2月28日(火) ヒッチハイク29日目
朝9時頃起床。
昨日から泊めてくれている鹿児島のお母さんは、今日午前中の2時間だけ、家政婦の仕事が入り
「11時ころに戻ってくるから、待っててね」と言われていた。
お母さんの家は日当たりが良く、桜島も良く見えた。
今日も朝から噴火し、雲がもくもくと出ていて、活発に活動していた。
だらだらとお化粧を済まし、お母さんの家を出る準備をしていた。
今日は一気に福岡県まで戻ることにした。
実は、前回の「ヒッチハイク記7 福岡県その3(http://ameblo.jp/heart-messenger/entry-112134265
)」で福岡ヤフードームから佐賀県唐津市まで送って下さった、
中原さん達4人組の出会いが強烈すぎて、一秒でも早く東京に帰りたい気持ちもある反面、なかなか福岡県に行く機会もないので、せめて中原さんだけにでももう一度お会いして帰りたかった。
中原さんに、「鹿児島県の帰り、一泊させてもらえませんか?」とお願いしたところ
「ええよー」と快諾してくださった。
でも、中原さんのお仕事のご都合で、明日の29日に泊まりにおいで、と言われていた。
なので本日の宿はない!!!!
それでも鹿児島県のお母さんの家を経つ意志は変えなかった。
11時過ぎにお母さんが帰ってきて、朝ごはんもパンを準備してくれていたのに、次にいつ食べられるか分からないから、とお昼御飯にうどんを作って下さった。
ご飯を食べ終えて、荷造りを終えると、お母さんが何やらごそごそしだした。
私にこれも持って行きなさい、と色んなものを出してきてくれた。
コーヒーやお茶、お菓子などなど・・・・
鹿児島県の「知覧茶」が私は大好きで、ちょうどお母さんがたくさんストックがあったみたいだったのでありがたく受け取った。
福岡県から鹿児島県まで乗せて下さった、お母さんの息子さん夫婦にも電話でお礼を言い、どの辺でヒッチハイクできそうか、聞いてみた。
お母さんが息子さんが指示する場所を知っていたので、私をそこまで連れてってくださった。
「短い間だったけど、楽しかったよ。一緒に色んなところ回れたしねー。」
「鹿児島中央駅は新幹線も通ってるし、また遊びにおいでよ。」
「着いたかどうか心配だから、連絡してね。」
お世話になりっぱなしで頭が上がらないのに、そういってもらえて余計頭が上がらなくなった。
「3日間、お世話になりました。本当にありがとうございました。鹿児島県を私の第二の故郷にします。
またお母さんに来ます。」
そう言って何度もお礼を言うと・・・・
「これ、持って行って。」
と、さっきの2時間で稼いだ、大切なお給料3000円を私に下さった。
「え・・・・でも・・・・」
「私はお金持ちではないけど、生活に困っているわけじゃないから・・・持って行きなさい。」
「ありがとうございます・・・・」
終始私を本当の娘のように可愛がってくれ、気を遣って下さったお母さん。
いつもニコニコして楽しそうに動く可愛いお母さん。
見ず知らずの人間をいきなり家に泊めて下さり、温泉に連れてってくれたり、観光させてくれたり、たくさん面倒を見て下さいました。
そんなお母さんにお金までもらってしまって、泣きそうになりました。
世の中ここまでしてくれる人っているんやなぁ・・・・
「心が綺麗な人」ってこういう人を指す言葉なんやなぁ・・・・
感無量でした。
お母さんは今も幸せそうです。
もっともっと幸せになってくれたら嬉しいです。
お母さんの息子さんが指定した場所まで、バスに乗って行った。
私自身鹿児島市内のどこにいるかよくわからないまま、人に聞きながら、とりあえず高速道路に繋がる一般道の道が広めの所で「福岡」と書いて止まってくれる車を待っていた。
13時、ヒッチハイク開始。
お母さんは、私が「いつ車が捕まるかわからないし、寒いから先に帰って下さい」と言っても、
「私が車が捕まるまでそばで待っている」と言ってはなれませんでした。
若い女の子一人で旅をする、と言う事で、心配でたまらなかったんだと思いました。
本当に、本当に優しいお母さんでした。
途中、なかなか車が止まらなくて、薬局や焼肉屋さんの駐車場を回ってとりあえず、熊本か福岡ナンバーを狙って声を掛けまくった。
「すみません。福岡まで行きたいんですけど、途中まで乗せてってもらえませんか?」
「ごめん。鹿児島市内で用事あるんです。」
そう、それが下道ヒッチハイクのネックだった。
高速道路に一旦登ってしまえば、サービスエリアで降ろしてもらってもすぐ次に乗せてもらえる車は見つかるけれど、下道だとまず高速道路に乗る車から見つけなければならない。
下道だと高速道路をつかうよりも時間が何倍もかかるので、絶対高速道路に乗りたかった。
色んな人に声をかけまくり、断られ続けること1時間。
声をかけるのもだんだん疲れてきて、とりあえず「福岡」と書いておとなしくその紙を持って待つことにした。
すると、一台の車が目の前で止まり、中から人が出てきた。
「福岡まで行くんですけど、乗って行きますか?」
「えーーーーー!?!?良いんですかぁ??ありがとうございます!!!」
寒さと断られ続けたせいで落ち込んだ気持ちも一気に吹き飛んだ。
今までずっと一緒についていてくれたお母さんに報告して、別れを告げ、車に乗り込んだ。
乗せて下さったのは、自動ドアの会社の営業3人組のお兄さん達。
多分みんな20代の若い方で、前に座っていたお兄さんが、私の「福岡」の紙を見て、
「いまどきヒッチハイク!?」と面白がって止めて下さったみたいでした。
今日宿が無いから、福岡大学の学生の知り合いの家に泊めてもらおうか考えていた。
そしたら、後ろの席に座っていたお兄さんの家が、2世帯住宅で、去年おばあさんが亡くなったから
一軒屋まるまるあいてるよーっていう話をしてくださり、
会って1時間もしないうちに厚かましくも
「今日泊めてもらえませんか?」とお願いしてみた。
「えーーーー!?!?」と驚いていたものの、私を泊めて良いか電話して家族に聞いて下さった。
ご両親と一緒に住んでいて、今はお兄さん一人がおばあさんの方の家(1軒屋)に住んでいるみたいだった。
家族に電話したは良いけど、初め、何て説明したら良いか困っていた。
「あ、母さん?俺だけど・・・んー・・・何て言ったらいいかな・・・
さっきヒッチハイクしてる女の子を乗せたんだけど、今日泊まるところがないらしくってさ、泊めてほしいって言われてるんだけど・・・・」
ヒッチハイクしてる!
しかも女!
しかも会ってその日に泊めてほしいって言ってる!
確かに、こんな事、日常茶飯事には起こらないよな・・・・
事実ではあるけど普通じゃない映画みたいな話なので、電話の話に前にいたお兄さん達も笑っていた。
結局お兄さんのご家族もOKしてくださり、本日の宿、確保!!!
ありがとうございまーす!!
そのお兄さんの家がたまたま福岡大学も近く、お兄さんも福岡大学の卒業生だった。
鹿児島から一気に福岡まで北上し、お兄さんの家までそのまま車で送って下さった。
4時間くらいかかりました。同じ九州でも、やっぱり北から南は距離があるものですね。
お兄さん達の勤めている自動ドアの会社自体は福岡県にあって、たまたま午前中に鹿児島県で商談があった帰りに私を拾って下さったみたいでした。
お兄さんの実家で降ろしてもらい、軽くお兄さんがご両親に私を紹介をしてくれたあと、お兄さんは仕事が残っているので一度会社に戻った。
大きくて綺麗なお家だった。
見ず知らずの人間をいきなり泊めると言う事でご両親はパニックで、
「家は?」
「両親は?」
「今何してるの?」
「これからどうするの?」
と、質問攻めにあった。
確かに逆の立場だったら、変な人間じゃないかとか、どうしてウチなの?って確かめるだろうな、と思った。
お母さんが私に親切にトイレや布団の場所を教えてもらい、お兄さんの帰宅を待った。
お兄さんが帰ってきたらみんなでご飯を食べた。
お母さんが、お客さんが来る、ということで急きょ一人分増やし、料理の品数も増やして下さった。
私の為に、クジラのお刺身も出して下さった。
豪華な家庭料理が出てきてめちゃくちゃテンションあがってしまった。
福岡県の醤油って甘いんですね!!!
味噌の味もじゃっかん甘く感じた。
新しい発見です!
美味しすぎて感動した。
今は、お兄さんとご両親の3人で住んでいらっしゃった。
お母さんはテキパキ家事をこなす、仕事の出来そうな方だった。
常に私に気を使ってくださり、お父さんとお話している最中に、私が上手く伝えられない時も、
お母さんが助け舟を出してくれた。
お父さんは別に外国人とかそういう訳ではないけど、60を超えていらっしゃるので、20代の私と話すと
年代の差もあってちょっと話がかみ合わないこともあった。
でも、終始私のお話を静かに聞いて下さる、優しい方でした。
ご飯を食べた後、お風呂に入らせてもらい、隣のおばあちゃんがお住まいになっていた方の家に移動して寝かせてもらった。
その日、雪が降っていて夜は冷え込んでいた。
私が寝る時寒い思いをしないように、とお母さんがファンヒーターを数時間前から付けて部屋を暖めて下さった。
今日もふかふかのお布団で寝れたことに感謝しました。
鹿児島のお母さん、本当にありがとうございました。
そして福岡まで乗せてくださった自動ドアの会社の営業3人組のお兄さん達、今日泊めて下さったご家族の方々、本当にお世話になりました。
今日も無事に過ごせ素敵な方に恵まれて旅が出来た事に感謝します。
明日は私の大好きな中原さんに会いに、糸島に行くぞー!!!!