人々の記憶に残る戦前の羽田 | Healthy & Comfortable Life

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心も体も健康で快適な暮らしができたら幸せだと思いませんか?何か特別なことをしなくても、お部屋にお花を添えてみたり、美味しい物を食べたり、仲間と楽しい時間を過ごしたり・・日々の暮らしの中で小さな幸せを見つけることができます。そんな日常を綴っています。

羽田空港の前身「東京飛行場」は、終戦後GHQが接収。羽田三町(羽田江戸見町・羽田穴守町・羽田鈴木町)の住人約3千人弱は、【48時間以内に強制退去】させられた。羽田に息づいた人々の普通の暮らしや思い出は無惨に崩壊😢 今は模型となって、人々の記憶の中で蘇る。



江戸時代、羽田は猟師町(漁業専業村)であり、農業としては不毛の地であったのを、豪農 鈴木弥五右衛門が新田開発。その時、五穀守護神を祀ったのが「穴守稲荷神社」の始まり。


ところが、この神社も立ち退きに遭う。鳥居⛩だけは直ぐに撤去されなかったが、後で取り壊そうとすると工事関係者や航空機の事故が何度か起こり、祟りだと恐れて?GHQも諦めたという言い伝えがある。


穴守稲荷神社は別の場所になったが、鳥居⛩は1999年の新滑走路整備時に少し移されただけ。今も凛とした佇まいで羽田空港の安全を見守っている。