん新潟だったと思う


囲炉裏のある家だった

立派な家屋だった気がする

玄関ではなく

縁側のようなところから顔を

出した老人が中に通してくれた


夏の終わり頃だった


今朝のとらつばで急に思い出した

戦地での想像を絶する話を

思いがけず聞くことになった


部屋の上部にならぶ賞状と勲章

家族はそれを喜んだらしいが

目の前にいるその人の思いとは

かけ離れたもののようだった

もちろん無事に帰ってきたことが

何より家族は喜んだに違いないのだけれど


戦争を経験したことのない私に

語る口調はあまりに穏やかで

まるで読み聞かせのような

ものがたりのようだった


でもそんな穏やかな口調とは裏腹に

私の胸はつまって呼吸することを

忘れてしまいそうだった


責めていた

生きて帰ってきたことを

そして仲間を助けられなかったことを

昨日のことのように思い出す

残酷な場面は

地獄そのものだった

人が人ではなくなる

人としての感情があったら

あんなことはできないと


メモをとって聞いていたわけじゃないのにその言葉は強烈に残っている



私がこの世で生きる時間の中で

出会える人は限られている

その中でともに過ごした時間があった人たちは運命なのかな

気に留めなければ

なんてことないかもだけど


でもそんな話をしてくれた人は

あとにも先にも

その人だけだから

考えてしまう


あのとき私はまだ若くて

受けとめきれなかった

いや、今でもわかったなんて言えない

表現することばが未だに

見つからないのだから


罪の意識は消えないまま

生涯を終えたのだろうか

あなたのせいじゃないと言ったとして何の慰めにもならないのだろうか

抱く必要のない罪悪感を誰に

植え付けられたのだろう


誰かのせいにできるなら

それで楽になれるなら

私ならいくらでもする

でも無意味

むしろまた自分を追い込むことになる



戦死した私の祖父と

召集されなかった祖父

そして

戦地から帰ったそのおじいさん

同じ時代を生きた人たち

運命というにはあまりにも

悲しすぎて行き場のない気持ちが

私の中で行ったり来たりするだけ



重すぎて重すぎて

私のちっぽけな心のかごに

入りきれないよ

わかってる

受けとめて欲しいわけじゃないこと


たぶん誰でもよかった

あのときとにかく

話したかったんだ

家族に言えないことでも

他人なら言えることもあるのだから




おじいさん

会えて良かったです

あのときより私は年を重ね

憂いています

ときにどうしようもなく

もがきながら

今も生きています


おじいさんが

見るもの全てが美しい世界にいることを願っています