いつまで生きられるだろう


最近そんなことばかり考えている


人はいつかこの世のいとなみを終えて次の世界へ行くのだろうから

行ったことも無いのになんで断定的に言うかというと、死にかけた時にみたあの美しい世界は 私の空想じゃないと信じて疑わないからだ

 


最近何が一番悲しいだろうかと考えている


誰しも

出会いと別れを繰り返すだろう

私は幼少期から今に至るまで

病気や事故、老衰、

自ら命をたってしまった人たちもその

たましいはいつか巡り会えるのかなと

思って生きてきた


そう思わないと苦しくて

生きることを選べなくなりそうになったこともあるからだ


いろんな痛みや苦しみ悲しみがあるけど

大切な人を失うこと以上のことってあるのかな


若い時は何もなくて

この手に何でも掴んでみたいときもあったけれど今は大切な人たちとの穏やかな時間があれば

それだけでいいように思える 

そう思えるのも

明日食べることに困らない程度の生活が出来ているからに他ならない

それがままならない時には

誰かの力にもなれないし

心配する余裕など持てるはずもなく

むしろ助けられてばかりだったと思う

迷惑もかけたし

若気の至りとはいうけれど 

本当にそうだなぁと思う

そうながら未完成な心は鍛えられ

生きるってなんだろうって考えるようになる


つれづれにこんな事を書いたりするのも

私が生きてることなんだけど

生かされていると思う瞬間も

歳を重ねるごと多くなる

明日この世を去るかも知れないのに

目がさめ朝

窓からの光に生きてたなって思うから


私は自分が終わりを迎える事より

大切な人たちを失うことのほうが怖い

一人の部屋からドアを開けて

あたりまえの気配がなくなったら…

もう泣きそうになってる

あたりまえってないんだけどさ



一人で生まれ一人で旅立つけれど

その一生で得るものは一人でいても

一人じゃないんだと知ること

感じることかもしれないな


家族や仲間がいて私は幸せだ

最近では推し友さんとのオフ会で

また新しい世界が広がった気がしている

年代も性別も住んでいるところも違うけど

初対面で盛り上がれるってすごい空間だった

まぁ集まった人たちがパワフルで

フッ軽さんばっかり

そのうち宇宙まで飛んでいくんじゃないの?くらい私みたいにうじうじしてない(笑)


人見知りの誘い下手な性格だけど

まわりがいつも引っ張り出してくれる


私は一人でいることは嫌いじゃないし

それを楽しんできたけど

人が嫌いなわけじゃない

ただ出会うきっかけを自分からは作りに行こうとしないところがどこかにある

その人の時間を私が奪うようなきがして

私との時間になんのメリットがあるだろうとか

とにかく目立ちたくないし

ひっそり生きたいのが本音だ


家庭環境やいじめや転校

様々な要因も考えられるけど

でも学校ではピアノの伴奏や指揮とか

新聞に写真が載ることもあったし

テレビにも数回出てしまい見た人から連絡がくることもあった


神様はなんちゅーことを私にさせるんだ

でもきっと私が克服しなきゃならないことがあるんだろうな



今でも宇宙は広がっていると聞く

ネバーエンディングストーリーみたいに

人の夢や希望で広がる世界のように

宇宙が出来ているのかなぁなんてね


自分の世界を広げるのは

一人ではできない

誰かと繋がり

繋がった先にまた新たな発見があり

自分の知らない自分に出会ったり採掘されたり

そんな繰り返しのなかで

成長していくんだろう

老いてもなお心だけは無限な広がりを見せる


つづく