ヒッチハイク記5 大阪滞在 その1 | 心理コンサルタント&セラピスト 国本裕美

心理コンサルタント&セラピスト 国本裕美

「”物理学的”心理学」を習得し、数々の悩みを素早く解決し、多くの人生を劇的に良い方向へと導いてきた心理のプロフェッショナル。

2月6日(月) ヒッチハイク7日目

本日から約2週間は大阪滞在。
自分が生まれ育った大阪で会いたい人はたくさんいて、2週間毎日、その人達の家を転々する予定
だった。

ちなみに大阪では1万円を適用しないルールにしていました。
さすがに友達の家に行くのに電車を使わずにヒッチハイクで行くには時間もかかるし、
まずその友達の家に横づけしてもらえる人を探すことになるから、それは無理やろうと思って、
移動手段は電車やったし、買い物したりカラオケに行ったり、旅ではない「普通」の生活していました。

普通生活をすることは出発前から決めていたので、大阪滞在時用のみにキャッシュカードは1万円とは別で持ってきていました。

今日は新大阪の友達の家でひたすらゴロゴロ。
夕方、京都河原町にあるカフェ、絆(http://kizuna20100901.com/ )に行って来た。
カフェのオーナーと前々から会う約束をしていたのでがっつり話をしてきました。

今更ながら、会社を辞めてヒッチハイクをするにいたった過程を書きたいと思います。

私は大阪生まれ、大阪育ち。大学卒業まで大阪にいました。
就職活動で内定をいただいた会社が、たまたま東京にあったということで卒業後は東京一人暮らしを始めました。

2011年3月に東京に引っ越し、とある輸入雑貨を扱う商社に入社しました。

2か月間の研修を終え、営業全般に関わる事務、主に出荷をを担当していました。

当時、入社直前の3月11日の震災の影響を受けて、世間は節電節約の風潮に。

その波に乗っかって、ウチの会社が扱う「夏のクール雑貨」がバカ売れした。
それに伴い仕事量が増え、研修中は6時に帰れたのが、終わって間もなく毎日8時、9時位まで残業する日々が続いた。

傍から見るとそこまで遅くない時間かもしれないけど、

夜ごはんをちゃんと食べれない、
遊びに行ったりできない、
本を読んだり、だらだらしたりできない

帰ったら寝るだけの生活にストレスを感じていた。

去年の9月に一回本気で辞めたいと思った。
毎日楽しくなくて何の為に働いているのか、わからなくなってしまった。

私は毎日仕事が楽しくて、活き活き働く社会人になりたかった。
仕事は全部が楽しいことばかりじゃないってわかっていたけれど、
あまりにも自分の心がすさんできたので、辞めたくなった。
でも正直、そこまでやりたいことがあるわけでもなく、
やめて次の職を探す不安定な状態を受け入れる勇気もなく、
行動には移せなかった。

あまりにも毎日が楽しくなさそうに過ごしているのが顔に出ていたらしく、
ある女の先輩がご飯に誘ってくれた。
そこで今の自分の気持ちを率直に相談してみた。
自分の仕事は自分が思っている以上に重要で意味のある事を教えられ、
もうちょっと頑張ってみることにした。

そして12月。
またストレスが溜まるように。
入社時に比べて仕事に慣れて来るに伴って、請求書関係などの重要な仕事も任されるようになった。
新しい事を覚えるには時間がかかって当たり前だけど、そのせいで帰る時間も遅くなり、またそれにストレスを感じて暴飲暴食に走ってしまった。

寝る前に近くのコンビニに行って大量の、甘いパンやポテトチップスなどのお菓子を買い
お腹一杯なのにも関わらず食べ続けた。
体重増えるわ、口の周りにめちゃくちゃでっかなニキビが何個もできるわで鏡を見るのが嫌になった。

「終わらせないといけないから」っていう理由で自分の気持ちを我慢して仕事を続けていると、
気持ちがマヒしているのも感じた。

悲しいとか、辛いとか、嫌とか、あんまり感じなくなってしまった。

それに気づいた瞬間に「このままじゃあかんわ、自分!」って思った。

年末休暇に大阪に戻った時、私に心理学を教えてくている中井貴雄さんの紹介で、ある女性と会った。

色を使って人の悩みや内面をクリアにしてあげたり、タロットや数秘術にも精通した方でした。
その日、数秘術を使って私の生年月日から私の魂の傾向を教えてくれた。

私は「自分を伝える事」が好きで、セミナーをしたりカウンセラーになってアドバイスしてあげることが向いているとのこと。

事実、私は人に何かを教える事が大好きで、学生時代のアルバイトも家庭教師をずっとしてた。

「教える」、とは結局、「伝える」こと。
自分の言葉で自分のオリジナルの何かを伝える事、が私の魂の傾向だと言ってくれました。

私はもともとなんとなく興味ある事が3つあった。

1つ目は心理学。
これは自分の人生を大きく変えてくれたものであるので、どう考えれば良いのか困った時はいつも中井先生に相談していました。
基本的な事は理解していますが、まだまだ勉強中です。

2つ目は健康。
ゆるくですが、マクロビオティック
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%93%E3%82%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF
を実践しています。
ツボとか内臓の働きなどの東洋医学にも興味があって、いつかちゃんと勉強してみたいと思っています。

3つ目はアクセサリー。
キラキラしたものが大好きなんです。
アクセサリー屋さんとか宝石屋にいるときは幸せ。
無言でじーっと見てます。いつか自分が気に入るアクセサリーや宝石を仕入れてお店で売りたいと思っています。

これを彼女に話してみた。
すると、
「裕美ちゃんは、何か女性らしいものを伝えて行きそうなんよね・・・わかった。これちゃう??

心理学から心の美を。
健康で体の美を。
キラキラしたもので外見の美を。

この3つを統合して総合的な女性の美を伝えて行くのが使命なんじゃない?」

こうおっしゃってくれました。

衝撃。

今までばらばらで繋がりのなかった、自分の関心事が一発で繋がって衝撃が走った。

人に何かを教える(伝える)事を職業にして稼げるってなったら、どれだけ毎日が楽しいだろうか・・・

想像するだけでめっちゃワクワクする。

自分でも本当はどこかでこれがしたいってわかっていたのかもしれません。
自分が心底やりたかったことを言葉にしてもらえてピンときました。

疲れて何も感じなかった心が、ウソみたいにうきうきして顔はにやけてました。

うきうきしているついでに、今やりたいことを書き出して見た。

カラオケ、料理、旅行、ショッピング・・・

そういえば前々からヒッチハイクはしてみたかったな・・・・
会社辞めたらやってみようかな・・・

それから今の会社を辞めることを本気で考え始めた。

今の会社を続ける事→お金をもらえるので経済的な安定は得られるけれど、心と体がぼろぼろになってしまう。

このままでいるのか、しばらく不安定にはなるけれど会社をやめて、他の会社に転職するとか自分で起業する道を歩むか。

考える余地がなかった。
今の自分を変えるには、今の会社を辞めることから始まるって直感で思った。

それからすぐに退職届の書き方をネットで調べ、紙とか封筒とか買ってきて実際に書いた。

でも、実際「辞める事」にものすごく抵抗を感じた。

自分の可能性を見抜いて私に内定を出してくれた会社。
先輩達は毎日、自分の時間を割いて私の為に教えてくれた。
上司も先輩もみんな好きだ。
社員旅行にも連れてってくれた。

なのに辞めても良いのか?
もっと会社に貢献してから辞めるべきじゃないのか?

家族から責められるのではないか?
自分のしている行為は間違っているのではないか?

辞める事が悪なのではないかって、不安で仕方なかった。

でも、心は正直でした。

「早く辞めて新しい世界に行きたい。」

この一点でした。

自分で「誰に何を言われても、辞めるんだ。」って決心して、1月中旬に先輩社員や社長にも話をした。
私は1月末に辞めたかったけど、会社の実情は人が足りていないので、2月末に辞めてほしいと言われた。
私も初めはそれに合意した。

だけど、ストレスに耐えきれず、「1月末に辞める」の一点張りで自己主張を通した。
結局会社に行かなくなり、1月末に辞めるはずが少し早まり、1月25日付けで退職になった。

辞め方が綺麗ではなく、たくさんの人に迷惑をかけて辞めました。

自分の非を認めない書き方かも知れないけれど、
「自分の人生に起こることはすべて自分の責任。」
「相手の人生に起こることもすべて相手の責任。」
です。

私のせいで先輩にめちゃくちゃ迷惑をかけたけど、それはそういう事態を引き寄せた先輩社員や会社の責任です。

私の会社で辞めて来た人たちはみんな綺麗な辞め方をした人はいませんでした。
私は温和な辞め方をしたかった。
でも自分の気持ちに正直になると、それはできませんでした。

会社か自分、どっちをとるかという選択肢のなかで、私は自分をとった。

結果的に会社に迷惑をたくさんかけてしまったことに対しては反省しています。
でも、自分を大切にできた自分を褒めたかった。

辞めるって言い出す事も、行動に移すこともすごく怖くて、すごく勇気のいることだったから。

初めて自分の意志で何か大きな決断を下し、行動を起こした瞬間でした。
今まで「なんとなく」「みんながしてるから」という基準で物事を決めてきました。

今回はすべて自分の意志で起こした行動でした。
自分の人生を自分が作っているんだっていうことを実感しました。
これが自信につながって、怖くてできないと思っていたヒッチハイクもなんとなく出来そうな気がしてきた。

出発の1月31日までの数日間、人と会ったり、公園に行って自分を見つめたりしていた。
会社を辞めてからしばらくは辞めた処理や書類などに追われ、会社のことばかり考えていたけれど、
それが終わってからは、ヒッチハイクに意識が行くようになった。

どこに行こう?
誰に会おう?

まず、ホンマにできるんやろうか?

また不安にかきたてられてきた・・・・

結局悩んで、今自分が会いたい全員に会おうって決めた。

静岡に1人、愛知に2人、三重に1人、大阪に10人位、広島に1人、福岡に1人。
みんなに連絡して、会いたいから予定をあけてくれって頼んだ。

だいたいの日程と、会いたい人たちの予定を聞いていつ頃どこに行くか決めた。
この人たちに会えばあとは好きな所に行ったり好きな事をして自由に過ごしてみようと思った。

とりあえず1か月は旅したいと思った。

池田千晶著『ヒッチハイク女子、人情列島を行く』という本を読み、
20歳の女の子が1年4カ月かけて1万円とギターとリュック1つだけでヒッチハイクで日本一周していた事に感動し、
自分も同じ1万円っていう制限で旅行してみることにした。

ガス・水道を2月一杯は止める手続きをした。
(電気は止めれない契約になっていたのでそのままにした)
地図を買い、迷った時の為に携帯をアイフォンに変えて荷物を詰め、家を出ました。

そして始まった旅は想像できない位楽しくて、充実してて、感動するものでした。