言葉にできない相手の気持ちを、想像するということ。
祖父から、子どもの頃に教えられたことがあります。
「言葉を話せない動物や子供には、話せる人よりも、もっと気遣いをして、優しくしなければいけない」
今でも、忘れられない言葉。
私の幼少期からのずっと性格の根本だと思います。
人間は、嫌なことがあれば言葉にできます。
お腹が空いた、痛い、怖い、寂しい。
自分の気持ちを伝えることができます。
けれど、言葉を話せない動物や、まだ自分の気持ちをうまく伝えられない子どもはどうだろう。
嫌だと言えない。
助けてと言えない。
自分が置かれている状況を説明することもできない。
だからこそ、こちらが気づいてあげなければいけない。
相手が何を感じているのか、何を必要としているのか。
自分の立場からではなく、相手の立場に立って考えること。
祖父は、そんなことを教えてくれたのだと思います。
道場をしていた祖父は子供たちにとても優しかった。
動物にもとても優しい人で私は尊敬していました。
私は料理の仕事をしていますが、料理にもよく似たところがあると感じます。
例えば、食卓に並べる一皿。
ただ美味しく作ればいいというものではありません。
食べる人の年齢や体調、噛む力、その日の気温や食欲。
同じ料理でも、食べる人によって、ちょうどよい味付けや大きさ、火の入れ方は変わります。
少し薄味にした方がいいかもしれない。
ひと口を小さくした方が食べやすいかもしれない。
温かいうちに食べてもらいたいから、出す順番を考えよう。
そんな小さなことを想像しながら、料理をしています。
料理は、作る人の自己満足で終わってはいけないと思うのです。
食べる人がいて、その人に喜んでもらって初めて、食卓の意味が生まれる。
そして、最近、改めて祖父の言葉を思い出す出来事がありました。
言葉を持たない相手の気持ちを想像すること。
自分の都合で判断しないこと。
声を上げられない存在にこそ、想像力と優しさを向けること。
それができない自分は大嫌い。できなかった自分が悲しくなり後悔ばかりします。
それは、動物や子どもに限った話ではないのかもしれません。
人と人との関係でも、同じことが言えると思います。
自分の気持ちを上手に伝えられない人もいます。
助けを求めることが苦手な人もいます。
見えていることだけで判断せず、その奥にある気持ちを考えられる人でありたい。
祖父から教わったことは、年齢を重ねた今になって、ますます大切なことのように思えます。
料理も、人との関わりも、根本にあるのは相手を思う気持ち。
今日も、誰かのために一皿を作るとき、そのことを忘れずにいたいと思います。































































