年末から年明けにかけて  とあることにエネルギーを注いでいた

注いで 注いで 見事に 砕け散った流れ星


今はその破片が 夜空でキラキラと 輝いている星空

そうまるで 星屑のように星

手を伸ばしたなら まだ指先をちくりと刺してしまいそうだけど


ガラスのそれに 気づけなかった自分が 悔しくて 悲しい


それでも それをかき集め もう一度温めたなら 天使

きっと熔けて また創れるはず


今はまだ無理でも

今はまだ 指の間からこぼれ落ちていくとしても


私はこのことで 多くのことを学んだ

星屑は まるでダイヤモンドのごとくに

すべてが私の 大切な宝物だキラキラ



あらら・・

こんなことを書くつもりではなかったのに


最近ふと思った

人は なぜ詩を書くのか


繊細な心を持ったからこそ 詩が生まれる

繊細な心を持ったがゆえに 詩を書かずにはいられない


その思いは詩でなくては 表現できないから

その思いは詩だからこそ 表現できるから


詩の中なら 寂しくない

誰にもわかってもらえないと 独りぼっちだと 

感じなくてもいいから


詩の中なら 傷つかない

誰にも何も 言われないから おまえがおかしいと 間違っていると 未熟だと

言われないから

変わることを 要求されないから


そして 求めずにいられるから


どんなに弱い心でも

こんなに弱い心でも


だけどどうか そこにとどまらないで!

どんなにすれ違っても どんなに傷つけあっても どんなに憎しみあっても


その花はここでしか咲かないのだから


レッドあっての ブルーなのだから

それゆえの バイオレットなのだから


花は 大地の上で 咲くのだから黄色い花


私がこんなことを 思ったのは 

谷川俊太郎さんの 「詩人の墓」 という詩に出会ったからかもしれない


私は詩人の胸を叩かずに   見守っていたい



しかし 何を書いても詩のようになってしまう私

そんな私は 今はそこにとどまっていたい気分なのかもしれない

ちなみに 今私が使っている(塗っている)ボトルは B54キラキラ なのだ

うへへ汗


その話は また 次回ニコニコ






最近いろいろあって ブログに向かうエネルギーがなかったしょぼん


思いはいろいろと 溢れていたけれど 

それを 見つめる元気が 整理するエネルギーが なくて・・・


今日は思い切って 書き始めてみた



私は 誰かにあやまりたいとき

私は 自分があやまりたいから という理由だけでは あやまらない

自分が楽になりたいという理由では あやまらない

相手に無理やり自分を受け入れさせるようなことはしたくないから


本当に相手にとってそれが必要だと思えるときにだけ あやまりたい


そうではないのに あやまりたいような気持ちのとき

私の中のそんな気持ちを見つめてみると

それは 相手のつらそうな顔を見たくないからのようで

まるでそれが 自分の責任のように思えるからで


それがわかっていても あやまりたくて 勇気づけたくて

何でもいいから 相手に笑顔になってもらえそうなことをしたくなる


それがその人をその子を ダメにするとわかっているから

がんばって 踏ん張って 耐えている

そのことで 相手にどんなに憎まれ恨まれても


どんなにこころが 軋んでも

耐えなくては ならない


だからそれは 自分のため


神様どうか 私に力を勇気を 

本当の優しさを  与えてください天使


人は誰かを傷つけずにはいられなくて

人は誰かに傷つかずにはいられない


それでも生きていくその先に

何が見えるのだろう


何にも見えないこの世界で

それを見ることができるように


傷つけたり 傷つけられたりしているのだろうか


自分を超えたその先に

静かに強く息づくそれを しっかり見つけられるように



昨日 フォーカシングの会に参加してきた走る人


フォーカシング (心理療法の一つ)が自分に合っているようで

私のメンタルヘルスケアにとって欠かせないものとなっているのだクローバー


普段セルフケアとして役立てているが グループで行うものも そこにしかない魅力がある


フォーカシングにであってから 私は変わった と思う

だから私は フォーカシングに惚れ込んでおり のめり込んでもいる

それほどフォーカシングは私の人生に 影響を与えている

  ただし オーラーソーマの次にだけれど   オーラソーマは 私をフォーカシングに出会わせもした


フォーカシングとは何なのか その魅力なども これから少しずつ このブログで紹介できたらと思っている


ワークショップなどに興味ある方は 日本フォーカシング協会 のHPその他検索にて

各地の開催情報について知ることができるだろう



それで私は 今日は スッキリ虹なのだ


もう迷わない もう求めない

そこにそれがあると思っていたから 求めてしまっていた

求めては 与えられないと嘆いていた

その時 私がすることはすべて 手段だったと 思える

自分の望む結果を手に入れるべく・・・

浜田康介という人の「ひとつの願い」という物語の 街灯のように・・・


そこにあろうとなかろうと

私はただ やるべきことを淡々とするだけだ

そうしたいと思う時 その行為そのものにそれがあるのだ



自分のダメな部分弱い部分 また醜い部分を人に見せること

やっているけれど 私にとってはかなりきついことだったガーン

こころが軋んで 悲鳴を上げているようで

まるで ガラス窓を爪で引っかくような音が 聞こえるようで叫び


フォーカシングに出会ってから私は 私のそんな弱い部分の存在を否定しなくなった

だからそれを 人に受け入れてもらう必要もないし わざわざ人に不愉快な思いをさせることもないと

その後も 人には見せてこなかった

でも あのフォーラムで それは間違いだったと気づいたから


それでもそれを人に見せて 受け入れられないのは 悲しいものだ

そして私はわかったのだひらめき電球

私は 人を苦しめる私を 認めたくなかったのだと


そんな私を受け入れられるのか わからないけれど

それでも私は 前に進もうと 決めたあし


なぜなのか


それが私を そうさせるから


それはどうも 愛 らしく・・・ドキドキ


そんな自分が 嬉しいようで 悲しいようで

切なくて 泣けてくるあせる










あれからいろいろ考えている


弱音を吐いて 自分を曝け出して 受け止めてもらえない時

そのつらさは そうしないでいる時の悲しさより ずっとずっと 痛い気がする


信じて 裏切られたような思いでいる時

信じないで 独りでいる時より ずっとずっと寂しい気がするのは 思い過ごしだろうか

 

それでも信じる意味は どこにあるのだろうかと 考える

痛みと戦ってまで 生きていく意味は どこにあるのだろうかと 考える


やっぱり人は 自分を手放すことができない生き物なのだと 思える

私もそうであるように

だから 人を責めることなど できない


それでも 独りでは生きていけないのはなぜだろう

そこに どんな意味があるのだろう


それを乗り越えるために 生きているのだろうか


何のために乗り越えるのだろうか

そこに何があるのだろうか





私がなぜ ブログを書くのか書いてしまうのか わかった気がした


ほんとうは友達に夫に聞いて欲しくて  けれども そうできずにいる自分の気持ちを

誰かに聞いてもらえているような気がして ネットの世界に 解き放つのだ


この世界でなら 相手に迷惑をかけない 嫌な思いやつらい思いをさせないから

大好きな人たちの そんな困った顔を 見ないですむから



そして この蜃気楼のような世界の向こうに 信じられるものが あると思うから

温もりがあると 思えるから




あー 今日は今日も!? ヘロヘロだあ ショック!


たくさん書きたいのだけれど

そのエネルギーが 気力が ないダウン


今日 子どもたちの様子を見ていて浮かんだ詩でも・・・台風



kaze


風に吹かれて   ただ 風に吹かれたかった


そっと頬を撫でるような  柔らかな風に


けれども風は 私の横を通り過ぎ


杉の梢と戯れて   ソウソウと 仲良しの音を立てた


私の足元に ハゼの葉が一枚  


ホロホロと舞い落ちた









今日の天気は雨だ汗


私のこころも  かなあ


そんなときって みんなどうしてるのかな

私は 音楽を聴いたりDVDを観たり・・・音譜

だけど あんまり誤魔化さないほうが いいみたい

「パコと魔法の絵本」に出てくるように 本当の涙の止め方は ひとつしかないあせる

そうしたら 雨があがって 虹がかかるだろう


あの「自殺対策フォーラム」にいってから私は なるべく自分の弱みを隠さないようにと心がけている

そのことが 誰もが生きやすい社会につながるような気がするから


それが相手に負担になることは本意ではないけれど


そのフォーラムで 自死遺族の方が

「弟が、死にたいくらい悩んでいることを誰にも言えなかったのは、人に迷惑を掛けてはいけないと思っていたからだと思う。」

とコメントされていた


その言葉が私の中で 降り積もっていく





最近は 短歌など作っている

前々から俳句は作っていたが 短歌は季語を気にしないでいいところが いい


四辺からはみ出すわが身かき抱き 隣の温度求めて今を