俺の腕の中で、彼女の躰は強張り、小刻みに震えていた。

「寒いのか? キャンディ」

「ううん……違うの」

掠れた声が答える。

俺は、儚げな白い裸体を抱き締めた。

 

「ぁ」

と、あえかな声が洩れる。

「貴方の肌……、温かい」

痛みに耐え、歯を食い縛り、

「テ、リィ……」

それでも、

「ん……っ!」

細い腕は俺にしがみつき、背中を捕えて離さない。

彼女は拒んでいなかった。

 

躰は十分受け入れようとしてくれている。

ただ……、

「ごめん、痛い……よな?」

「謝らない……で」

涙が頬を止め処なく流れている。

けれど……、

「私、ずっと……こうして欲しかったんだわ」

女神のように彼女は微笑む。

「幸せよ、……テリィ」

「俺もだ……」

 

指を絡ませ、腕を絡ませ、髪を絡ませ、

「抱き締めて……もっと強く」

肌と肌を搦ませて。

「壊れてもいいから……」

 

この刹那を超える幸せは──この先一生望めないだろう。

そう思わずにはいられないほど、あの夜の俺たちは、果てのない絶望の海を泳いでいた。

 

運命は、俺と彼女の人生を俺たちの意思に関係なく絡ませて、幾重にも絡ませて、

ほどけぬほど搦ませて──、

最後の最後に、俺たちの意志を無視して引き裂いた。

 

ならば、何故出逢わせた?

何度も神に問いかけた。

天上から気紛れに釣り糸を垂らし、たまたま引っ掛かった俺たちをいたずらに弄んだだけなのか?

俺は憤り、空に叫んだ。

こんな糸なら、いっそのこと千切れてしまえ……!

 

でも、私、幸せよ……。

 

雪の止んだ早朝、駅の前で、翳りを湛えたエメラルドが囁いて、俺は頷く。

ぴんと張った糸のように、彼女が踵を返すまで、二つの視軸は動かなかった。

 

もしもあの時、別の扉を選択する勇気があったなら、

目に映る景色は、夕陽の色は、雲の流れは──今と違って見えたかもしれない。

 

 

もう、糸は切れたろうか。

一年が過ぎる毎に、俺は思う。

遠い空の向こうで、穏やかに暮らしているであろう少女を想って。

 

いつか、この指に絡んだままの糸を手繰り寄せる勇気を──俺は取り戻せるだろうか。

 

幸せよ、テリィ──。

私、後悔なんかしてないわ。

 

そうだ。もう二度と後悔はしたくない。

無意味だったと悔やむのは、全てをやり尽くした後でいい。

 

今も瞼の裏に焼きついているのは、泣き顔よりも零れんばかりの彼女の笑顔。

 

それから、俺は、手紙を書いた。

 

 

 

 

薄闇のなか、テリュースはふと目覚め、傍らで眠る女神に目を遣る。

微かに残る少女の面影。その変遷を共に歩むことは叶わなかったけれど……。

 

再会の夜は溺れた。あかときの月が雲間に隠れるまで。

忘れられなかった柔らかな肌の温もり。彼女だけから香る匂い。

 

朝陽が昇っても、別離に怯えることはないのだ。もう二度と。

その安堵感からか、いつの間にかまた眠ってしまったようだった。

 

コトコトとお湯の沸く音。

コーヒーの香りが鼻孔を擽る。

 

「テリィ」

 

微睡まどろみの向こうで、女神の声が俺を呼んだ。

 

「お寝ぼうさん、そろそろ起きて」

 

 

 

 

 

今作のイメージソング音符「糸」中島みゆき