※夜這い星……流れ星の異名。
二週間はちょうどいい……と、唐突にテリィが言った。
「あの時は無我夢中で余裕が無かった。その上、十年間待たされた」
「やめて、テリィ」キャンディは身を躱そうとする。
「そんなことをして、いったい何の意味があるって言うの?」
「意味がないことをする──それが休暇の、いや、人生の醍醐味だと思わないか? キャンディ」
「意味が分からないわ」
「分かるよ、すぐに……」
テリィが耳元に息を吹きかけるように囁くと、途端に腕の中の彼女の力が抜けていく。
もう抵抗は無い。テリィはキャンディの躰を優しく組み伏せた。
そうして薄紙を剥ぐように、少しずつ封印を解いていく。
「さて、どこからいく? 手始めに首の辺りから?」
「やめ……テリ……っあ」
旅行に行こう──と言いだしたのはテリィだった。
イギリスに移り住んでから初めての纏まった休暇。忙しい仕事の都合を合わせ、奇跡的に取れた二週間。
前の晩、キャンディは、ピクニックの前日の子供のように眠れなかった。
列車の中でも、船に乗っている間も、うきうきと心は弾んでいた。
二人で旅行できる喜び、それにもまして、彼と片時も離れずにいられる幸せに浸る。
どこまでも青一色の高い空。
前方には、パノラマのような景色が広がる。
──これはなかなか幸先の良いスタートだわ。
キャンディは最高に機嫌が良かった。
春雷が遠くに響く。そう感じた矢先、風が鳴り、後を追うように雨粒が窓ガラスを叩きだす。ほんの数分前まで月が見えていた空は、鈍色の雲に覆われてしまった。
「庭の花が散ってしまうわ」
キャンディは、二人を出迎えてくれた見事なイングリッシュガーデンを思い浮かべる。美しい、けれど、どことなく無造作で不揃いな花や蕾たち。それが反って愛らしさを感じ、日の出から日没まで、ぼうっと眺めていたくなる。外観は全く違うのに、まるで自分の家のような懐かしさと安らぎを覚える自分が不思議だった。
「仕方ない。それも自然の摂理だ」
「冷たいのね、テリィ」キャンディは不服そうに呟き、窓の外に目をやった。「雹にならなきゃいいけど……」
不意に、思いもよらぬところへ指が触れ、
「やっ……!」という嬌声とともに、彼女の躰が小さく跳ねた。
「なっ何するの? 聞こえちゃうじゃないっ」
キャンディは口を押さえ、押し殺した声で叫ぶ。
「君がうわの空だからさ。平気さ、ほら春雷が味方してくれる」テリィは刻々と迫る雷鳴を聞きながら、彼女の口から手を外した。
「だから……我慢しなくていい」
それから軽い躰を俯せにして、唇と指と舌で、彼女の敏感なところを探り始める。
「あ……だ、駄目……っんん」キャンディは枕に顔を埋め、声を堪えようとする。
「っ、ふ……ぁあ──」
されど、それにも限界があった。
白い光が空を裂く。同時に雷鳴。
暗闇の中、キャンディの忘我の表情を断続的に暴く清浄な白光に、テリィは密かに愉悦を覚える。そのことに気づいていない彼女の油断にも。
春雷は知らぬ間に通り過ぎ、気がつけば雨音も止んでいた。窓の外は、薄っすらと月白に煌めきだす。目まぐるしく変わる気候は、この地特有のものなのか。
腕の中で、くったりとなっているキャンディの髪をテリィは手櫛で整え耳にかける。
彼女に溺れるうちに、初めの目的は忘れてしまった。
まぁいい。まだ一週間と六日ある。休暇は始まったばかりだ。
「それで……幾つあったか分かったの?」
本心ではどうでも良かったけれど、キャンディは訊いてみた。
「ごめん」テリィは、ばつが悪そうに笑う。「途中で分からなくなった。というか、それどころじゃなくなった」
そんなことだろうと思った。あの状態で数え上げていたとしたら神業だ。瞬間「あの状態で」が脳裏に蘇り、キャンディは慌てて打ち消した。
「ごめん」もう一度テリィは言い、後ろからキャンディを抱き竦める。
「でも、背中だけは何とか確認したよ」
「背中……?」
「そう、君には見えないところ」
それを聞いたキャンディは、何故だか顔が熱くなる。
「どんなのだか訊きたくない?」
「き、興味ないわ」
「本当に?」
「しつこいわよ、テリュース」
くっく……と楽しそうにテリィが笑う。
「じゃあ、勿体ないけど、俺だけの秘密にしておくよ」
「是非そうしてちょうだい」
キャンディは素っ気なく言うと、ブランケットに潜り背中を向けた。
彼は突然、笑うのを止める。
本当は──もっと前から、テリュースは知っていた。
彼女のラインを流れる星屑を。
十年前のあの晩、眠りにつく彼女の背中を、まんじりともせず眺めていた時だった。
単なる黶と言ってしまえばそれまでだ。だが、テリィには星に見えた。
──俺だけが知っている空の破片。
あの夜と同じだった。緩やかにカールした髪の長さも。瞬きする間に消え去りそうな儚げな稜線も。
幸せで苦しい時間。甘くて苦い思い出。
「どうしたの? 黙ったままで」キャンディが顔だけをこちらに向ける。
「キャンディ」自分でも予期せぬ弱々しい声が洩れた。「明日の朝になっても、俺といてくれるか?」
「え? 当たり前でしょ」キャンディはテリィに向き直る。「何を言っているの?」
「──本当に?」
「テリィ、どうしたの?」彼女は彼の顔を見つめ、優しく尋ねた。
「どの口が──と言うかもしれないが」テリィは真顔でキャンディを見据える。「もう一生、誰にも渡す気はないからな。それだけは覚悟しておいてくれ」
「誰にもって、……誰もいないわ」キャンディは、きっぱりと告げた。「私は、一生あなただけよ。十年よりもずぅっと前から」
テリィは漸く、ふっと口元を綻ばせ、
「どこまでも負けず嫌いだな」
細い腰を壊さぬように抱き寄せると、ちいさな朱唇を貪った。
「ん……んぅ……」
深く。熱く。
「テリィ……苦し──」
熱く。──深く。
足りない。言葉だけじゃ。
もっと俺に触れてくれ。
熱く溶けてしまうほど。
もっと……
魂まで震わすほど。
もっと……
朝になっても、
温もりが消えてしまわぬよう。
もっと──