今日はナース時代のお話 ナース

 

 

一番初めの配属が、混合病棟【7割・・・内科、残・・・産科以外(外科、口腔外科、小児科、整形外科、皮膚科、耳鼻科etc....)】

 

 

7割の内科のうち、その8割はガン

 
 
これは、当時の私にとって衝撃でした・・・
 
 
もう25年も前のこと・・・(そ、そんなに前か 滝汗
今では二人に一人がガンと言われているけれど、看護学校あがりの私にとって、「こんなに沢山??」と驚いたのを覚えています
 
 
そして当時は、告知はしないという時代
 
 
胃がんの人には胃潰瘍・・・、大腸がんの人にはポリープ・・・、ほんとにそんな風に説明していました
今では考えられない事実です・・・
 
 
告知しない、ということはどういうことなのか
当然、胃潰瘍、なのですから、ポリープなのですから、こちら側、ナースの声かけとしては「治りますよ」なのです
 
 
もし、皆さんが「治りますよ」と言われたらどうでしょうか?
ま、「治るんだ」と、なりますよね
 
 
では、その後どうでしょうか?大体は“治って早く退院したいなぁ”ですよね・・・
 
 
そうして退院をゴールに病床で過ごしながら・・・最期を迎えるのです
 
 
ちょっと自分に置き換えて考えてみてください
 
 
人生に整理したいことってないですか?
処分しておきたいもの、誰かに渡しておきたいもの
誰かに何かを伝えておきたいことは・・・?
 
 
私はあります
大好きな人たちに「ありがとう」「幸せだった」と伝えたい
 
 
そして中にはおられるんです・・・あまりの症状の辛さに、「本当に潰瘍なのか、ポリープなのか・・・。本当に治るのか・・・」と感じる方も
そして、そのまま質問してこられます
その時なんと答えるか?
ナースによるでしょうが、「そう感じるのですね」「治りますよ」etc...
 
 
いずれにしても真実は語られません
ここに何が生じるか? ごまかしている、と感じる相手との間に信頼関係は生まれません・・・
信頼関係のない相手のケアはできない、ましてや、心のケアはできません しずく
患者さん側からすると、モヤモヤしながら身体の辛さも、心の辛さもケアされないまま最期を迎えるわけです
 
 
とても違和感を感じながらの日々・・・
 
 
ナース2年目の時、ある40代前半の男性が入院してこられました
散々、病院をたらいまわしに合い、手のほどこしようがない、ということで末期のガン患者さん、としてうちの病院へ
その、たらいまわしに合う中、ひょんなことで病名を知っているということでした
 
 
その時の私は、自身の病名を知っているガン患者さんと接するのは初めて・・・、しかも若い・・・なんとコミュニケーションをとってよいのかわかりませんでした
症状も辛く、心も閉ざしているようで、話しかけても暗い表情で黙っておられました
 
 
若くてきれいな奥様が付き添っておられましたが、奥様も患者さんにどう接してよいかわからない、不安、といった様子でした
週末には、まだ小学校低学年の息子さんも会いに来ておられましたが、病室に和やかさはなく、家族のコミュニケーションも遮断されている様子でした
検温などを終えて、気まずさの中、病室を出ました
何かできることはないのか、と、どうしようもない気持ちになり、主任さんにガン告知を受けている患者さんと、どうコミュニケーションを図ったらよいかと相談しましたら・・・
 
 
「わからない」
 
 
・・・ポーン ?
 
 
生意気ながら、“もうこの病棟で学ぶべきことはない”と感じました
 
 
普段、エラそーにして厳しい主任
20年以上もナースしていて・・・
 
 
その勤務を終え→夜勤→休み→日勤で出勤した時、もうその部屋にあの患者さんの名札はありませんでした・・・
申し訳なさでいっぱいになり、何もできなかった、という思いにつぶれそうになり、悔やみました
 
 
人の人生がこんな風に終わってしまってよいのか・・・
 
 
当時は今のようにネットで簡単に検索して情報が得られるような時代ではなく・・・
 
 
ともかく本屋へ行きました 本
 
 
そして、柏木哲夫先生の本と出会いますkirakira*kirakira*kirakira*
 
 
ここから、私の看護師人生第2章の幕開けです kirakira*
 
 
では、また次回 しあわせナース