夫が手術をしてから3日目です。
サリーおばちゃんの温かい気持ちに心が落ち着いた私は、夫のケアをしてくださる看護師の皆さんに甘えて、しっかり寝て朝を迎えました。
(激寒の病室に少しずつ慣れてきました)
夫は基本的に目を閉じて静かに寝ています。
開胸した傷は30センチ程ありますが、本人がこれを見たらどう思うのか少し心配でした。
耳の聞こえは良く呼びかけにはすぐ反応があります。午前中に口腔内の管などを徐々に外していただけ、かすれ声ですが僅かに出せるようになりました。
時々咳き込んだ時用にハート型のクッションに枕カバーをかけたものが常に側に置いてあります。
夫の大事な新しい相棒です。
後に夫に聞いたら
「ICUでの記憶はあまり無いが、痰を吸引される時が物凄く苦しくて最悪だった」と言っていました。
実際にその場面を見ましたが、バキュームで吸う感じではなく、帯状で袋状のビニールを看護師さんが折りたたんで戻してを繰り返していた記憶があります。どんなシステムか分からないのですが確かに辛そうでした。
苦しい時に無意識にチューブなどの機器を外さないよう、両手は常に拘束されていていました。(手術前にしたサインの項目に含まれていました。)
夫の症状は順調に回復していたようで
昼過ぎにはベッド周りにあった大きな機器も減っていきました。
何度か手足の感覚の確認、「ここは何処ですか?」「奥さんのこと分かりますか?」という質問タイムがありました。
ここが何処かという時だけ、少し混乱している様子がありました。
↑看護師さん達が情報をシェアするボード
その日の注意事項や出来たことなどを記入していました。
午後3時過ぎには初の「口からの食事」です。
ヨーグルト/チキンライススープ/お水です。
最初のオーダーは看護師さんがしてくださったようです。
オーダー内容がレシートの様に表示され
炭水化物の量の合計も分かります。
塩分コントロールもしてくださり
お好みで塩分フリーのシーズニング付きでした。
今後自宅でも使用してみたいと思い写真を撮っておきました。
夫は全然食欲が無く、水分補給と少しのヨーグルトが精一杯でした。
(後に夫は病院食に悩まされることに💦)
看護師さん曰く、近々一般病棟に移動出来そうとのことでした。いつになるかはっきり分からないけれど、動きがあったら連絡しますねと仰っていました。
この日は夕方5時まで居て、私は一旦自宅に戻りました。うとうとする夫にそっと「明日また来るね!」伝えたら小さく頷いていました。
久しぶりに外に出てぼーっとしながら自宅に戻り
まずは大家さんにご挨拶に伺いました。
大家さんご家族の顔を見たら、また涙が止まりませんでした。日本語で話せて日本語で「心配でしたね、大変でしたね。」と返ってくる安心感と温かさがとても心に沁みました。
救急車を呼んでくださった大家さん(アメリカ人のご主人)は、安心してくださってうつむいて「良かった」と涙ぐんでくださいました。
何度も感謝の言葉を伝え部屋に戻ろうとしたら
大家さんの奥様(日本人)が、「もし良かったら召し上がってください。」と沢山の日本の食品や
直ぐにお腹を満たせるドリンクをくださいました。これらは私は勿論、次の日夫にも色々持って行きました。本当に有り難く嬉しく思いました。
↑豪華ないただきものたち!
静まり返った部屋に久しぶりに1人です。
そう言えばアメリカに来てから夫が居ない夜は初めてでした。
ソファーには救急隊員さんが使用した心電図用ののシールや胸の毛を剃った剃刀のケースなどが散らばっていました。
ここで夫が急に倒れたことが随分と前のことの様に思えました。
気分を変える為に入浴し、食欲があまりありませんでしたがベーグルばかり食べていたので(笑)
野菜多めの卵粥を作りゆっくりテーブルでいただきました。
いつもは夫とあーだこーだ言いながらビールを飲んだりご飯を食べたり
些細なことでケンカごしになったり(私のイライラがいつもケンカの発端💦)
何でもない日常がどれだけ有り難く大切な時間だったのか知りました。
こんなに大きな出来事がなければ気付けないなんて...と落ち込みました。
その日の夜はベッドがとてもとても広く感じ
いつものように隅っこで、静かな中眠りました。