京都の秋
京都もそろそろ紅葉の季節になってきた。
僕が2番目に好きな季節だ。
この季節になると、静寂に包まれていた京都の景色たちが鮮やかな変貌をとげる。
“もみじ”の燃えるような紅色は、まさに自然が創り出した奇跡だとも思える。
宝泉院、永観堂、高台寺、東福寺、詩仙堂・・・・
この季節、京都にはたくさん見たい景色が溢れている・・・。
キシリトールガム
“キシリトールガム”(100個くらい入って箱で売っているヤツ)
最近、一日中噛んでいる。
噛み過ぎて、夜になると顎が痛い。。。
でも、毎日噛んでしまう・・・。
一日20個くらいは噛んでるなー。病気やな、俺・・・。
飲みすぎ・・・
昨日、大学時代の友達と久しぶりに出会い、
三条木屋町少し下ったところにある高瀬川に面した店のカウンター席で飲んだ。
久しぶりに会ったこともあり、盛り上がって相当飲んでしまい、どうやって家に帰ったかあんまり覚えていない。。。
飲む前に買った雑誌もどこかに忘れてしまった。。。
そのおかげで、今日は身動きできず家で一日死んでいた。
もう27歳になるのに、こんな飲み方は卒業しなアカンな。。。(TдT)
占い師
この間、占い師が芸能人相手に“あなたは本当は○○な人でしょ?だから○○しなさい!”的なことをいう番組を見た。
僕は、当然のようにこんな事をペラペラ話す占い師が嫌いだ。
なんて無責任な人たちだと思う。
僕たちは、日々の生活の中で自分自身を見失い、“自分とは?自分の生きる道とは?”という事に悩み続けて生活しているものだ。
生活の中に溢れている一般的な占いは、決してグレーゾーンを出ないように作られている。
どっちとでも解釈できる結果だからこそ、僕たちはそれを安心して受け入れられる。
しかし、テレビ番組に出てくる“予言者”みたいなオバサンは
“あんたは、○○だから、○○したら不幸になるから、○○しなさい!”
なんて事を顔色ひとつ話している。
なんの根拠もなしに、それはそのオバサンの直感のみで、こういう事をペラペラ話す。
なんて、無責任なんだろう。そういった番組を見ていると時々強い憤りを感じてしまう。
元アニマル探偵団の“モンキッキー(前;おさる)”に同情。。。
シーシュポスの神話
先週末、彼女と京都のとあるBarに行った。
その店内には、無数の水槽が上手に陳列されており、
その中には綺麗な海中生物たちが当たり前のように生活していた。
店員に案内されて店の奥に進むと、6席ほどあるカウンター席があった。
その一番奥の席に腰掛け、ふと目線を上に向けると、
そこには二匹の亀が狭い水槽に閉じ込められ、ひたすら前に進もうとヒレを動かしていた。
幾ら水槽に頭をぶつけようと、決して諦めずに、唯ひたすらヒレを動かし続けていた。
もちろん、その狭い水槽の中では、一かきもすればケースに頭をぶつけてしまい、それ以上前に進むことは出来ない。
但し、彼の目は常に自分の進もうとしている先をじっと見据え、ヒレを動かし続けていた。
“この亀の境遇は、あまりにも不自由だ。” 最初はそう感じた。
しかし、次の瞬間、大学時代に読んだ“シーシュポスの神話”という本を思い出した。
この亀の心は、ある意味自由であるとも思える。
彼が自由でないとすれば、我々も自由ではないと言えるし、
逆に、彼が自由であるとすれば、我々も自由であると言える。いや、むしろ我々よりもずっと自由であると言えるかも知れない。
彼は、誰からも干渉されず、決して達成することのない願望の下に、それが達成不可能であることすら想像も出来ないほど、ひたすらヒレを動かし続けていた。
心を突き動かす原動力。
出来るだけ純粋に心を突き動かす原動力の下に、彼は自由であるとも言える。
むしろ、彼は一番幸せかもしれない。
そう感じた。
大切なもの

人生において一番大切なものを判断するということは、極めて難しいことである。
周囲の価値観に流され、まるで自分が望んでいたことのように誤解してしまうことも決して珍しいことではないし、
その時期に置かれている環境により、価値基準は曖昧となり、
普遍的な価値観などというものは、多くの場合、存在し得ない。
しかしながら、我々はたった一つの人生を生き抜く上で、大切なものを絞り込まなければならない状況に迫られる時がくる。
そんな時、初めて、漫然と生活してきた日々の中に、本当に自分が大切にしなければならないものが見えてくる。
この瞬間、目から鱗が落ちるように、視界が鮮明に開け、
この瞬間から、それ以外の余分な状況に一喜一憂することが減り、
この瞬間から、初めてシンプルに人生を歩み出せると思う。
たとえ、その時に感じた“この瞬間”が、その時期、その状況でしか必然性を持たない、後から考えれば、それこそ非常に曖昧なものであったと思い返されるものであったとしても、
より長期的なその瞬間の繰り返しが、人生を強く、そして確実に突き動かす原動力になるのではないかと思う。
その瞬間その瞬間の積み重ねが、最終的には人生における一番大切なものに行き着く道標になるではないかと思う。

