冬休みの読書に、スーパーアセンション(MSI著)を読みました。
面白かったので、少し引用紹介させていただければと思います。
「私たち人間には、不必要にも人生を複雑なものにするという不幸な習慣があります。愛は崇高なまでに単純であり、絶対的に基本的なものであり、何の訓練もしなくても得られるものであり、常に変貌させてくれるものであり、与えれば与えるほど増えるものであり、宇宙全体における最大の秘密です。偉大な秘密の多くがそうであるように、この秘密も、まるで何の価値もないものであるかのように、公に展示されているのです。欲しい人はだれでも入手できます。限りなく無尽蔵であり、年とともに増大し、しかも、常に無限に満たされている、それが愛です。
この地球には愛がないのではありません。それどころか、地球は至る所で愛に満ち溢れています。絶望的に孤独で、愛に飢えているのは、他の人たちがまず、彼らを愛することを要求しているからなのです。
もしも、私が自分は愛に値しないと考えたならば、私は(全く無意識のうちに)自分は愛されていないということを証明できるように、自分の人生を組み立てることでしょう。そうすることによって、私は何度も何度も、自分に対して持っているセルフイメージの正しさを証明するでしょう。
自分の人生でうまくいってない部分に対して、自分で責任をとるというのは、自分で自分の運命を操縦するという困難な仕事につきものの事です。しかし同時に最も重要なことでもあります。もしも私たちが何かのことで他人を責めることがあるとすれば、それは、自分自身の罪の意識と自尊心のなさを他人に投影しているだけのことです。自分の内にないものを外部に見るというのは、困難、いや、不可能です。
基本的な原則は、宇宙は私たちが人生について信じていること、理解していることをそのまま完璧に映し出してくれるという事です。」
「聖書に、かつて地上に存在したことのあるすべての人が現在の地球に存在しているという言葉があります。もしこれが事実であるとすれば、なぜでしょうか。論理的に考えれば、いわゆる「最後の審判」のためであると考えられます。この最後の審判とは、そもそも何でしょうか。この地球に関していうならば、不滅の肉体にとどまりたいと望むものは今やそうすることが出来るということも意味するかもしれません。と同時に、それを願い、かつそうしなければならないと信じている人々は、死を体験し続け、死ぬという体験をする機会を持ち続けることも意味します。この惑星は不滅の局面に入りつつあります。父なる神の庭には数多くの大邸宅があり、すべての人が住むだけの場所があります。
本来の自分に生まれ変わるこの出産は、苦しみを伴う必要はありません。苦しみが伴うとすれば、それはあなたが古い信念や概念に固執しようとする程度に応じたものになるでしょう。エゴによって誤って作られたものすべてを放棄する意志がありさえすれば、すべては楽になります。あなたが所有しているものや信念にしがみつこうとするときだけ、苦痛を体験することになるでしょう。
これを、限定された稀少な意味にとらえないでください。この世界のすべてを所有しながら、悟りを開くことも可能なのです。世俗的なものすべてを放棄した僧侶のほうが、君臨する王様よりも魂が進化しているという保証はありません。実際の話、この僧侶は王様よりも進化のレベルがずっと低いという可能性もあります。真の意味での放棄は物ではなく、心において実現されます。放棄が物質的にもなされなければならないかどうかは、執着の根がどれほど深く心の中に張っているかによります。その根が浅いものであれば、何も放棄する必要はありません。それが非常に深いものであれば、すべてのものを放棄しても十分ではないかもしれません。
本当の意味での脱俗(放棄)とは、欲望やある種の行動を放棄することではなく、エゴを信じることを完全に放棄するということです。」
スーパー・アセンション―イシャヤ・アセンションの技術解明
確かにヨハネが言いそうな感じがしました。
自我(エゴ)に振り回され生きるのは、とってもストレスな事なのに、エゴを無くす方向に向かう事が恐いと感じるのは、
自分自身や個性をエゴと同一化して考えているからで、
でも本当は、エゴがなくても自分は無くならないし、むしろ、より堂々と自分らしく個性的に生きられるようになれるように思います。
なぜなら、クリスタルだって植物だって天使やアセンデッドマスターだって、エゴがなくても愛にあふれ個性的だし、
そういう意味での個性がなくなることは=源が無に帰ること
だと思うので、それは宇宙の計画次第であって、
一人一人の悟りくらいでどうこうできるようなことではないから、
心配する必要はないんじゃないかなと私は思います。
それに源が永遠なら、悟りをひらいても、上には上が永遠にあると思うし、
どこまで行っても、自分に終わりなんてないんじゃないかななんて。
善悪知る木の実を食べたことによって楽園を追われたという話は、
善悪判断(ジャッジメント)することによって、分離感(エゴ)を強め波動を落としていったということなんじゃないかなと私は思います。
だから、すべての元凶は 裁く心 なんじゃないかななんて。
なぜなら本来、人が裁かなくても、蒔いた種は自分で刈り取る といわれるように
因果応報で必ずどこかでその結果が現象として現れるから、
人の善悪判断や優劣や常識などによって
自分や他人を裁く必要なんてないんじゃないかなと、
最近体感としても思うところだったからです。
だからもしかしたら最後の審判の時というのは、裁く人は裁かれるだろう で、
だから、天国は子供たちのようなもののためにある なんじゃないかななんて思いました。
面白かったので、少し引用紹介させていただければと思います。
「私たち人間には、不必要にも人生を複雑なものにするという不幸な習慣があります。愛は崇高なまでに単純であり、絶対的に基本的なものであり、何の訓練もしなくても得られるものであり、常に変貌させてくれるものであり、与えれば与えるほど増えるものであり、宇宙全体における最大の秘密です。偉大な秘密の多くがそうであるように、この秘密も、まるで何の価値もないものであるかのように、公に展示されているのです。欲しい人はだれでも入手できます。限りなく無尽蔵であり、年とともに増大し、しかも、常に無限に満たされている、それが愛です。
この地球には愛がないのではありません。それどころか、地球は至る所で愛に満ち溢れています。絶望的に孤独で、愛に飢えているのは、他の人たちがまず、彼らを愛することを要求しているからなのです。
もしも、私が自分は愛に値しないと考えたならば、私は(全く無意識のうちに)自分は愛されていないということを証明できるように、自分の人生を組み立てることでしょう。そうすることによって、私は何度も何度も、自分に対して持っているセルフイメージの正しさを証明するでしょう。
自分の人生でうまくいってない部分に対して、自分で責任をとるというのは、自分で自分の運命を操縦するという困難な仕事につきものの事です。しかし同時に最も重要なことでもあります。もしも私たちが何かのことで他人を責めることがあるとすれば、それは、自分自身の罪の意識と自尊心のなさを他人に投影しているだけのことです。自分の内にないものを外部に見るというのは、困難、いや、不可能です。
基本的な原則は、宇宙は私たちが人生について信じていること、理解していることをそのまま完璧に映し出してくれるという事です。」
「聖書に、かつて地上に存在したことのあるすべての人が現在の地球に存在しているという言葉があります。もしこれが事実であるとすれば、なぜでしょうか。論理的に考えれば、いわゆる「最後の審判」のためであると考えられます。この最後の審判とは、そもそも何でしょうか。この地球に関していうならば、不滅の肉体にとどまりたいと望むものは今やそうすることが出来るということも意味するかもしれません。と同時に、それを願い、かつそうしなければならないと信じている人々は、死を体験し続け、死ぬという体験をする機会を持ち続けることも意味します。この惑星は不滅の局面に入りつつあります。父なる神の庭には数多くの大邸宅があり、すべての人が住むだけの場所があります。
本来の自分に生まれ変わるこの出産は、苦しみを伴う必要はありません。苦しみが伴うとすれば、それはあなたが古い信念や概念に固執しようとする程度に応じたものになるでしょう。エゴによって誤って作られたものすべてを放棄する意志がありさえすれば、すべては楽になります。あなたが所有しているものや信念にしがみつこうとするときだけ、苦痛を体験することになるでしょう。
これを、限定された稀少な意味にとらえないでください。この世界のすべてを所有しながら、悟りを開くことも可能なのです。世俗的なものすべてを放棄した僧侶のほうが、君臨する王様よりも魂が進化しているという保証はありません。実際の話、この僧侶は王様よりも進化のレベルがずっと低いという可能性もあります。真の意味での放棄は物ではなく、心において実現されます。放棄が物質的にもなされなければならないかどうかは、執着の根がどれほど深く心の中に張っているかによります。その根が浅いものであれば、何も放棄する必要はありません。それが非常に深いものであれば、すべてのものを放棄しても十分ではないかもしれません。
本当の意味での脱俗(放棄)とは、欲望やある種の行動を放棄することではなく、エゴを信じることを完全に放棄するということです。」
スーパー・アセンション―イシャヤ・アセンションの技術解明 確かにヨハネが言いそうな感じがしました。
自我(エゴ)に振り回され生きるのは、とってもストレスな事なのに、エゴを無くす方向に向かう事が恐いと感じるのは、
自分自身や個性をエゴと同一化して考えているからで、
でも本当は、エゴがなくても自分は無くならないし、むしろ、より堂々と自分らしく個性的に生きられるようになれるように思います。
なぜなら、クリスタルだって植物だって天使やアセンデッドマスターだって、エゴがなくても愛にあふれ個性的だし、
そういう意味での個性がなくなることは=源が無に帰ること
だと思うので、それは宇宙の計画次第であって、
一人一人の悟りくらいでどうこうできるようなことではないから、
心配する必要はないんじゃないかなと私は思います。
それに源が永遠なら、悟りをひらいても、上には上が永遠にあると思うし、
どこまで行っても、自分に終わりなんてないんじゃないかななんて。
善悪知る木の実を食べたことによって楽園を追われたという話は、
善悪判断(ジャッジメント)することによって、分離感(エゴ)を強め波動を落としていったということなんじゃないかなと私は思います。
だから、すべての元凶は 裁く心 なんじゃないかななんて。
なぜなら本来、人が裁かなくても、蒔いた種は自分で刈り取る といわれるように
因果応報で必ずどこかでその結果が現象として現れるから、
人の善悪判断や優劣や常識などによって
自分や他人を裁く必要なんてないんじゃないかなと、
最近体感としても思うところだったからです。
だからもしかしたら最後の審判の時というのは、裁く人は裁かれるだろう で、
だから、天国は子供たちのようなもののためにある なんじゃないかななんて思いました。
つづきです。
5日はようさんとかなこさんと日光に行きました。
朝陽とともに清々しい気分で出発!


電車の手動連結も見れました。
東武日光駅に10時半ころ着きました。

バスで勝道上人像前へ。


勝道上人とようさん
東照宮へ




見ざる言わざる聞かざる





ようさんは階段になると師匠モード入ります(笑)速い‼

かなこさんがこの子にカメラを向けてたら、
意識して緊張しつつもキメ顔している感じがして、
ちょう可愛かったです♥♥♥

家康墓所


社殿の中に歌人が沢山飾られていて萌えました♥
人麿が正面右で貫之が正面左でした。(嬉)



なんか楽しそうに石と戯れていたようさん。

全体的に家康感は全然ありませんでしたが
さすが世界遺産で、圧巻の荘厳でした。
湯葉うどんとカツ丼を食べて二荒山神社へ


仲良し杉
それからバスで神橋へ
ようさんおすすめの神橋はさすがでした!

こちらも世界遺産だそうです。

ようさん曰く、神様の渡る橋なので人は渡らないで良いそうです。
神様たちは大喜びで1列にならんで渡っていた模様です♥よかったね~♥


板垣死すとも自由は死せず。です!
帰りの電車まで2時間半くらい余裕があったので、
何処か行きたいところがあるか、ようさんに聞いたら
温泉に入りたいと教えてくれたので、
羊羮屋さんで日光駅の前のホテルで日帰り入浴が出来ると聞いて
温泉にも入る事ができました。
最高でした~♥
やっぱりお風呂はいいですね♥
日光もちょう堪能でき、楽しいお正月になりました。
ありがとうございました♥

それでは今年もどうぞよろしくお願いいたします♥
5日はようさんとかなこさんと日光に行きました。
朝陽とともに清々しい気分で出発!


電車の手動連結も見れました。
東武日光駅に10時半ころ着きました。

バスで勝道上人像前へ。


勝道上人とようさん
東照宮へ




見ざる言わざる聞かざる





ようさんは階段になると師匠モード入ります(笑)速い‼

かなこさんがこの子にカメラを向けてたら、
意識して緊張しつつもキメ顔している感じがして、
ちょう可愛かったです♥♥♥

家康墓所


社殿の中に歌人が沢山飾られていて萌えました♥
人麿が正面右で貫之が正面左でした。(嬉)



なんか楽しそうに石と戯れていたようさん。

全体的に家康感は全然ありませんでしたが
さすが世界遺産で、圧巻の荘厳でした。
湯葉うどんとカツ丼を食べて二荒山神社へ


仲良し杉
それからバスで神橋へ
ようさんおすすめの神橋はさすがでした!

こちらも世界遺産だそうです。

ようさん曰く、神様の渡る橋なので人は渡らないで良いそうです。
神様たちは大喜びで1列にならんで渡っていた模様です♥よかったね~♥


板垣死すとも自由は死せず。です!
帰りの電車まで2時間半くらい余裕があったので、
何処か行きたいところがあるか、ようさんに聞いたら
温泉に入りたいと教えてくれたので、
羊羮屋さんで日光駅の前のホテルで日帰り入浴が出来ると聞いて
温泉にも入る事ができました。
最高でした~♥
やっぱりお風呂はいいですね♥
日光もちょう堪能でき、楽しいお正月になりました。
ありがとうございました♥

それでは今年もどうぞよろしくお願いいたします♥
3日から、かなこさんが東京に来られると言う事で、
いっしょに東京散策してきました。
3日は増上寺へ。4時前くらいに到着しました。

日が傾きかけていましたが光はパワフルでした。

やっぱり赤と緑なんだ♥


社長というかサナンダというか家康を感じました。

東京タワーとのコラボが迫力でした。



奥に墓所があり、4時までの拝観だったのでギリギリアウト。
また翌日来る事にして、早めに帰宅して、翌日に備える事にしました。
帰ってからやっと年賀状を描きました。


去年の練習の成果を発揮でき、さくっと描けました(笑)
4日は、10時に鶯谷で待ち合わせて
寛永寺→ロダン→穴稲荷→ランチ→神田明神→伊能忠敬の碑→増上寺→日枝神社→平将門の首塚→東京駅(ケーキ♥)→東海寺を巡りました。

寛永寺にて

西洋美術館前のロダン彫刻も見れました。

エヴァの頭に鳥の洗礼が(笑)
タイランチしながら色んな話をして、
やっぱり不比等は素敵だなと思い出したりしました。

神田明神の浦安稲荷では、ようさんみたいな狐さんが入って来てくれました。
ちょう可愛かったです♥
(今日気づいてようさんに渡しときました。)



神田明神は大にぎわいでした。



大銀杏とさざれ石もあるんですね!
それから浜松町へ
伊能忠敬の碑


そして増上寺墓所見学リベンジ!

和宮の墓所を見たら、突然ぐっときて泣きそうになりました。
墓所見学は絵葉書のお土産付きでとってもお得でした♥
お正月期間限定公開みたいなので、行けてよかったです♥

歩いて日枝神社へ
地下鉄で大手町へ

首塚はなぜか大にぎわいでした。
あ、東京駅がリニューアルしてちょう可愛くなってて本当にツボです♥
一気にテンションが上がりました。


この天井は、銀河鉄道の夜ぽくて大好きです♥

銀河ステーション~銀河ステーション~
駅地下のキッシュとタルトケーキのお店でお茶しました。
ちょう美味しかったです♥(写真なし)
そのあと新馬場の東海寺の前まで行って、帰りました。
つづく
いっしょに東京散策してきました。
3日は増上寺へ。4時前くらいに到着しました。

日が傾きかけていましたが光はパワフルでした。

やっぱり赤と緑なんだ♥


社長というかサナンダというか家康を感じました。

東京タワーとのコラボが迫力でした。



奥に墓所があり、4時までの拝観だったのでギリギリアウト。
また翌日来る事にして、早めに帰宅して、翌日に備える事にしました。
帰ってからやっと年賀状を描きました。


去年の練習の成果を発揮でき、さくっと描けました(笑)
4日は、10時に鶯谷で待ち合わせて
寛永寺→ロダン→穴稲荷→ランチ→神田明神→伊能忠敬の碑→増上寺→日枝神社→平将門の首塚→東京駅(ケーキ♥)→東海寺を巡りました。

寛永寺にて

西洋美術館前のロダン彫刻も見れました。

エヴァの頭に鳥の洗礼が(笑)
タイランチしながら色んな話をして、
やっぱり不比等は素敵だなと思い出したりしました。

神田明神の浦安稲荷では、ようさんみたいな狐さんが入って来てくれました。
ちょう可愛かったです♥
(今日気づいてようさんに渡しときました。)



神田明神は大にぎわいでした。



大銀杏とさざれ石もあるんですね!
それから浜松町へ
伊能忠敬の碑


そして増上寺墓所見学リベンジ!

和宮の墓所を見たら、突然ぐっときて泣きそうになりました。
墓所見学は絵葉書のお土産付きでとってもお得でした♥
お正月期間限定公開みたいなので、行けてよかったです♥

歩いて日枝神社へ
地下鉄で大手町へ

首塚はなぜか大にぎわいでした。
あ、東京駅がリニューアルしてちょう可愛くなってて本当にツボです♥
一気にテンションが上がりました。


この天井は、銀河鉄道の夜ぽくて大好きです♥

銀河ステーション~銀河ステーション~
駅地下のキッシュとタルトケーキのお店でお茶しました。
ちょう美味しかったです♥(写真なし)
そのあと新馬場の東海寺の前まで行って、帰りました。
つづく
今日ようやく仕上げることができました!



サナンダサンタ参上!
ぺトロを作るつもりだったのですが、
いつのまにかサナンダになってました(笑)
やっぱりブラッドストーンを選んだ時点であれだったなぁ…
と、今となっては感慨深いです。
作ってるときも、社長が超話しかけてくるし、イエス事件もあったし、
おかげ様でぺトロの事も、サナンダの事も、自分たちの事も、
たくさんの事を思い出させてもらう事ができました。
本当に、石は全てお見通しなんだな~と
石に対する信頼がさらに増しました。
石さん本当に導いてくれてありがとう!
石って本当にすごいな~愛だな~♥❤
(そういえば、19日に颯花さんのところで買ったスーパーセブンみたいなルースちゃんからのメッセージも
「もっと石達のことを信頼してね!信頼してくれればくれるほど繋がれるから!」とのことで、
颯花さんも「クリスタルからそんな風に言われるってことは、
きっとこれからは、もっともっとクリスタルと関わっていくという事で、
たくさんの石がこれからも繋がりたいと待っているということだと思いますよ!」
といわれたのを思い出しました。
そういえば、そのあとすぐに、アールさんから
「この子が44さんのところに行きたいみたいなので」と
ミルキークオーツを頂き、すごくうれしかったです!!!
アールさん、本当にありがとうございます!!!大切に大切にしますね♡)
というわけで、クリスマスには一日遅れたけど、
課題も無事終了し、嬉しいです。
次の課題はパオロヴェロネーゼとサンジェルマンかなぁ♥
(ぺトロ的なやつはまたあらためて作りたいと思います。)
あと、これは以前友達に作ったユナカイトのネックレスとお揃いの指輪を
クリスマスプレゼントに作りました✨✨



お揃いで着けてね♥と渡したら
とても喜んでくれて嬉しかったです♥
いつもありがとう✨
来年の目標は運動するです!(19日に颯花さんのスギライトに言われました)
それでは良いお年を!



サナンダサンタ参上!
ぺトロを作るつもりだったのですが、
いつのまにかサナンダになってました(笑)
やっぱりブラッドストーンを選んだ時点であれだったなぁ…
と、今となっては感慨深いです。
作ってるときも、社長が超話しかけてくるし、イエス事件もあったし、
おかげ様でぺトロの事も、サナンダの事も、自分たちの事も、
たくさんの事を思い出させてもらう事ができました。
本当に、石は全てお見通しなんだな~と
石に対する信頼がさらに増しました。
石さん本当に導いてくれてありがとう!
石って本当にすごいな~愛だな~♥❤
(そういえば、19日に颯花さんのところで買ったスーパーセブンみたいなルースちゃんからのメッセージも
「もっと石達のことを信頼してね!信頼してくれればくれるほど繋がれるから!」とのことで、
颯花さんも「クリスタルからそんな風に言われるってことは、
きっとこれからは、もっともっとクリスタルと関わっていくという事で、
たくさんの石がこれからも繋がりたいと待っているということだと思いますよ!」
といわれたのを思い出しました。
そういえば、そのあとすぐに、アールさんから
「この子が44さんのところに行きたいみたいなので」と
ミルキークオーツを頂き、すごくうれしかったです!!!
アールさん、本当にありがとうございます!!!大切に大切にしますね♡)
というわけで、クリスマスには一日遅れたけど、
課題も無事終了し、嬉しいです。
次の課題はパオロヴェロネーゼとサンジェルマンかなぁ♥
(ぺトロ的なやつはまたあらためて作りたいと思います。)
あと、これは以前友達に作ったユナカイトのネックレスとお揃いの指輪を
クリスマスプレゼントに作りました✨✨



お揃いで着けてね♥と渡したら
とても喜んでくれて嬉しかったです♥
いつもありがとう✨
来年の目標は運動するです!(19日に颯花さんのスギライトに言われました)
それでは良いお年を!
つづきです。
そんなわけで本をたくさん買いました。
その中の仏教聖典に聖書にもおんなじこと書いてあったな~という部分があったので、
クリスマスにちなんで紹介させて頂きたいと思います。

今日買ってきた(仏教聖典)より。
第1章 人のつとめ
私の弟子になろうとするものは家を捨て世間を捨て財を捨てなければならない。教えのためにこれらすべてを捨てたものは私の相続者であり、出家と呼ばれる。
たとえ、私の衣の裾をとって後ろに従い、私の足跡を踏んでいても、欲に心が乱れているならば、その人は私から遠い。たとえ、姿は出家であっても、彼は教えを見ていない。教えを見ない者は私を見ないからである。
たとえ、私から離れること何千里であっても、心が正しく静かであり、欲を離れているなら、彼は私のすぐそばにいる。なぜかというと、彼は教えを見ており、教えを見る者は私を見るからである。
(途中割愛)
仏の衣を着る時は、柔和であって忍ぶ心を持つことである。仏の座に座る時は、すべてのものを空と見て、執着を持たないことである。仏の室に入るとは、すべての人に対して大慈悲の心を抱くことである。
(途中割愛)
だから、誰でもまず自ら教えを聞くことを願わなければならない。
誰かが「この燃え立つ火の中へ入れば教えが得られる」と言うなら、その火に入る覚悟を持たなければならない。
世界に満ちた火の中に分け入って仏の名を聞くことは、まことにその人の救いだからである。
このようにして自ら教えを得て、広く施し、敬うべき人を敬い、仕えるべき人に仕え、深い慈悲の心をもって他人に向かわなければならない。利己的であったり、思うままにふるまうのは、道を行う人の行いではない。
このようにして教えを聞き、教えを信じ、他人をうらやまず、他人の言葉に迷うことなく、自分のするしないについて省みることが肝心であり、他人のするしないを心にかけてはならない。何よりも自分の心を修めることが大切なのである。
仏を信じない人は、自分のことだけを思い煩うから、心が狭く小さく、いつもこせこせと焦るのである。しかし、仏を信ずる人は、背後の力、背後の大悲を信ずるから、自然に心が大きくなり、焦らない。
新約聖書より
ルカによる福音書 14章25節~35節
大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、造り上げるのに十分な費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。そうしないと、土台を築いただけで完成できず、見ていた人々は皆あざけって、『あの人は建て始めたが、完成することはできなかった』と言うだろう。また、どんな王でも、ほかの王と戦いに行こうとするときは、二万の兵を率いて進軍して来る敵を、自分の一万の兵で迎え撃つことができるかどうか、まず腰をすえて考えてみないだろうか。もしできないと分かれば、敵がまだ遠方にいる間に使節を送って、和を求めるだろう。だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」
マルコによる福音書10:17~34
イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」
イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。
『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」
すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。
イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」
弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。
イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。
イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」
ペトロがイエスに、「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言いだした。
イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。
しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」
今日買った本より その2

パオロ ヴェロネーゼの作品 「エッケ ホモ(この人を見よ)」
おっそろしく絵が上手いので、鳥肌が立ちました~♥
そんなわけで、もうねむいです。
寝たらサンタさん来るかなー?

ようさんサンタ参上!
折り紙の手作りネックレスもらいました!
ありがとう♥
そんなわけで本をたくさん買いました。
その中の仏教聖典に聖書にもおんなじこと書いてあったな~という部分があったので、
クリスマスにちなんで紹介させて頂きたいと思います。

今日買ってきた(仏教聖典)より。
第1章 人のつとめ
私の弟子になろうとするものは家を捨て世間を捨て財を捨てなければならない。教えのためにこれらすべてを捨てたものは私の相続者であり、出家と呼ばれる。
たとえ、私の衣の裾をとって後ろに従い、私の足跡を踏んでいても、欲に心が乱れているならば、その人は私から遠い。たとえ、姿は出家であっても、彼は教えを見ていない。教えを見ない者は私を見ないからである。
たとえ、私から離れること何千里であっても、心が正しく静かであり、欲を離れているなら、彼は私のすぐそばにいる。なぜかというと、彼は教えを見ており、教えを見る者は私を見るからである。
(途中割愛)
仏の衣を着る時は、柔和であって忍ぶ心を持つことである。仏の座に座る時は、すべてのものを空と見て、執着を持たないことである。仏の室に入るとは、すべての人に対して大慈悲の心を抱くことである。
(途中割愛)
だから、誰でもまず自ら教えを聞くことを願わなければならない。
誰かが「この燃え立つ火の中へ入れば教えが得られる」と言うなら、その火に入る覚悟を持たなければならない。
世界に満ちた火の中に分け入って仏の名を聞くことは、まことにその人の救いだからである。
このようにして自ら教えを得て、広く施し、敬うべき人を敬い、仕えるべき人に仕え、深い慈悲の心をもって他人に向かわなければならない。利己的であったり、思うままにふるまうのは、道を行う人の行いではない。
このようにして教えを聞き、教えを信じ、他人をうらやまず、他人の言葉に迷うことなく、自分のするしないについて省みることが肝心であり、他人のするしないを心にかけてはならない。何よりも自分の心を修めることが大切なのである。
仏を信じない人は、自分のことだけを思い煩うから、心が狭く小さく、いつもこせこせと焦るのである。しかし、仏を信ずる人は、背後の力、背後の大悲を信ずるから、自然に心が大きくなり、焦らない。
新約聖書より
ルカによる福音書 14章25節~35節
大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、造り上げるのに十分な費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。そうしないと、土台を築いただけで完成できず、見ていた人々は皆あざけって、『あの人は建て始めたが、完成することはできなかった』と言うだろう。また、どんな王でも、ほかの王と戦いに行こうとするときは、二万の兵を率いて進軍して来る敵を、自分の一万の兵で迎え撃つことができるかどうか、まず腰をすえて考えてみないだろうか。もしできないと分かれば、敵がまだ遠方にいる間に使節を送って、和を求めるだろう。だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」
マルコによる福音書10:17~34
イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」
イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。
『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」
すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。
イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」
弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。
イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。
イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」
ペトロがイエスに、「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言いだした。
イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。
しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」
今日買った本より その2

パオロ ヴェロネーゼの作品 「エッケ ホモ(この人を見よ)」
おっそろしく絵が上手いので、鳥肌が立ちました~♥
そんなわけで、もうねむいです。
寝たらサンタさん来るかなー?

ようさんサンタ参上!
折り紙の手作りネックレスもらいました!
ありがとう♥
おかげさまで、病みあがりな感じになってきております。
まだ本調子ではないので今日も家でゆっくりしようかなと思っていたんですが
良きタイミングで神宮カメラおじいさんからメールをいただいたので
明治神宮に行くことにしました。
行く途中、鳥の糞が頭に落ちてきました!!!
ジーザス!!!
これは一体、祝福なのか呪いなのかわかりませんが
とにかく前向きにとらえて、くじけずに神宮に行きました。
でもあまり本調子じゃないから早く帰れってことかなと思い、
今日は要件をすませたらすぐ帰ろうと思いました。









カメラおじいさんたちと、やまがらに餌やりしてきました!
ちょーかわいい!!!
すっかり頭うんちの件も、こんなかわいい鳥類のなら♡と、
うれしい出来事にかわりました。
鳥さん、バブテスマをありがとう!!!
帰り道にブックオフに立ち寄りましたら、
クリスマスプレゼントなのか、10冊も出会ってしまいました!
嬉しいけど重い!!!
そういえば昨夜ようさんがパスワードを一生懸命思い出して
不思議な術をかけてくれてたのを思い出しました。
なんか、「冷蔵庫とか重い四角いものを持つ時に使えるパワーだよ」
と言ってたのですが、、、、
いや、冷蔵庫とか持たないし!それって使えるのカナー、、、。
とか思ってたけど、
そうだあれだ!今こそ使わなくては!と思って使ってみたら
けっこう普通に家まで持って帰れました。
あれは、このためだったのかくらいの勢いでした。
ようさんありがとう!!!
あ、ヨハニャンが今日はなんか言いたいみたいです。
「物質にとらわれている人は物質世界にとどまることでしょう。
心の平安を求める人は(神を求める人は、的なニュアンスだったかな)
必ずいつか神の御国に導かれ(理解し)たどり着き(行い)与えられるでしょう。
どのような人にも等しく自由意思は尊重されます。
なんて愛に溢れた恩寵でしょう。
全ての人に祝福があります。」
そんな感じだったと思います。(ちがたらごめん。)
♪ ヒサシク~マチニシ~
シュハキマセリ~シュハキマセリ~シュハ~シュハ~キマセリ~ ♪
主も神様も仏さまもサンタさんもこぞって来てくださ~い♡
では素敵なクリスマスを!!
まだ本調子ではないので今日も家でゆっくりしようかなと思っていたんですが
良きタイミングで神宮カメラおじいさんからメールをいただいたので
明治神宮に行くことにしました。
行く途中、鳥の糞が頭に落ちてきました!!!
ジーザス!!!
これは一体、祝福なのか呪いなのかわかりませんが
とにかく前向きにとらえて、くじけずに神宮に行きました。
でもあまり本調子じゃないから早く帰れってことかなと思い、
今日は要件をすませたらすぐ帰ろうと思いました。









カメラおじいさんたちと、やまがらに餌やりしてきました!
ちょーかわいい!!!
すっかり頭うんちの件も、こんなかわいい鳥類のなら♡と、
うれしい出来事にかわりました。
鳥さん、バブテスマをありがとう!!!
帰り道にブックオフに立ち寄りましたら、
クリスマスプレゼントなのか、10冊も出会ってしまいました!
嬉しいけど重い!!!
そういえば昨夜ようさんがパスワードを一生懸命思い出して
不思議な術をかけてくれてたのを思い出しました。
なんか、「冷蔵庫とか重い四角いものを持つ時に使えるパワーだよ」
と言ってたのですが、、、、
いや、冷蔵庫とか持たないし!それって使えるのカナー、、、。
とか思ってたけど、
そうだあれだ!今こそ使わなくては!と思って使ってみたら
けっこう普通に家まで持って帰れました。
あれは、このためだったのかくらいの勢いでした。
ようさんありがとう!!!
あ、ヨハニャンが今日はなんか言いたいみたいです。
「物質にとらわれている人は物質世界にとどまることでしょう。
心の平安を求める人は(神を求める人は、的なニュアンスだったかな)
必ずいつか神の御国に導かれ(理解し)たどり着き(行い)与えられるでしょう。
どのような人にも等しく自由意思は尊重されます。
なんて愛に溢れた恩寵でしょう。
全ての人に祝福があります。」
そんな感じだったと思います。(ちがたらごめん。)
♪ ヒサシク~マチニシ~
シュハキマセリ~シュハキマセリ~シュハ~シュハ~キマセリ~ ♪
主も神様も仏さまもサンタさんもこぞって来てくださ~い♡
では素敵なクリスマスを!!
























































